『日本』平成30年9月号

明治維新を起点とする時代区分 ― 百五十年の近代化の変遷とその後の予兆

若井勲夫/日本教師会会長・京都産業大学名誉教授

 本年八月四・五日、東京において、日本教師会第五十八回教育研究大会が東京都教師会の主管により開催された。研究主題は「近代教育の再検討―何を得て何を失ったか」であった。その趣旨は明治維新百五十年記念の年に際して、近代教育の出発から今日に至るまでの教育を振り返り、その意義と課題を検討して、今後の教育への道筋を開かうといふものである。ここでは、教育に関はつて近代化の展開の流れを概観して歴史的に跡付け、時代区分を根底に据ゑ、将来の方向と教育のあり方を考へる。

明治維新百五十年の意義

 五十年前に、明治百年か明治維新百年かが論議になつたが、百五十年に際し、そのことは話題にならず、盛り上りに欠けるやうに見受けられる。それ以上に、「革命」といふ語さへ使ふ向きがある。五十年を経て、明治はさらに遠くなり、歴史的な意義が薄れてきてゐるのではないか。明治百五十年は単に時間的な経過、流れを表してゐるだけで、表面的な量を言ふだけである。一方、明治維新百五十年と言へば、俄然、生彩を帯びて質的に歴史につながつていく。明治維新は「神武創業」に還ると宣言され、建国の精神に基づき、日本国家の本質、天皇と国民のあり方を明らかにして、道義国家の構築を目指した。前代の封建制度を克服し、わが国の歴史の道統、さらに大化の改新、建武の中興に回帰して、復古による一新に努めたのである。

真の保守とは

 右に述べた考へ方は、政治的に言へば保守的である。では保守とは何か。これに指針を与へてくれたのは、評論家の福田恆存氏の「私の保守主義観」であつた。(『常識に還れ』、昭和三十五年、新潮社)。保守的な態度(註、生き方ないし考へ方)といふものはあつても、保守主義などといふものはありえない。……保守的なその態度によつて人を納得させるべきであつて、イデオロギーによつて承服させるべきではないし、またそんなことは出来ぬはずである。……保守派が保守主義をふりかざし、それを大義名分化したとき、それは反動になる。

 この「保守派」を「教師」と置き換へて読み直すと、まさに教師の「生き方」を示す。一個人は無力、非力であり、先人、先哲、古典に学び、古来の伝統、習慣、制度に敬意を持つて守り育てる。一方、省みては改善、改良し、新しいものを創つていく。左翼のやうに未来を基準にして、またイデオロギーによつて過去と現在を批判し、断罪するだけでは何も生み出すものがない。明治時代の評価も傲慢に否定するだけでは、歴史の継承もなく、従つて未来にもつながらない。

時代区分の考へ方 ―― 近代第一、第二期

 さて、明治維新百五十年の展開を考へる時、どのやうに時代区分ができるのだらうか。それは、時代をつくる主体的な自覚と自主的な責任があるかどうかである。時間は常に流れてゐるが、歴史的な時間はそのやうな時間の、べたの連続や経過ではない。時代の流れを量的に捉へるのではなく、質として価値的、意義的に捉へることである。変遷や沿革は歴史たり得ず、単なる変化、羅列であり、時代を画する力がない。西田哲学の最後の門下生、大島康正氏は『時代区分の成立根拠』(昭和四十二年、理想社)の「時代区分の主体的な根拠」の章で「歴史的理念、主体的時間、現代の実践、歴史的時間、主体更新の行」と五節にわたり論述する。このキーワードから、時代を区分する根本的な考へ方が導き出されよう。

 そこで、百五十年の時代を考へると、明治・大正を一括できても昭和全体まで続けられない。昭和は戦前と戦後に断絶があり、戦後は現代まで同列である。昭和を前期、後期とすると、時間の流れを言ふだけで中身がない。そこで明治・大正・昭和戦前(前期)と昭和戦後(後期)・平成とを、それぞれ一時代とする。その区切りの時はちやうど百五十年の真中で、それぞれ七十五年の期間で、時代を画し、すなはち時代区分がなされ、近代第一期、近代第二期(あるいは現代期)と位置付けることができる。

 では、近代の第一期はどういふ時代であつたか。明治前半では鎖国を解き、世界に躍り出た。西洋に急いで追い付くべく模倣し、文明開化として世に迎へられた。しかし、西洋列強に対抗するには国力の差は大きく、ひたすら富国強兵に傾いた。近代化とは西洋化のことであり、そのために江戸時代の価値が不当に貶(おとし)められた。明治天皇はこのことを憂へ、明治二十三年に教育勅語を煥発され、日本人を育成する道を示された。これで近代教育の方向が定まつたが、列強のアジア侵略に対して、総力をあげて戦ひ、大東亜戦争に敗北した。これにより七十五年の蓄積が崩壊し、国情や価値観が一変した。

 続く時代は近代の第二期として位置付けられ、連合国軍の占領政策によつて、前代が再び否定された。第一期で欧米の圧力のもと前代を自らの意志で否定したが、今度は列強、とりわけアメリカの強権によつて排除されたのである。この全否定は歴史の継承の断絶であり、日本人の拠つて立つ基盤の喪失であり、歴史、伝統と結び付かない。教育面では学校制度の改革、教科目の改廃、国語政策など、再び西洋化が外圧によつて行はれた。前代の価値を批判して否定することと西洋に準じる教育が、二度にわたり西洋の圧政と日本人の従順な態度によつて実行されたのである。加へて、根本的に占領憲法たる日本国憲法が公布された。このやうにして、日本人は日本人たる意識と自覚を徐々に失ひ、西洋化といふよりアメリカ化が広く、深く浸透し進んでいつた。

近代第三期はどのやうな時代になるか

 平成時代は来年四月で終はり、新しい天皇が即位される。この節目が近代第三期(現代第二期)としてどのやうに時代区分されるか。今の世の中を見てゐると、これまで備へてゐた日本人の教養、信条、生きる態度、常識が目に見える形で動揺し崩壊しつつある。経済成長を遂げ、生活水準も向上し、社会保障や福祉政策も手厚くなつた。しかし、少子・高齢化、都市集中と地方の衰退が進み、国力が徐々に低下する。世が繁栄するに伴ひ、国民の精神力と道徳律が弱化してきてゐるのではないか。政官財の不正の横行と倫理の頽廃、警官や教員の犯罪の増加が目立つ。また、価値観や個性の多様化の美名のもとに、規準やけじめの崩壊、家族や絆の弱化、ネット社会の被害など前代に見られなかつた惨状を呈す。

 教育面でも新学習指導要領の目標は、国際化・グローバル化・情報(IT)化を掲げ、授業の方法もアクティブラーニング、課題解決型・参加型学習、さらに小学生までに実用的で会話重視の英語必修などが用意されてゐる。ここには日本人をどう育成するかといふ視点がなく、戦後直後の経験主義学習による基礎学力の低下も懸念される。時代区分から考へると、三たび西洋化・アメリカ化どころか、それを超え、外圧といふより日本人自らが世界化・地球一体化を進めようとしてゐる。

 明治維新百五十年に至つて、国民は変質・変容し、国家の基盤が揺らぐ時代に入つたやうである。ここで日本人的な生き方、日本の文化を回復し、それを培(つちか)つて、歴史と時代を形成しようとする主体的な自覚と責任を持たねばならないのである。