雑誌『日本』一覧

巻頭言

著者光田明正氏は、漢民族系の帰化人である。一九三六年に台北で生まれ、東京大学を卒業後、文部省入省、桜美林大学教授などを歴任。氏は言ふ、「何が民族固有のもので、何が伝来で何を付加したのかをきちんと把握していないと、民族存立のために堅持しなければならないもの、進歩のために変えてもよいもの悪いものの取捨選択ができない。

續々 三島由紀夫氏の遺したもの(下)

前回は、幕末から明治維新にかけて、日本人が欧米列強の侵略の脅威をかはし、国内の混乱をおさめた上で維新の大業をなし得たのは、ひとへに武士階級が日ごろ文武の士道の鍛錬を怠らず、公のためには生命を投げ出す覚悟と勇気を養つて来たからに他ならないことを述べた。

忘れられない私の旅

民放のテレビ業界では、伝説的な長寿番組が二つあるといわれる。一つが、昭和四十一年(一九六六)にスタートし、今なお驚異的な視聴率を誇る演芸バラエティ『笑点』。そして次に続くのが昭和四十五年(一九七〇)、大阪万博の年に始まった『遠くへ行きたい』という旅番組である。

巻頭言

長い学者生活の間に、世界の各地で学び、教へ、講義し、教へ子を持ち、日本でも留学生を教へた。米国で学生三年、教授四~五年、教授としてドイツ・シンガポール・韓国を各半年。その間、私の一年二カ月の旧陸軍少尉までの奉公の履歴は、常に敬意を払はれた。特にドイツではさうであつた。

 戦艦大和と伊藤整一大将

日本海軍の誇り、戦艦「大和」は、“不沈艦”とまで謳われたが、昭和二十年四月、沖縄に侵攻した米軍を撃つべく、最後の連合艦隊として出撃した。南朝の忠臣楠木正成公の旗印をとって「菊水作戦」と命名された。激闘二時間あまりの末、満身創痍(そうい)となって、今も徳之島西方の海底深く眠っている。

 佐久間艇長と職務完遂

皆さんは、海軍大尉佐久間勉(だいいさくまつとむ)という第六潜水艇の艇長を知っていますか。恥ずかしながら、私は、海上自衛隊幹部候補生学校に入校して初めて知りました。戦前では修身の教科書に沈着勇断の士『沈勇』として掲載されていて知らぬ人は居なかった人物です。

巻頭言

二十世紀は日露戦争とロシア革命で明け、ロマノフ王朝は滅亡した。代つた共産国ソ連も、崩壊消滅した。また七つの海を支配してゐた大英帝国も、勝利した第二次大戦後に四分五裂し、その世界形成への影響力は一挙に縮小した。嗚呼(ああ)、何といふ世界情勢の激変であるか。

楠公と住友、そして水戸学

大阪府下の千早神社に詣でたことのある方は、社務所の前の階段を上っていくと左右に石柱が林立していることをご存じであろう。これらの石柱は千早神社のために浄財を提供した方々の氏名を記録したものである。

巻頭言

『寒林子詠草』に「昭和二十九年一月十九日 存道館記碑の篚中に」と詞書にあるとほり、建碑の際、銅板に刻まれ、台座石の穴中に納められた詠歌である。 碑は存道館文館の、玄関左側に建てられ、除幕式はその年の八月一日であつた。序幕は現理事長平泉隆房氏、当時、小学校五年生であつたと記録に残る。詳細は本誌三十九年九月号に見える。