『日本』平成29年9月号

新学習指導要領の改訂のポイントと問題点―その眼目は“日本人の育成”にある―

橋本秀雄  元公立中学校長

 学習指導要領とは小・中・高等学校において指導すべき内容や方法を示したもので、各学校の年間教育計画を作成する時の規準とされている。教師も授業の単元構成や指導案を考える際、教材のねらいなどを確認するためによく参照する。また教科書は学習指導要領の内容を踏まえて執筆・編集され、文部科学省の教科書検定もそれを規準に行われている。今日まで我が国の児童生徒が世界でも高い学力を維持して来られたのは、教師等の努力にもよるが、学習指導要領に基づく教育行政の功績も大きい。

 このような学習指導要領は、昭和二十二年、アメリカの「コース・オブ・スタディ」を参考に文部省が試案として作成して以来、ほぼ十年ごとに見直され、部分改訂を含めて今回で八回目の改訂となる。

 今年三月、文部科学省が告示した新学習指導要領は、小学校で平成三十二年から、中学校で平成三十三年から全面実施となり、平成三十四年からは高等学校で学年順に実施されていく。ただ移行措置によって先行する領域や教科もあり、現在の小中学生から新学習指導要領による教育を受けることになる。その成果は十年後、二十年後に現れるが、我が国の抱える課題を解決しうるかどうかが問題である。

学習指導要領の問題点

 文部科学省の説明によれば、これからの世界はグローバル化が一層進み、人工知能の飛躍的な進化により、社会は加速度的に変化する。そのような先の読めない社会にあっても、志高く未来を創り出していくために必要な資質・能力は何かを考え、社会と学校がそれを共有し、連携して「地域に開かれた教育課程」を創ることが重要であるとする。確かに囲碁・将棋の世界で、人工知能はまだ当分の間、人間の力に及ばないと言われていたのに、今年の対戦では人間が負けている。

 しかし今日の我が国は、それより切実な国の存立に関わる問題を抱えている。アメリカの力の衰退と中国の急伸のもと、北朝鮮による核・ミサイルの挑発があり、中国による尖閣列島侵略の危機がある。こういう情勢にあって独立国家として存続するため、国民はどうあるべきか、そのための資質・能力の育成を考えねばならない。しかし、今度の中央教育審議会ではそのことを議論されたのかどうか、発表された資料からはうかがえない。従来のように平和な状況が続くとの前提で考えられたのであろう。

 ただ今回、教育内容の改善事項にわずかに「海洋に囲まれた多数の島からなる我が国の国土に関する指導の充実」(小・中の社会科)とあり、領土問題についてより詳しく教えるようにしたことは評価できるが、「主権者教育」「消費者教育」「防災・安全教育」などの充実の“など”に含まれている程度である。

机上論の感もある新指導要領「三つの目玉」

 新学習指導要領の目玉の一つは「主体的・対話的で深い学び」の充実である。これは平成十年の学習指導要領で登場した「生きる力」の育成を推進するものである。当時も社会の変化に対応出来る人間の育成が課題となり、基礎・基本を身に付け、自ら学び自ら考える力を「生きる力」として、その育成こそ、これからの時代を切り開くものと考えられた。それから二十年程経つが、児童生徒の姿に十分表れていないと中央教育審議会は評価したのである。その原因の一つは言葉の意味するところが現場で共通理解されていないからとして、学力の要素の①知識及び技能 ②思考力、判断力、表現力は従前のままとし、③主体的に学習に取り組む態度を「学びに向かう力、人間性」と変え、さらに指導方法として「アクティブ・ラーニング」を通してその力を身に付けるとした。ところがそれも分かりにくく、外国語の濫用との批判もあって、「主体的・対話的で深い学び」を前面に出して来ている。

 しかし、これは児童生徒の学びの実態とかけ離れていないだろうか。「深い学び」は理想的だが、どれだけの子供たちが体感出来るだろうか。小学校で漢字の指導を徹底したところ算数の理解が進んだという実践報告もある。初歩の段階では漢字を覚えた、掛け算が出来るようになったという単純な「学び」も重要である。また中学生が数学の問題を解くのをパズル感覚でする「学び」もある。高校生の中には中学生レベルの問題が解けない者も少なからずいる。「深い学び」を一律に求めるのではなく、「学ぶ」段階に目を向けるべきではないだろうか。ただ今回、「態度」を「学びに向かう力、人間性」としたことは良かった。「学は人たる所以を学ぶなり」(吉田松陰「松下村塾記」)と言われるように、学ぶ目的は人間性の向上にある。未熟な自分を向上させたいと思えば学ぼうとする気持ちも出てくる。学力に人間性を加えたことは「学び」の本質に沿うだろう。

 二つ目に「各学校におけるカリキュラム・マネジメントの確立」が挙げられている。これまでの教育課程の編成と実施が「生きる力」の育成に結び付かなかったことを反省し、教科・領域の関連を強め、総体として力を発揮出来るようにするねらいがある。教師として目の前の子供たちの指導に当たるだけでなく、様々な教育活動で求められる資質・能力を明確にし、つながりを持って指導が出来ることが求められている。しかし、この項はよほど学習指導要領の趣旨に精通し、教育課程の編成実務を担当する教務などを経験した者でない限り、具体的なイメージが浮かばないのではないかと思う。

 三つ目に、教育内容の主な改善事項として「言語能力の確実な育成」「理数教育の充実」「伝統や文化に関する教育の充実」「道徳教育の充実」「体験活動の充実」「外国語教育の充実」を挙げている。

「議論」だけでは道徳心は育たない

 注目の道徳教育については「道徳的価値を自分事として理解し、多面的・多角的に深く考えたり、議論する道徳教育の充実」としている。それを受けてであろう。先頃公開された小学校の道徳科教科書は、教材の多くが疑問を抱かせるような設定の資料になっている。しかし、道徳心に訴える良い資料は静かに読むことで感動し、道徳性を会得する。確かに討論を通して色々な考えを知り、深く考えるきっかけは得られるが、表面的な議論に終始して、心に落ちない結果とならないよう配慮すべきである。

 もう一つ話題に上ったのは「外国語教育の充実」である。小学校の中学年から「外国語活動」を入れ、高学年で「外国語科」を正式な教科としている。本来、小学校では全ての基礎となる国語にこそ力を入れるべきだが、日本人の発信力を高めるということであれば、この際、教材は日本の自然、文化・伝統に取材したものとし、我が国に誇りと自信を持つよう指導すれば相乗効果が望めるであろう。

 その他の重要事項として「幼稚園教育要領」「初等中等教育の一貫した学びの充実」「情報活用能力(プログラミング教育を含む)」など六項目が挙げられている。「初等中等教育の一貫した学びの充実」は今回の目玉でもあって良いとして、情報活用能力の育成のために小学校から「プログラミング教育」を加えるのは負担が大きいのではないか。

 学習指導要領は改訂される度に新たな概念や手法が提示され、指導内容も多岐にわたって来ている。そのため学校は多忙を極めており、大切な役割を失ってきている。我々は日本の自然・歴史・伝統の中で生まれ育ち、特色ある民族と国家を形成して来た。学習指導要領の眼目は日本人の育成にこそある。教育基本法が変わって十年余。日本の文化・伝統に基づく正統な学習指導要領を創る秋(とき)であろう。