『日本』平成29年8月号

日本の防衛力に欠けている敵基地攻撃力

吉原恒雄  元拓殖大学教授

 国際社会は緊迫の度合いを深めているが、中でも北東アジアは軍事力を背景に勢力圏の拡大に余念のない中国と核弾道ミサイル開発に執念を燃やしている北朝鮮の存在で危機が非常に高まっている。こうした状況下で、自民党は政府に対して敵基地攻撃能力を保有するよう提案した。だが、安倍内閣は「日米安保体制の強化」を口にするだけで、この提案に応じる姿勢を見せていない。

 我が国では「専守防衛」が国家防衛上の“国是”扱いされている。だが、国際社会で使用される軍事用語に該当の概念は全くなく、日本だけで使用されている“言葉”である。専守防衛は国際政治、軍事政治学者の研究を踏まえた政策や戦術・戦略ではなく、国会答弁の寄せ集めの所産である。非武装中立、“護憲”を唱える政党や学者の自衛隊違憲論をなだめるために、国会対策上から生まれた言葉にすぎない。

 現在の国際社会では、敵性国家の攻撃を「抑止」することが極めて重要になっている。その理由は、①最新兵器の破壊力と攻撃速度が高度化した、②核弾道ミサイル登場で前線・銃後の区別が完全になくなった、③これまでシーソーゲームのように競い合ってきた攻撃兵器と防御兵器が、現在は攻撃兵器優位の時代となり、かつこれが見通し得る将来、継続する可能性が強くなっている――等のためである。このため、核兵器でなく通常兵器でも、先制攻撃を受けたら反撃が極めて困難となる甚大な被害を受けてしまう。

 政府・防衛当局が強調するように「憲法上は自衛しか許されていないから、攻撃を受けた後、体制を整えて反撃を開始し、侵害された領土や国益を回復する」という、悠長な対応はできなくなっている。日本のように狭隘で縦深性のない島国で、かつ大都市に人口が過度に集中している場合は、瞬時にして国家運営上、致命的被害を受ける公算が大きい。

侵略抑止に必要な諸要素

 このため、攻撃を如何に抑止するかが、防衛上、緊要な政治課題となっている。ところが、抑止概念については誤解がまかり通っている。国際政治用語では、抑止はある国家に対して武力を行使しようと意図している国に恐怖心等を抱かせることにより、攻撃の損得を打算させる。そこで当該攻撃が費用対効果比からみてマイナスが大きいことを認識させ、攻撃を抑制させる、という意味である。日本政府は国会答弁や対外広報で、「日本の防衛力は他国に脅威を与えるものではない」と強調し続けてきた。しかし、敵性国家に脅威を与え得ない防衛力は、所期の「抑止力」を生むことはない。つまり、抑止は軍事力、防衛力がありさえすれば、漫然としていても生まれるものではないのである。

 脅かして恐怖心を抱かせる「能力」は、心理的な要因に加えて攻撃側に現実に大きな損害を与え得る破壊力の裏付けが不可欠である。しかし、巨大な破壊力を保有していても、タイムリーに行使する「意思」がなければ、相手の攻撃を抑制できない。軍事力が強大であっても、それを侵略国に対し断固として使用する「意思」がなければ、能力はなきに等しいからだ。特に、「相手から攻撃されないと反撃できない」との制約を課された軍事力は、質量ともに優れたものであっても、相手の行動を事前に抑制できない。

 ここで留意すべきは、国力相応の軍事力整備を怠っている国家・国民は、領域や国益を擁護する「意思」が低劣とみなされて侵略を招き易い点だ。世界の主要国が冷戦終結に伴う平和の夢から覚め、ここ十数年、厳しい国際情勢に対応して防衛費を増額している中で、日本だけが逆に減らしてきた。北大西洋条約加盟諸国が防衛費支出を国内総生産(GDP)の二%を目標にしている中で、日本だけは一%に満たないのである。それだけではない。対日攻撃を意図する国が当方の「軍事能力」と「使用意思」の双方またはいずれかを低く誤算していれば、抑止力も低くなる。

 同盟は本来、自衛力の足らざるところを補うのが目的で締結される。ところが、日本の場合は「攻撃力」という国家防衛力の最重要機能を米国に依存している。自国の存立と国民の安全を委ねられている政治指導者は、他国よりも自国の安全を優先させる。米国もその例外ではない。N・マキャベリーの指摘通り、「自らの安全を自らの力によって守る意思を持たない場合、如何なる国家といえども、独立と平和を期待することはできない」のだ。

攻撃力欠く防衛力が不利な諸理由

 古来、洋の東西で「攻撃は最大の防禦」と言われる。『兵法呉子』は「攻勢に出て勝つのは容易であるが、守勢で勝つのは難しい」と教えている。軍事戦略・戦術上、敵基地攻撃を否定し、攻撃能力を整備しないことは、軍事上、多くの不利な点がある。それは第一に、敵基地を攻撃しないことが確実ならば、侵攻側は自己の領土内の攻撃機発進基地、弾道・巡航ミサイル発射基地、兵器・弾薬庫、軍事産業施設等や主要都市を反撃から守る必要がない。この結果、本来ならば防禦に回さなければならない軍事力まで攻撃に回せるという利点がある。この結果、短期間に所期の目的を達成することで、国際世論の非難が高まらないうちに既成事実を作ることが可能になる。

 第二に、侵略側は自己の継戦能力をあまり損なうことなく、侵攻作戦を展開できる。侵略側は侵攻兵力に損害を生じるが、自国領域内の出撃基地や産業施設、主要都市などの被害は受けないので、継戦能力はほとんど低下しない。第三に、飛来する弾道、巡航ミサイル等を撃墜するよりも、発射基地、兵器庫等を破壊した方が効率的だ。これに反し、音速の数十倍の速度で大気圏に突入してくる弾道ミサイルの撃墜は至難である。第四に、侵攻側は自由に攻撃目標を選択し、攻撃準備をし、有利な攻撃タイミングを選択できる。だが、我が方はどこに攻撃されるか分からないので防衛力の分散を強いられる。日本の領土は狭小だが、領土の中央に高い山脈が背骨のように連なっているから、内線の利を活用する兵力の移動は難しい。

 第五に、着上陸を伴う陸上兵力の侵攻作戦を実施せず、弾道、巡航ミサイル攻撃だけで日本を屈服させことが可能な時代になっている。それなのに日本が敵対国の弾道ミサイル発射基地等を攻撃する能力を保有せず、また侵攻部隊が日本領域内に侵入しない事態を念頭に置くと、自衛権に関する日本独自の制約解釈をこのまま堅持していたら、防衛作戦を展開できないまま敗北を喫することになる。

 国際J会での「自衛権」は、行使の際に国際慣習法、条約国際法上の制約がある。慣習法では、緊要性と比例性の制約である。このほか、自衛権行使を含む全武力行使は、「国際武力紛争法」に定められた交戦法規の遵守が求められる。一方、国連憲章第五十一条では「武力行使の発生」等の制約が課せられている。国際法上、敵基地攻撃に絡む重要な制約は「比例性の原則」である。この比例性遵守は二面性を有する。防衛側は侵略国による領域、国益への侵害の程度や使用兵器のレベルを超えて反撃できない。その一方、侵略国の攻撃態様に比例して反撃範囲や戦力規模をエスカレートすることが許容される。だが、日本政府は戦略・戦術、保有装備にも各種の制約を設けている。その結果、現状は自衛隊の攻撃能力の不保持―米軍への全面的依存という特異な状況となっている。

 日本の外務省仮訳では、国連憲章第五十一条の"armed attack occurs" を過去形に訳している。だが、英語などの正文では現在形になっているので、自衛権は事態が切迫している場合にも、反撃の武力行使が可能だ。日本では自衛権の行使にさらなる制約を課すことに汲々としているが、主要国ではブッシュ・ドクトリンを受けて先制自衛を容認する学者が増えている。だが、敵基地攻撃能力を持つことは先制自衛の概念とは同一ではない。攻撃力なき防衛力は、所期の「自衛」を達成できないことを自覚すべきである。