巻頭言

マッカーサーの覚書三カ条

Ⅰ 天皇は、国家の元首(head) である。
その地位継承は世襲による。
その権力は憲法に従つて行使され、そこに示された国民の基本的意向に責任を負ふべし。

Ⅱ国家の主権の一部である戦争は廃棄される。日本は紛争解決の手段としても、自国の安全保障のためにも戦争を否認する。己の自存自衛のためには、日本は今や世界を衝動してゐるより高い理想を信頼する。日本の陸海空軍は今後承認されず、交戦権はいかなる勢力にも与へない。
Ⅲ 日本の封建制は終結すべし。皇族以外の華族は、現存する者の存命中を除き、すべての特権を失ふ。現時点以後直ちに華族は政治上の公私の特権を失ふ。

マクネリー博士「日本国憲法改定への国内国際的影響」より

十一月号巻頭言『マッカーサー覚書』解説
市 村 真 一 / 京都大学名誉教授 

Theodore H. McNelly, Domestic and InternationalInfluences of Constitutional Revision in Japan, 1945-46 は一九五二年にコロンビア大学が受理した博士論文である。今日の今日まで同内容は公刊されてゐないと思つてゐたが、彼自身、その要約を The Origins of Japan’s Democratic Constitution, MD University Press of America, 2000 として出版してゐた。私は未見である。

元論文の抄訳もある。小林昭三訳『日本の憲法改正にたいする国内的・国際的影響(抄)』(憲資・総第三五号、憲法調査会事務局、昭和三十四年)である。先月号の解説で言及した『日本国憲法制定の由来』中のマクネリー所見は、これからの引用であら
う。

現憲法制定の経緯は内外で出版物も多く、意見も割れてゐる。T・マクネリー教授の博士論文の表紙と目次一頁の写真を示すが、同大学図書館資料の複写である。それは、以下の十一章と付録よりなる。
Ⅰ 日本の憲法改訂の必要性
Ⅱ 近衛文麿公爵の日本憲法改訂の試み
Ⅲ 幣原内閣と松本烝治提案
Ⅳ 諸政党とその提案
Ⅴ 若干の個人と団体の提案
Ⅵ 占領軍総司令部と新しい日本国憲法
Ⅶ 極東委員会と新しい日本国憲法
Ⅷ 日本の輿論と吉田内閣                                                      表紙                目次
Ⅸ 衆議院と新憲法
Ⅹ 貴族院と新憲法
Ⅺ 結論:日本の憲法改訂への諸影響

付録 ⑴ 終戦の天皇の放送、⑵ 近衛公の改正案の切り口、⑶ 自由党改正案の切り口、⑷ 進歩党改正案の切り口、⑸ 社会党改正案の切り口、⑹一九一一年議会法、⑺ 一九四六年三月六日の改正憲法草案

マクネリー教授は当時、占領軍の将校として総司令部の中枢にあり、日本憲法改訂の過程を直(head)(じか)に観察できた。故に、六章と七章が記録する米軍幹部間の会話や日本側とのやり取りは、彼の傍聴記録で貴重である。

巻頭言の「マッカーサーの覚書三ケ条」は、第六章の初めに出てくるが、それまでの日本側の諸準備を知つた米側は、それに満足できず、彼等の案の作成を急いだ。このマッカーサー・メモを見れば、日米間の差がいかに大きかつたかは明々白々である。この線でまとめたのが第一次草案で、三月四日に日本政府に提示され、日本側に大ショックを与へたとマクネリーは書く。日本代表は「真つ青になつた」。それから二日二晩、双方が火花を散らす。日本代表団の心中を思ひ、激しい討議を一案にまとめた苦心の様は読んでゐて息が詰まりさうであつた。さうして出来上がつた三月六日案が、米国の提示案として国会審議の基礎となり、両院の討議をへて翌年に制定公布されたのが今の憲法である。両院は実に重大な修正を加へた。それがなければ、日本国憲法は到底「解釈改憲」で今までもたず、内政の混乱は計り知れなかつたであらう。

実は、日本が戦後処理に手間取る間に、世界情勢、特に欧州の情勢が急変した。ソ連はもはや米国の同盟国ではなく、むしろ敵国として牙をむき始めた。訪米したチャーチルが、鉄のカーテンが下りたと警告した米国ミズリー州フルトンでの有名な演説が一九四六年三月、やがてトルーマン大統領がギリシャ問題を契機に「ソ連封じ込め宣言」をするのが、翌年三月十二日。日本国憲法施行の二カ月前、世界は「冷戦」時代に突入してゐた。

そして周知のごとく、一九五〇年、朝鮮戦争の勃発となり、警察予備隊の創設、自衛隊への改編へと進む。軍隊を持たない国家などを夢想する憲法など、雲散霧消した。日本国憲法の根底にあるのは、巻頭言に見る様な希望的観測ではないか。

回顧すれば、占領軍も、マッカーサーも、何といふユートピアンだつたことか。

巻頭言の註
マクネリー論文は、マッカーサー自身が symbol と修正したとマーク・ゲイン『ニホン日記』(一九四八年)を引用してゐる。