『日本』平成29年10月号

「働き方改革」の問題点を探る

野宗邦臣 ビジネスマン育成塾代表

 「人間が幸福であるために、避けることのできない条件は、勤労である」(トルストイ)

 平成二十四年、第二次安倍内閣は経済政策としてアベノミクス(大胆な金融政策・機動的な財政政策・民間投資を喚起する成長戦略)を掲げ、諸政策を実施しましたが、大胆な金融政策は大きな成果を上げたものの、その他は成果に乏しいものでした。

 そこで平成二十七年、安倍内閣は新たな政策を目指し、新三本の矢として、①希望を生み出す強い経済(GDP六百兆円)、②夢を紡ぐ子育て支援(出生率一・八)、③安心につながる社会保障(介護離職ゼロ)――の三項目をキャッチフレーズとしました。

働き方改革実行計画

 これらを実現するためには「一億総活躍社会」の実現が必須であるとの認識の下に、「働き方改革実現会議」(安倍首相他八大臣と経済界・労働界・学者・エコノミストなどの有識者十五人)を設け、議論を重ね、今年三月、以下の『働き方改革実行計画』を決定しました。

・同一労働、同一賃金など非正規雇用の処遇改善

・賃金引上げと労働生産性向上

・罰則付き時間外労働の上限規制の導入など長時間労働の是正

・柔軟な働き方がしやすい環境整備

・女性・若者の人材育成など活躍しやすい環境整備

・病気の治療と仕事の両立

・子育て・介護等と仕事の両立、障害者の就労

・雇用吸収力、付加価値の高い産業への転職・再就職支援

・誰にでもチャンスのある教育環境の整備

・高齢者の就業促進

・外国人材の受入れ

 端的に言えば、働き方改革は、わが国の根底を支える労働に関しての大改革であり、戦後の労働三法(労働基準法・労働組合法・労働関係調整法)制定に匹敵するほどのものです。今回の改革は日本の企業文化そのものを左右する重大なことであり、多面的な検討が必要であることは言うまでもありません。

同一労働同一賃金など非正規雇用の処遇改善

 平成二十八年の労働力調査によれば、全雇用者五、三七二万人のうち、正規従業員は三、三五五万人、非正規従業員は二、〇一六万人、非正規従業員は三七・五%を占める存在となっています。

 これまで、わが国の労働現場においては、就業形態(正社員・契約社員・派遣社員・パート・アルバイト)による格差があり、今回の改革によって非正規雇用者の処遇を改善すべく、不合理な待遇差の解消を目指し、政府としてガイドラインを策定します。処遇改善の対象は、基本給は言うに及ばず昇給、ボーナス(賞与)、各種手当(役職・特殊勤務・時間外、深夜、休日の割増率・通勤、出張・単身赴任・地域)、福利厚生、教育訓練など全てを含みます。

 こうなると、経営側から見るとかなりのコストアップ要因となることは間違いなく、労働生産性の向上と併せて進めなければならないことは明白です。また、同一労働、同一賃金を単純に徹底すればするほど、有能な従業員はやる気を失います。そうならないためにも、有能な従業員の処遇に配慮する能力給システムを設定することが重要になります。

罰則付き時間外労働の上限規制の導入など長時間労働の是正

 働き方改革実行計画では、時間外労働の限度を月四十五時間、年三百六十時間とし、違反には罰則を科すとしています。また、前国会からの持越し法案として、①フレックスタイムの見直し、②企画業務型裁量労働制の見直し、③特定高度専門業務・成果型労働制(高度プロフェッショナル制度)の創設があり、今秋の国会で併せて審議されます。

 長時間労働については、平成十四年(二〇〇二)「KAROSHI」という単語がオックスフォード英語辞典に登録され、日本のある種、悪名高き労働実態が世界に知れ渡りました。それ以後も労働の実態が改善されていないことは、「電通事件」で明らかです。

 最大手広告代理店の電通社員・高橋まつりさんは、平成二十七年四月、東大卒で入社、同年十月本採用、同年十二月二十五日、電通女子寮四階から投身自殺。電通は警察の家宅捜索を受け、平成二十八年九月、労基署は、入社一年目にして月の残業百五時間を確認し“労災”認定としました。

 まだ実社会の仕組みと業界用語さえ不案内な入社一年目の社員に対し、企画立案の仕事を任せる会社は異常であり、一種のパワハラとも言えます。残業時間も百五時間はあまりにも多過ぎますが、上司との人間関係が上手く行っていれば少々のことでも楽しく仕事が出来るもの。電通問題は単純な残業時間だけの問題ではなく、上司がモチベーション(動機づけ)を与えたのかどうかにあると言えるでしょう。

 高度プロフェッショナル制度は、米国のホワイトカラー・エグゼンプション(頭脳労働者脱時給制度)の日本版として、時間外・深夜・休日の残業代をゼロにする制度であり、年収一千七十五万円以上の従業員を対象とするものです。企画業務型裁量労働制の見直しは、従来の基本給に残業代を組み込む定額残業代制の対象を、課題解決型提案営業や事業運営において企画・立案・分析を行う業務にまで範囲を大幅に広げようとするものです。アメリカでは、オバマ大統領が、ホワイトカラー・エグゼンプションで何百万人もの残業代や最低賃金が保護されていないとして見直しを指示したこともあり、これらには大きな問題が含まれていることを認識して議論を進めるべきであり、拙速は禁物です。

Labor(苦役) と Work(仕事)

 本来、働き方改革は、企業側の「生産性を上げる」ということに加えて、従業員が「仕事を通じて豊かな人生を送ることができる」ということの二つが満たされるものでなくてはなりません。

 そう考えれば、今回の働き方改革には、企業は単純にカネのみ、従業員は単純に時間のみという側面が出過ぎ、働くということの意味が議論されていないことに気付きます。日本社会にとって極めて重要な“働く”ということを、今一度掘り下げて考えてみることが必要だと考えます。

 労働という言葉には、二つの意味があります。一つは「Labor」(苦役)、一つは「Work」(仕事)。苦役とはつらく苦しいもので大昔の奴隷の労働を意味しています。もう一つは仕事であり、仕事をすること自体に人生の達成感や充実感があります。我々が苦役を選ぶか、仕事(勤労)を選ぶかは、おのずから明らかであり、仕事を通じて豊かな人生を送ることが出来るならばそれに過ぐる喜びはないのではないでしょうか。

 今秋の国会での働き方改革の議論が、党利党略から離れ、真摯(しんし)に行われることを望みたいものです。