『日本』平成29年7月号

我が国の国際貢献とPKOの成果

永江太郎 (一財)日本学協会常務理事

 さる五月二十七日、南スーダンに派遣されていたPKO(国連平和維持活動)の第十一次隊最後の四十名が帰国した。これで五年半にわたる任務が「無事」に終了したことになる。この間、国内各地の部隊から派遣された隊員の総数は、約三千九百名に達し、道路補修だけで約二百六十キロに及んだとのことである。

 ここで特筆すべきことがある。すなわち「無事」の二字である。

 現在国連のPKOは、世界の十六ケ所に派遣されて総数は十一万人に達し、毎年百人を超える犠牲者(死者)を出している。国連のPKO本部も、犠牲者が出るのは当然と覚悟している中で、日本の自衛隊だけは犠牲者ゼロが続いているのである。

 自衛隊の海外派遣は、平成三年のペルシャ湾の機雷掃海に始まったが、翌四年に宮沢内閣の下で国連平和維持活動法が成立して、同年九月にカンボジアに第一次の施設部隊六百名が派遣されて以来、二十五年の間にモザンビーク、ルワンダ、中東のゴラン高原やイラクなどに次々と派遣された。この間、外交官や警察官には犠牲者が出ているが、自衛官には一人も犠牲者がいない。我々日本人は当然と思っているが、世界の人々は奇跡と見ているのである。なぜ犠牲者が出ないのか。

 南スーダン派遣隊がすべて帰国した翌二十八日の夜、NHKスペシャルは「変貌するPKO」を放映したが、久しぶりに充実した内容で、多くの示唆に富んでいた。

 その一つは、第十次派遣隊が遭遇した昨年七月の首都ジュバの銃撃戦である。同じ宿営地のバングラデシュやルワンダの派遣隊が、反政府軍に攻撃されて交戦した時も自衛隊は巻き込まれなかった。自衛隊の宿営地にも流れ弾は飛んで来たが、直接攻撃されることはなかった。それでも、道路を挟んだビルに立て籠もる反政府軍を攻撃する戦車砲の衝撃には肝を冷やしたようである。NHKはパニックと表現したが、パニックとは恐怖で指揮機能が崩壊して、全員が現場から逃げ出すことであるから、隊長の命令で全員が宿舎に避難している状態はパニックではない。この日は、中国軍も襲撃されて二名の戦死者を出したが、自衛隊は一発も撃たれず撃つこともなかった。このような状況の中でも、なぜ自衛隊には犠牲者が出ないのか。その理由には、現地の指揮官が適確な情報活動と洞察力に基づいて当日の作業中止を命じた決断力もあるが、武装勢力が自衛隊を攻撃しないのはもっと深い要因があるのではないか。

 その二は、この時に死を覚悟した派遣隊員の潔さである。「今日は私の命日になるかも知れない。家族には感謝している。笑って逝く」と書いた手帳や妻と子への遺言などが紹介されたが、これは靖国神社で公開されている特攻隊員などの遺書と全く同じである。

 防人以来、長年培われてきた義勇を尊ぶ精神と覚悟は、戦後七十年の東京裁判史観の中でも脈々と生き続けていたのである。この精神は一朝一夕に生まれるものではない。そして、これこそが自衛隊の犠牲者をゼロにした要因であろう。派遣隊員も言っていたが、自衛隊は畏敬され、国際的には軍隊として認知されているのである。派遣先の国々で自衛隊が攻撃されないのは、正々堂々として規律正しく、しかも現地の人々に優しい自衛隊を目の前に見て、日清・日露戦争に始まり大東亜戦争に至る数々の戦いで発揮された、日本軍の伝統を継承した新日本軍と感じ取っているからではあるまいか。

 PKOに派遣される隊員の姿を見るたびに思い出すのは、ケベックの国際軍事史学会の大会で、アメリカの会員が語った「ロlマの兵士と日本軍は、もう二度とこの地球上に生まれないであろう」という一言である。戦後の日本人は、占領下に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持すると決意して、陸海空軍その他の戦力は保持しない」と定められた憲法を守っているので「自衛隊は軍隊ではない」と言っていたが、世界は国際社会の一員としての責任を果たさない詭弁としか見ていない。平成三年一月に湾岸戦争が勃発した時、海部内閣は百三十億ドルの支援金を拠出したが全く評価されなかった。その後、機雷除去のために海上自衛隊の掃海艇六隻を派遣した時、初めて支援国家として認められたのである。

国際社会の一員としての自覚を持て

 国際貢献に失敗した先例として、第一次世界大戦への参戦問題がある。我が国は、日英同盟もあり連合国の一員として、青島やシベリアに出兵したが、連合国は、日本は国益優先で犠牲を払わない国であると見て、目に見える「貢献」を求めた。機動力のある海軍は、ドイツ太平洋艦隊の撃滅や中部太平洋のドイツ領島嶼の占領などで活躍したが、陸軍に対する欧州派遣の要請には、我が国の徴兵は、国家防衛のためであり、国外の国際紛争のために犠牲者を出す訳にはいかないとして拒否した。その結果として、我が外交団は、戦後処理を始めとする国際会議から締め出され、参加しても無視され、情報収集にも苦慮することになった。連合国は苦楽を共にする友邦とは見なかったのである。ワシントン会議でも日本は孤立し、日英同盟も破棄された。

 しかしながら、地中海に派遣した駆逐艦隊の活躍だけは高く評価され、日本海軍の基地になったマルタ島の海軍墓地には、船団護衛の作戦中に戦死した駆逐艦乗組員の慰霊碑が建立された。このマルタ島の日本海軍慰霊碑に、去る五月二十五日の海軍記念日当日に、安倍首相が慰霊に訪れた。イタリアのタオルミナで開催されたサミットの前日に、わざわざマルタ島を訪れて慰霊・参拝した。現地では大きく報道された。サミットには、日本の報道陣が大挙して訪れたはずであるが、安倍首相のマルタ島の慰霊碑参拝を報道したマスコミがあるのか。寡聞にして知らない。

 NHKスペシャルの最後は、PKOの実態を直視して、今後のあり方は国民の判断にゆだねるべきであると結んでいた。最近は「国民(都民、県民)の判断にゆだねる」という責任回避の発言が多過ぎる。この場合も、PKO法に準拠した政府の判断と決断を尊重すべきであろう。湾岸戦争や第一次大戦の教訓を踏まえて、東アジアの大国としての責任を果たさなければ、我が国は孤立するばかりである。安倍首相の国際的評価が高いのは、現行法規の中で出来得る最大限の努力をしているからである。特にPKOを含む自衛隊の貢献は大きい。一部の日本国民に欠けているのは、自分が地域社会の一員である自覚と我が国が国際社会の一員であるという良識であろう。

 最後に国会で紛糾した日報問題に触れておきたい。問題になったのは、日報(日々報告)に書かれた「戦闘」の用語であるが、国会論争を聞くと質問も答弁も軍事的知識が欠落しているのではないかと言はざるを得ない。現地の派遣部隊が宿営地で「戦闘」が起こったと報告したことは、確かに非戦闘地域に派遣された筈の自衛隊が戦闘に巻き込まれたという印象を与えるが、「一発も撃たれず撃ってもいない」ので戦闘に巻き込まれていないのは明らかである。

 一般的に「作戦地域、戦闘地域」というのは、両軍が部隊を展開して本格的に戦う地域のことである。内戦下にある南スーダンでは至る所で撃ち合いが起こるのは当たり前であり、このような小競り合いがあったからと言って「戦闘地域」とは言わないはずである。常に作戦・戦闘を想定した訓練・演習をして、戦闘という用語を常用していた派遣隊員が「戦闘」と表現し、一発も射っていない実態を熟知している上級司令部が、「戦闘ではない」と認識したことを、さも大事件の如く糾弾する国会論争には呆れる他はない。

 今、国会で論ずべき問題は、北朝鮮の核ミサイルの脅威に対応する手段とそのための予算ではあるまいか。