
令和4年2月号目次
■巻頭言 ■ 日本の国家建設(下)― 学術的成果の紀元節 ―/平泉 澄■今月の課題 「こども庁」「こども基本法」論議の問題点 /髙橋史朗■参議院選で憲法改正を問えば左翼勢力は衰退 / 宮崎貞行
■巻頭言 ■ 日本の国家建設(下)― 学術的成果の紀元節 ―/平泉 澄■今月の課題 「こども庁」「こども基本法」論議の問題点 /髙橋史朗■参議院選で憲法改正を問えば左翼勢力は衰退 / 宮崎貞行
『寒林子詠草』に「昭和二十九年一月十九日 存道館記碑の篚中に」と詞書にあるとほり、建碑の際、銅板に刻まれ、台座石の穴中に納められた詠歌である。 碑は存道館文館の、玄関左側に建てられ、除幕式はその年の八月一日であつた。序幕は現理事長平泉隆房氏、当時、小学校五年生であつたと記録に残る。詳細は本誌三十九年九月号に見える。
私が丹羽教子様に初めてお声がけしたのは、平成二十二年十一月、徳山湾沖に浮かぶ大津島(山口県周南市)で挙行された「回天烈士並びに回天搭載戦没潜水艦乗員追悼式」(以下、「回天追悼式」)でのことであった。
私は、昭和二十二年に広島県の呉市で生れた。呉にはGHQの中国四国司令部が置かれたため、物心がついた頃には「進駐軍」の兵隊がジープを乗り回し、街を闊歩してゐた。 父は昭和十八年に応召し、南方を転戦してニューギニアで終戦を迎へたといふことで、復員したときには、胃腸の機能は殆ど失はれてゐた。