『日本』平成29年4月号

改憲で皇室をいかに扱うか ― 国民主権論の落とし穴

吉原恒雄

元拓殖大学教授

 民進党は衆参両院の憲法調査会で、いわゆる「天皇制」について論議するよう提案した。憲法改正を論議する際の最重要課題だが、これまで改憲論者は意識的に取り上げることを避けてきた。成文憲法には尊厳的機能を明示する國體(こくたい)(国柄)条項と実行的機能を規定する権力行使条項があるが、天皇関係は前者である。天皇条項は、現行憲法の「国民主権」と関係が深いが、民進党の提起はそれをさらに推し進めようとする意図が窺うかがえる。

 國體条項について議論する場合に注意すべきは、「天皇制」という表現である。この表現は、ソ連が世界革命のために作った「コミンテルン」が、大正十二年に、日本共産党に指示した「テーゼ」の中で、初めて用いた表現である。大東亜戦争前は共産党員だけが隠語的に用いていたが、昭和二十五年に共産党が機関紙「赤旗」で用いてから、一般国民も使い始めて今日に至っている。

 「天皇制」の概念は欧州の絶対君主制を踏まえ構築されたもので、日本の皇室や歴史とは無縁の概念である。この概念は時代遅れのもので、打倒すべき対象という意味が含蓄されている。この経緯を知らず、保守系の人物も「天皇制の護持」という表現を用いている。だが、これは「因習の護持」と同様に、論理矛盾の表現である。従って、「皇室を中心とする國體」を用いるべきである。

 改憲対象として國體条項を取り上げる場合に留意すべきは、現行憲法前文で「国民主権」を「人類普遍の原理」と強調している点である。また、保守系の改憲案とされている読売新聞、産経新聞、世界平和研究所(中曽根元首相主宰)の改憲試案では、「人類普遍の原理」という表現に幻惑されてか、この国民主権論を独立の条項として第一章の冒頭に明記している。これら三試案が「保守系の改憲案」と評価されているがゆえに、改憲論に与える影響は大きい。「国民主権は人類普遍の原理」という表現は、我が国では批判を許されないものとされている。改憲対象とすることはむろん、論議の対象とすることすら許されない状況だ。だが、近代政治学での主権論を顧みれば、「国民主権論」は「普遍の原理」どころか、「特定の時代に、特定の地域で、特定の政治的思惑をもって生まれた概念」に過ぎない。

 我が国の政治学教科書では、「主権」の存在の説明に終始している感がある。ところが、現代政治学の課題は、主権の所在よりも主権をどのように行使するかにある。それに「主権」は真理といった類のものではなく、それとは無縁の擬制(ぎせい)(フィクション)であり、説明的仮説ないしは分析道具である。有名な経済学者のハイエクがいみじくも指摘しているように、主権は一種の「迷信」に過ぎないのだ。

国民主権は人類普遍の原理ではない

 そもそも主権論は、中世時代の欧州でローマ法王や神聖ローマ帝国皇帝の“普遍的支配から脱却”するための闘争過程で誕生したものである。この主権論を背景に、国王の権力が徐々に強化されるようになる。これに対しローマ法王庁の聖職者が、自己の権威、権力の退潮を防ぐために打ち出したのが「国民主権論」である。つまり、法王の権威や権力はキリスト教の唯一絶対神であるゴッドがキリストを通じて与えたものだが、国王の権力の淵源は人民・国民にあるというのが、その骨子だ。一神教であるキリスト教ではゴッドは人民よりは卓越した存在だから、そのゴッドから与えられた権威、権力は、人民から与えられたに過ぎない権威・権力に比べると絶対的な優位にあるという結論になる。

 このような経緯で生まれた国民主権概念だが、十七世紀になって変容する。国民主権論で国王の権力を掣肘(せいちゅう)しようとしたローマ法王庁の試みは成功せず、国王の絶対権が確立する。しかし、それも束の間だった。ブルジョアジーが富を背景に大きな力を持つようになり、政治への参画を求めるようになる。この動きの中で、国民主権論はブルジョアジーが国王の支配に挑戦する理論的根拠として、新たに登場する。スコットランド人のビュカナンが最初に理論化に取り組み、ルソーが『社会契約論』で大成した。これらは立証されていない「仮説」であることを忘れてはならない。

 因みに、我が国ではフランス革命時の論議を踏まえて、「国民主権」と「人民主権」を分けて考える学者がいる。そこでは人民主権が究極のものと位置付けられている。とすれば、国民主権は通過駅のようなもので、ターミナルは「人民主権」になる。従って、「国民主権は普遍の原理」論は崩壊する。

 国家の國體をどのように認識するか、その正統性の論拠を何処に求めるかを考える際に重要なのは、国民の深層心理に潜む正統的価値観や法規範意識を的確に反映させるかである。社会学の創始者と言われているスペンサーが、帝国憲法制定に際して欧米の碩学に意見を聞いた際に、「憲法は欧米諸国各々、その歴史、習慣より成立するものなれば、決して外国の憲法を翻訳して直ちに之を執行し、外国と同一の結果を生ぜしめんと欲するのは誤解のはなはだしきもの」と注意してくれたのはこのためだ。

 この視点から、現行憲法の実態はどうか。現行憲法を宗教の法典のように崇(あ)がめ、改憲に反対する“護憲派”と称する党派がある。だが、その実態は、比較憲法学の世界的権威だったレーベンシュタイン教授が以下に指摘している通りだ。同教授は第二次世界大戦後の諸国の憲法について、欧米諸国の憲法、立憲的意図を表明したに過ぎない新興独立国の憲法の二形態に分類。その上で日本の成文憲法について、いずれにも属さないものであり、「SCAP(連合軍最高司令官―元帥マッカーサー)に指示され、SCAPに指導され、SCAPに強制され、議会が民主的に混声合唱のようにして採択した憲法」と指摘している。このような成文憲法が権威のみならず、実効性を生じるはずはない。

国民主権論に潜む革命論

 国民主権論が生まれた欧州諸国では、この概念をどのように捉えているか。フランス近代の代表的法学者であるデュギーは、「偶然の所産に過ぎぬ国民主権の原理がフランス革命以降も生き続けているのは、その後の人々がこれを宗教個条として受容したため」であり、「国民主権が行動と進歩の原理として創造的な価値を持っていた時代は既に過ぎ去った」と指摘している。このため、このような国民主権を、欧州諸国の歴史、伝統の異なる日本の成文憲法の基本的原理としても何の規範力もない。

 何の規範力もないのなら無害であり、排除の必要もない。だが、英国の歴史学者トインビーの忠告に耳を貸す必要がある。①社会遺産は簡単に移植できない、②文化の霊は住み心地の良い家に居て、その家の家人と自分たちの間に定まった調和が存在する場合には、その家の守護神を務めてくれるが、赤の他人の家に入ってくると、たちまち悪意と破壊の鬼に早変わりする―との警告である。

 それだけではない。国民主権概念そのものに潜む危険要素である。国民主権論には暴君放伐論、革命論が内包されている。ルソーの国民主権論は十九世紀から二十世紀にかけて革命の嵐を呼んだ。それら革命は国民の自由、平等や政治参画を旗印にしながら、大量虐殺、独裁政治、テロリズムをもたらした。

 丸山真男、佐藤功、鵜飼信成などを中心とする「公法研究会」は、昭和二十九年に発表した「憲法改正意見」で次のような主張を展開している。「天皇制の廃止による共和制にするのが理想」との大前提で、①第一章に天皇の章を設けているのは人民主権を表明する憲法として妥当ではない、②従って、第一条は「主権は人民にある」との条文にすべきである。――などを提起している。前記の三憲法試案は、意識してか否かは判らぬが、左翼学者の手になる「憲法改正意見」と相通じるものがある。要注意だ。