
令和3年10月号目次
■巻頭言 ■順徳天皇を偲びまつりて(四)= 完― 承久の変が明治維新を導き出す ―/平泉 澄 ■今月の課題 東京オリンピックと武漢コロナ、そして日本文化/永江太郎 ■「軍国少女」田辺聖子の作家活動 /袴田茂樹
■巻頭言 ■順徳天皇を偲びまつりて(四)= 完― 承久の変が明治維新を導き出す ―/平泉 澄 ■今月の課題 東京オリンピックと武漢コロナ、そして日本文化/永江太郎 ■「軍国少女」田辺聖子の作家活動 /袴田茂樹
本誌の昨年十二月号に、同趣旨を、私はソニーの創業奢の一人、井深大会長の名著などを引用して述べた。再読を望むが、私が井深さんにお目にかゝつたのは、文部省の中央教育審議会の席で、五十年以上前、私も四十代前半であつた。
今からおよそ八百年以前、鎌倉時代の初期、後鳥羽天皇が離宮を造営され、淀川に近い水無瀬(みなせ)の里に水無瀬殿を設けて、しばしば来遊された。当時は「水無瀬御所」とか「広瀬御所」とよばれていた。
皇者(おおきみは)。神二四座者(かみにしませば)。天雲之(あまくもの)。雷之上尓(いかずちのへに)。廬為流鴨(いおりせるかも)。 (大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬りせるかも) いきなり、問題です。この歌は誰が作つた歌だと思ひ(い)ますか。