雑誌『日本』一覧

巻頭言

昭和三十五年(一九六〇)降誕の皇太子徳仁親王は、平成五年(一九九三)六月九日、小和田雅子嬢(昭和三十八年十二月九日生まれ)と結婚され、今月九日、いわゆる真珠婚を迎えられる。

水戸学に関する新刊二書を読む(下)

前号で紹介したやうに名越時正氏は『水戸学の道統』の第一章では水戸の先哲について紹介してゐる。 第二章では、第一節「先憂」において、「一、大津浜事件」で、文政七年、北茨城の大津浜の沖に英船二隻が来航し、十二名が上陸した顚末の概略を述べ、

フルマラソンへの挑戦

皆さんはメキシコにどんなイメージをお持ちですか? 多くの人は乾燥した土地にサボテンが生えているような場所をイメージするのではないでしょうか。私は、まさにそんな風景が広がる地域で育ちました。

巻頭言

旧暦五月二十五日(新暦七月十二日)は、楠公戦死の日である。後醍醐天皇の建武中興は、足利高氏の謀叛により崩壊した。官軍は一度は高氏を九州まで追ひやつたが、かの地で態勢を立て直した高氏は、延元元年(一三三六)四月三日に大宰府を発し東上してきた。朝廷における楠公の献策は入れられず、兵庫に迎へ撃つこととなつた。

日本人が知るべき原爆投下の真の背景と理由

五月十九日から二十一日まで、G7広島サミットが開催されます。恐らく、世界の核廃絶に向けて努力するなどという声明が発表されるでしょう。 我々は日本人として、また、史上唯一の核の被爆民族として、二度とこのような悲惨な民族史を繰り返さないためにも、G7広島サミットを契機に、原爆投下の歴史経緯を正しく再認識しなければなりません。

国史学研究の信念 ― 皇室と記紀 ―

皇學館大学に入学し一年時は精華寮で寮生活、二年進級時に皇學館大学元学長の田中卓先生が主宰されていた「伊勢青々塾」に入塾しました。そこで吉田松陰先生の『講孟箚記(こうもうさっき)』を教本として輪講が行なわれている事を初めて知りました。

巻頭言

この一文は、平泉澄博士が昭和二十二年十月二4 十日付けで、「佐々木兄を通じて、親愛なる同学諸兄におくる」と後書きされてゐる書状の中で紹介されたもので、「年表(稿) その一」、同年十月十4 日の条に「東京及び京阪同学への教示(書翰)」と見えてゐるのがこの書状と思はれる。

万葉集古義に学ぶ(十)

前回、東(あずまうた)歌や名も無き民の歌など、巻の第十三から十六までを中心に駆け足になりましたが学んできました。「良いな」と感じた歌はありましたか。繰り返しになりますが、今回も「良いな」と感じた歌があれば、声に出して読んで、さらに暗記してみてくださいね

巻頭言

明治二十三年(一八八九)公布された『大日本帝国憲法』の制定に最も尽力したのは、伊藤博文である。 伊藤は、一方で日本古来の法制を調べさせ、他方で同十五年に欧州を尋ね、ドイツでR・グナイスト(一八一六~九五年)やオーストリアでL・シュタイン(一八一五~九〇年)に学び、とりわけ後者に共鳴を覚えた。