巻頭言

日本国憲法制定の背景

米政府は、戦後対日政策の準備を一九四五年初秋の停戦の遥か以前に開始した。日本が受諾したポツダム宣言の条件が政治機構を自由化民主化方向に改革する事を要求していた。米政府はそれを下記二条件として公文書に残した。即ち
⒜ 日本は、合衆国及び太平洋地域の他国の脅威となってはならない。
⒝ 合衆国は、国益として、日本の政府が他国の権益と日本の国際的義務を順守することを要求する。

更に付言した。日本の陸海軍は廃棄され、国家は軍事占領と統治の下におかれる。また軍国主義の除去のため、次の六項目を特記する。
1 再軍備防除のため軍事的査察
2 戦力の再建防止のための経済査察
3 民主思想奨励に新聞・ラジオ・映画、学校の活用
4 軍国主義の弊を指摘し、穏健自由な思想を奨励
5 自由で穏健な日本の思想を奨励し、文民政治を奨励
6 超国家主義団体を抑圧

H・セオドール・マクネリー博士論文「一九四五―四六年の日本の憲法改訂への国内国際的影響」より

十月号巻頭言「日本国憲法」解説
市 村 真 一  京都大学名誉教授 

恐らく今もまだ日本国憲法が制定された真の裏表の事情は、明らかではない。特に米側の事情を詳しく記録するのは、ここに紹介してゐる、H・T・マクネリー教授の博士論文であらう。実は、一九五〇年秋、コロンビア大学のジョンジェイ・ホール学舎のダイニングルームで、彼と偶然出会つてそれを知つたのである。二人共大学院生であつた。

一人で早めの夕食を始めてゐた私に、米人学生が話しかけた。「日本から来ましたか」。私、「そうです、貴方は」。マ氏、「私は占領軍の将校でしたが、当時、日本憲法の制定が担当でした。今それについて政治学の博士論文を書いてゐます」。私、「私は経済学ですが、憲法とは重大ですね。新憲法には後悔が多いでせう」。マ氏、「確かに問題は多いですが、万事後の祭りですね」。私、「いや、今からが難問でせう。朝鮮は日本の脇腹ですからね」。

再会を約したが、果たせなかつた。私が、一九九六年コロンビア大学客員教授だつた時、彼の博士論文は五二年に受理され、彼はメリーランド大学教授と知つた。論文は大学図書館で複写して貰つた。池田内閣当時の政府憲法調査会報告『日本国憲法制定の由来』(時事通信社、昭和三十六年)が引用してゐるのは、この論文であらう。米国の初期の厳しい左翼的な思想に影響された占領政策が背景にある。朝鮮戦争により一変するのは憲法制定後で、次回に触れる。