『日本』平成29年正月号

穏やかに毅然と歩もう明治百五十年の春

宮地  忍  元名古屋文理大学教授

 平成二十九年の初春を、読者の皆さんは穏やかに迎えられたことだろう。西暦二〇一七年、皇紀二六七七年でもある今年は、昭和から通算すれば九十二年。そして大正百六年、明治百五十年となる。節目の年に、思いを新たにしたい。米国では、間もなく異色の大統領が就任する。欧州でも枠組み変動の兆しが出る中、アジアでは中国が軍事膨張を続け、北朝鮮は世襲三代目の独裁者がタバコを片手に核武装に励む。一時は米中を秤(はかり)にかけた韓国も、大統領の弾劾失権で混迷に陥った。四海穏やかではない明治百五十年の春を、我々はどう歩み出すのか。我々自身の特性を振り返りつつ、明治に思いをはせ、困難を乗り越えて飛躍した先人たちに学びたい。

日本人の特性は相互尊敬、探求心、遵法精神

 我々、日本人の特性は何だろう。他人を思いやり尊重する相互尊敬、協調性、探求心、遵法精神などではないだろうか。個人により、時代により、その強弱は変わるが、これらの特性が明治という時代を生み出し、十九世紀のアジア植民地化の激流の中で列強と並ばせた。

 その源流が、豊かな江戸時代にあったことは定説である。江戸時代、天皇という宗教的でもある権威の下では士農工商の身分も相対的なものであり、身分を超えた思いやり、相互尊敬があり、一業、一芸に通ずれば将軍、大名からも尊敬を受けることになった。山形県酒田市には、豪農・殖産家であった本間家を讃える「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」という言葉が残る。

 各藩の藩校や寺子屋教育を通じた識字率は高く、近代以前に有料の新聞(瓦版)が存在したのは日本と欧州だけだった。天皇―将軍の間接統治の下にあった諸国を庶民が往来する都合上、ある藩内での約束事が他藩に出ると守られないのでは困る。契約という概念が早くから浸透したことも、ローマ法王の宗教的権威の下に諸国が存在した欧州と似ている。為替制度は、世界で初めて江戸~京、大坂で始まった。

 こうした日本人の特性は、さらに遡れば、世界最古の土器文明とされる縄文時代、農耕中心になった弥生時代以来の文化が生み出したものだろう。時に実用性を超えた造形美、ひいては完璧性を求める特性は、縄文土器の装飾から日本刀、近代工業製品の仕上がりにつながる。縄文末期・弥生時代からの農耕作業での協力は、相互尊敬、遵法精神につながった。三世紀前半の邪馬台国を、中国の史書「魏志倭人伝」は「盗竊(とうせつ)せざれば諍訟(そうしょう)も少なし」と記録する。平安時代には、三百三十八年間も死刑執行がない期間があった。

明治の変革、躍進を実現させた日本人の特性

 このような特性が、欧米列強の侵略に備える明治時代になると、西欧技術の急速吸収、挙国一致で発揮されることになる。異国の文化にも敬意を払い、朗らかに心を開く一方、強圧・不当は毅然として払いのけようとした。幕末開国の際に列強と結ばざるを得なかった不平等条約を振り払うべく、富国強兵の道を歩んだ。

 ちなみに、ロシアとの「日魯通好条約」(安政元年=一八五五)では、択捉島以南が日本領、ウルップ島以北の千島列島はロシア領、樺太は日露共有と定められた。明治八年(一八七五)に「樺太千島交換条約」で、樺太の共有権と千島列島の領有権を交換、日露戦争(明治三十七~八年)の後に南樺太が日本領となった。ソ連と名を替えたロシアは、昭和二十年(一九四五)の第二次大戦終結間際に中立条約を破棄して満州に侵攻。八月十一日~九月五日には南樺太、千島列島、択捉島以南の四島を攻略した。日本が、「連合国側の領土不拡大方針に反しており、国際法上も他国領になったことのない四島は返還せよ」と主張する根拠である。「第二次大戦の連合国」と言っても多様で、大戦は独ソによるポーランド分割侵攻で始まっており、ロシアとしては、侵略獲得した領土の返還は簡単ではないだろう。

清国、旧朝鮮と変わらない中国、韓国

 現在の中国・韓国は、日清戦争当時(明治二十七~八年)を思わせるものがある。香港割譲など西欧列強の植民地化を許しながらも、なおアジアの大国であった清国(中国)は、属国である李氏朝鮮を通じて日本に脅威を与えており、朝鮮王朝は自立独立を願う日本に背を向け、領土拡張を続けるロシアにも近付いていた。

 清国は明治十九年(一八八六)、ロシアを威嚇するため朝鮮半島東岸に北洋艦隊を出動させた際、旗艦「定遠」(七一四四トン)などを長崎に入港させて威力を示し、上陸した水兵が乱暴狼藉を働いた。ドイツ製の「定遠」は当時、アジア最強の甲鉄戦鑑とされた。日清戦争の黄海海戦で連合艦隊が北洋艦隊を撃破した後、威海衛で自沈。艦の部材で建てた「定遠館」が、福岡県の太宰府天満宮に残る。

 チベット・新疆ウイグルを植民地とし、南・東シナ海に侵出を続ける中国、米中を秤にかけた挙句に政局大混乱を起こした韓国は、親族・縁故者の優遇を美風とする国内構造においても、清国、李氏朝鮮と似たものがある。王朝の興亡を繰り返した両国も、違った意味で精神文化の伝統を継承している。

 日清戦争は、朝鮮独立の是非を巡って始まった。これに乗じて満州に進出したロシア軍の撤兵を巡り、日露戦争が起きる。日本としては、自身の安全と安定を賭けた戦いでもあった。同時に、日清、日露戦争では、軍の精強と共に政治の抑制力も生きていた。日清戦争では、北京攻略を願う派遣軍を政府が抑止、戦後の英仏露三国干渉による遼東半島還付でも自制心を発揮した。日露戦争は、南樺太の割譲、旅順・大連の租借権、南満州鉄道の譲渡などだけで講和したが、賠償金を得られないことに激高した民衆が、当時は国会議事堂があった日比谷で焼き討ち事件を起こした。

試される国際協調、遵法の行動力

 安倍首相は旧年の暮れ、プーチン・ロシア大統領との山口会談、オバマ・米大統領とのハワイ会談、真珠湾犠牲者の共同慰霊――と、第二次大戦・大東亜戦争を「過ぎ去った歴史」にする重要な行動を計画した。大東亜戦争は、いささか奢りが高まり、思いやり、協調性、探求心を薄めて大敗北を喫した。これを反省することも必要だろう。だが、明治以来の百五十年間の半ばに起きた大東亜戦争だけにこだわるべきではない。歴史を考えるなら、日清、日露戦争にも学ぶべきではないか。

 予測が難しくなって来た国際情勢ばかりでなく、今年は、天皇譲位問題の決断が必要であり、周期的に起きる南海大地震、首都直下地震も切迫しているとされる。国連平和維持活動(PKO)では、宿営地を他国PKO部隊と共同で暴徒から守ることになり、近くに他国の歩兵部隊がいない場合には国連職員や民間ボランティアを救出する駆け付け警護も行うことになった。「武器使用は行うべきでない。誰が殺されようが放っておけ」と言うのか、「善意の人々を見捨てない」と行動するのか。

 尖閣諸島の奪取を図る中国は、昨年の海軍艦艇や漁船集団による接続水域侵入に続いて、上陸・占拠で日本の決意を試す可能性もある。この場合も、「放っておけ」論を主張する者は出るだろう。明治に学ぶ我々は、中国の文化、国内事情は穏やかに理解しつつも、違法行動には毅然として行動すべきだろう。自己の内心に育まれた文化を理解しない左翼人は別として、大多数の国民はそう考えるはずだ。