『日本』平成29年6月号

「国際組織犯罪防止条約」への加盟を急げ

宮地  忍

元名古屋文理大学教授

 フランス、韓国の大統領選挙が終わり、韓国では下馬評通りに左派の文在寅(ぶんざいいん/ムンジェイン)氏(共に民主党)が当選した。文・新大統領は、北朝鮮との対話、開城工業団地の再開、慰安婦問題に関する日韓最終合意の再交渉などを訴えて来た。少数与党の大統領として現実にどう動くかは不明だが、国際協調を軽く見る政権が、また一つ登場する可能性がある。日本国内では、国連条約と関連する「テロ準備罪・共謀罪法案」が、六月十八日までの今国会の重要議案として控えている。野党側が国際協調の大局観に立てるのなら細部調整で、反対のための反対を続けるなら強硬採決で、法案を成立させるべきだろう。

立場により表題が違う「テロ準備罪」「共謀罪」法案

 政府・与党が言う「テロ準備罪法案」、民進党、共産党などが言う「共謀罪法案」は、論点が?み合っていない感がある。メディアも、前者に付く者は「テロ準備罪法案」、後者に付く者は「共謀罪法案」の側面を強調するので、読者・視聴者は混乱する。

 政府が国会に提案しているのは、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」(組織的犯罪処罰法、平成十一年制定)の改正案で、この法律は元々、暴力団やテロ集団、詐欺グループのような組織犯罪に関して、刑法による刑罰を一律に重くしている。例えば殺人罪の場合、刑法第一九九条では「死刑または無期懲役か、五年以上の懲役」だが、犯罪グループによる殺人と認定されれば、組織的犯罪処罰法第三条一項により、有期懲役の部分が「六年以上」となる。

 今回の改正案は、刑法、特別法で懲役・禁錮刑の長期(上限)が「四年以上」とされるものの中で、組織的犯罪になる可能性が高い二百七十七の罪種について、二人以上の組織で計画した場合は、準備段階でも処罰できるようにする。「共謀罪」と言われるもので、通常は犯行に至った段階(未遂を含む)から処罰の対象になるが、改正案では、謀議計画が行われ、犯行の準備が始まった段階から処罰対象とする。その一方、事前に自首した者には減刑規定を設けている。

日本など十一か国だけが不参加の国連条約

 法務省、外務省が「共謀罪規定」を必要とするのは、平成十二年に国連で採択された「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」(国際組織犯罪防止条約、TOC条約、パレルモ条約)に参加するためだ。同条約は、三人以上の者で組織された「重大な犯罪」について犯行準備(共謀)の段階からの取り締まりを参加国に求め、二か国以上にまたがる犯罪の場合には、情報の交換、捜査協力、犯人の引き渡しの協議などを関係国に求めている。そして「重大な犯罪」の定義を、「長期四年以上の自由剥奪刑か、それより重い刑を科すことができる犯罪」としている。

 我が国も条約に参加するため、組織的犯罪処罰法に共謀罪を盛り込む改正案が平成十五年から三年連続で国会に提案されたが、いずれも衆議院の解散・総選挙で廃案となった。最終案が二十一年に廃案になった後は、三年間の民主党政権の時代を経て、動きが止まっていた。この間、世界の百八十七か国・地域が条約を締結、国連加盟国の中で参加していないのは、イラン、ブータン、パラオ、ソロモン諸島、ツバル、フィジー、パプア・ニューギニア、ソマリア、コンゴ共和国、南スーダン、そして日本――の十一か国だけとなった。あの北朝鮮でさえ参加している。

 四回目の提案となった今回の「組織的犯罪処罰法改正案」では、対象の罪種をこれまでの六百十九から二百七十七に絞り込み、共謀罪適用の要件として、犯行の謀議計画だけでなく、計画に基づいた資金・物品の調達、下見など「準備行為」の実行を加えて厳格化した。だが野党側は、「準備行為に進んだ段階で摘発するためには、計画の段階から監視・内偵が行われることになり、言論の自由を圧迫する」「自首した者への減刑規定は密告社会を招く」として反対を続けている。

 政府は、法案審議の空白の八年間に激増した国際テロ事件や、東京五輪の無事開催などを念頭に、「国際的な組織犯罪と闘うためには国際的な枠組みに加わる必要があり、条約に準拠した共謀罪の創設が必要」とする。法文の「組織的犯罪集団」の前に「テロリズム集団その他の」と付け加えて、法案の成立と条約参加、情報交換の開始などを急ぐ。これに対して野党側は、「法改正を行わなくても条約参加はできる」「テロ対策や情報交換は、この条約に頼らなくてもできる」と反論。「社長を殴ってやろうと酒場で意気投合、社長宅周辺の地図を買いに行っただけで、実行準備として摘発される。仲間の誰かがが密告しないかと疑心暗鬼になる」という例を頼りに反対を続けている。

 改正案は、日本維新の会が、「取り調べの録音・録画が将来拡大される際には同法も対象にする」との文言を改正案に加えることなどで政府・与党と協調、五月中に衆議院を通過する見通しになった。だが民進党は、組織的な人身売買、詐欺の予備罪を「組織的犯罪処罰法」に盛り込む〝対案〟を自由党と共同提案したものの、政府・与党案の全否定の姿勢を崩さない。

 「法改正を行わなくても条約参加はできる」のかどうか。政府と民進党などの認識は相違するが、双方とも、明確な根拠を示して語るべきだろう。ただ、国際協調は相互主義である。こちらが国際的な組織犯罪としない罪種について、相手国からの情報提供、捜査協力は期待できない。また国際組織犯罪防止条約は、国際的なテロ組織との闘いも重要なテーマではあるが、対象はテロばかりではない。北朝鮮による拉致や、韓国人グループによる仏像・文化財の盗み出し、中国人女性グループによると見られる神社仏閣への油散布、外国銀行の偽造カードを使った多額の現金引き出し事件――なども、国際組織犯罪として問題提起する余地はある。我が国が、国際協調に背を向けていて良いはずはない。

「何でも反対」の野党のままで良いのか

 民進党も、今年二月時点の「見解」では、国際組織犯罪防止条約に参加する必要性は認めている。しかし、テロ対策は現行法で十分であり、一部の重大犯罪には既に共謀罪も定められているとして、条約が前提とする長期四年以上の懲役・禁錮刑の罪種に包括的な共謀罪を創設することは不要、有害と主張している。その民進党も、政権獲得が視野にあった前身の民主党の時代には、対象罪種を政府案の六百十九から「長期五年以上」の三百六に絞る修正案を提案していた。三年間の政権迷走を経て、「何でも反対。対案らしい対案はなし」の存在に退化したようだ。国民は、時には自民党と交代できる現実的な野党の存在を求めているが、これでは支持率が伸びるはずはない。「共謀罪」を一般市民が恐れる必要はないし、警察が「社長を殴ろうと話し合っただろう」と聞きに来たら、「酒席の座興だ」と堂々と反論すれば良い。警察もそれほど暇ではないし、日本の司法・裁判所には、明治以来の信頼性がある。

 野党の卑小な共謀罪反対論を聞いていると、平成二十二年ごろ、名古屋駅前で何と暴力団が街頭演説をしていた光景を思い出す。当時、暴力団への利益供与を禁止すべきだという全国的な動きの中で、愛知県も「暴力団排除条例」を作ろうしていた。演説の主旨は、「私たちと皆さんとの交流の良し悪しを、警察が判断する。こんな条例を許せば、やがては、皆さんたちとお友達との交流にも警察が立ち入ることになる。人間関係を分断する条例の制定に反対しましょう」というものだった。数々の不正疑惑が指摘されている森友学園と手を携える民進党なら、名古屋の暴力団とも連携できるのではないか。