地政学から考える日本の針路

齋藤 仁 元埼玉県公立中学校長
一 国家論を不毛にする現実遊離の議論

(1)統治形態も文化も大きく異なる実在の国家

論理的思考を進めるには言語の抽象化が必要だが、 抽象化の余り、対象が内在する本質を除外して議論が進められることも少なくない。憲法九条に関する学者の議論はその典型である。憲法の存在しなかった古代からこの列島で暮らしてきた一億の民族が現存するのは動かせない事実であり、その民族の居住地や生命・財産を侵す勢力が来れば撃退するのは生物・民族とし 当然の行為である。

こうした現実から乖離(かいり)した空理空論を好むのは憲法 学者だけではない。歴史学者が語る「国家」や「民族」の歴史についても同様である。例えば、現在の「中国」は一九四九年に建国されたが、そこには一九一一年ま での約三百年間、満州人の国(清)があり、十三世紀 から十四世紀にかけてはモンゴル人の国(元)があった。 即ち、中国四千年の歴史と語るが、中世以降を見ても、その大地には時として漢民族の国が、時としてモンゴ ル人の国や満州人の国があった。異民族が統治した国家であっても漢民族が住んでいれば漢民族国家の歴史だとするのは詭弁(きべん)である。支配地にいる民族構成の比率がどうであれ、国家はその政府を創った民族のものである。民族としての歴史を語るなら、地球上に生存するどの民族も先史時代から連綿とした歴史を語る資格がある。だが国家の歴史と民族の歴史は異なる。国家の歴史と民族の歴史が重なる古い国とは、異民族の支配を受けた歴史を持たない日本のような国を言う。

古代エジプトは世界最古の国として紀元前三千年に存在した。しかしクレオパトラを最後に紀元前一世紀 にローマ帝国の領地となり、その後はサラセン帝国など外国勢力の支配を受け、第一次世界大戦後にイギリ スの支配を脱して漸(ようや)く民族国家となったのであり、 古代エジプトとの歴史の継続性はない。即ちエジプト 民族の歴史は五千年を超えるが、紀元後の国家の歴史は極めて短い。古代ギリシアも紀元前一世紀にローマ帝国の領土、次いでオスマントルコの領地となり、独立したのは一八三〇年である。ギリシア民族の歴史は約三千年を超えるが、国家の歴史はホメロスの時代を含めても千年に過ぎない。

他にも近代に大国の思惑で建国された人工的な国や、民族が複数国に散在した国、多民族多文化を内包する国、近隣諸国の勢力均衡によって辛うじて独立している国など国家の態様は異なる。それを無視した国家論は危険かつ無意味である。

(2)諸国家の権力闘争を未だに実感できない日本

有史以来、諸国家興亡の舞台となってきたユーラシア大陸の外縁で独立を維持してきた島国といえば、西のイギリス、東の日本が挙げられる。だがイギリスと大陸を隔てるドーバー海峡は三十余キロと狭いため古代ローマの時代から度々大陸の侵攻を受けた。一方、 東の日本と半島との距離は二百キロもあり、本土が侵攻された歴史は先の大戦を除けば、十三世紀末の元寇のみで、且つ北九州沿岸の戦闘で終焉したため対馬や 壱岐を除いて本土の被害はほとんど無かった。それが大陸諸国家の興亡に敏感なイギリスと鈍感な日本の国民性を創った。

支那事変の泥沼に深入りして対米戦争に突入したのも我が国が好戦的な軍国主義国だったからでなく、列国の情報収集を軽視していたことも原因の一つである。欧州で開戦の予感があった一九三九年夏、ルーズベルト大統領は、「ナチスがポーランドを攻撃する場合、もし英仏が対独宣戦をすれば、英仏はアメリカからあらゆる援助を期待できる」と通告している。アメ リカ世論は圧倒的に戦争反対だったが、大統領は開戦前に既にドイツとの戦争を決意していたのである。一九三九年の国内総生産(単位:億ドル)は、アメリカ 八六四〇、イギリス二八六九、フランス一九八九、ドイツ二四一〇、ソ連四三〇三、日本一九六〇であり、 いかにドイツ軍が強く、独ソ不可侵条約が成ったとこ ろで、アメリカが参戦する限り、ドイツが欧州を制覇することは不可能だった。

ところが日本は、欧州開戦の一年後に独伊と三国同盟を締結して、アメリカとの敵対を鮮明にした。さら に独ソ不可侵条約を信じた日本は一九四一年四月、事前に松岡外相はチャーチル首相から「早晩ドイツはソ連に侵攻する」との情報を得ていたにも拘らず、日ソ中立条約を締結している。一方のスターリンは締結前に独ソ戦不可避を知り、極東ロシアに配置していた軍を欧州戦線に移動している。そして締結二か月後に独 ソ戦は起きた。日本は敵性国家だけでなく、同盟国の企図も把握しきれないまま外交を進めていた。

そして終戦後の日本は、GHQを疑いながらも「戦争責任は日本にあり」とする戦勝者の理屈を受け入れることで、大戦で受けた深刻な心の痛みを昇華させ、 占領軍司令官を「正義の人」と崇めた。更に自国への失望感からか、スターリンや毛沢東、金日成、ガンジー、 スカルノなど外国の指導者を羨望(せんぼう) したが、その風潮をたしなめるマスコミも皆無に等しかった。

ベルリン封鎖や朝鮮戦争などの新たな紛争の勃発は 国民に世界の現実を覚醒させる好機だったが、学者やマスコミは進駐軍に代わって国連を「正義と平和の府」とする新たな幻想を説き、国連事務総長を平和の使者の如く喧伝した。米ソが対立する冷戦の最中にありながら、国連第一主義を唱える空疎な議論が知識人を中心に新聞・雑誌で展開されたのである。

(3)第二次大戦後も戦争は続いている

日本は戦後七十余年にわたって戦争をしていないが、世界には、国連発足後も戦争の途絶えた年はない。 大国が関わった主な戦争だけでも、朝鮮戦争(戦死者 百二十五万人)、ベトナム戦争(二百九万人)、フランスによるインドシナ戦争(三十六万人)とアルジェリア戦争(二十五万人)、ソ連によるアフガニスタン戦争(四十八万人)がある。また大国が直接関与しなかったイラン・イラク戦争(六十四万人)では、戦後の内乱の犠牲者も膨大である。バングラデシュ独立運動でパキスタンは三百万人のベンガル人を殺したとされるが、アフリカのコンゴ(ザイール)内戦の犠牲者も三百万人を超えており、ナイジェリアのビアフラでも二百万人の死者を出している。また内戦でもないのに膨大な死者を出した毛沢東の暴政(大躍進四千万人、文化大革命二千万人)や、カンボジアのポルポトによる二百万人の大量虐殺もある。

だが戦後も続く、こうした世界の現実を知ってもなお、「平和を愛する諸国民の公正と信義」と謳う憲法を遵守することが世界とアジアの平和に繋がると説く 学者や政治家が我が国には存在する。

二 国家・民族の命運を握る地政学

(1)戦乱の欧州大陸と「パックス・ブリタニカ」の時代

一七八九年に起きたフランス革命の余波は欧州全域に広がり、仏軍は嘗ての西ローマ帝国の領域まで勢力 を広げナポレオン帝国を築いた。それを打ち砕いたのが、島国イギリスの海軍力とロシアの広大な領土だった。そしてウィーン会議後、イギリスは圧倒的な海軍力を背景に、欧州大陸のパワーゲームの域外に立つことで、欧州の平和を維持するという「パックス・ブリタニカ」の時代を現出した。ただ、それは欧州を戦場とした覇権争いが無かっただけで、世界を舞台にした 欧米の植民地獲得競争は激化、アメリカはモンロー宣言で新大陸の覇権を主張し、イギリスはアヘン戦争で香港を割譲させ、セポイの反乱を制圧してインドの領有を進め、フランスは対岸アルジェリアの植民地化と同 時にインドシナに食指を伸ばし、ロシアはクリミア半島や中央アジア、極東アジアで南下政策を推し進めた。

(2)新パワーの登場とラッツェルの「生存圏論」

その競争に新たに名乗り出たのが、小国に分裂していたドイツである。ハプスブルグ家のオーストリアを叩き、ナポレオン三世率いるフランスを破って再統一 を果たしたプロシア・ドイツは、建国当初から英仏露などに対抗するナショナリズムが燃え熾っていた。F・ ラッツェルの生存圏論は、そんな時代を代表する思想であり、「①国家は生物と同じように成長する組織体であり、生存するために一定の領域、生存圏が必要である。②国境は国家の同化力の境界線であり、成長力のある国家の国境は拡大する。その拡大を阻止する力に出会うと戦争になる。③領土を吸収合併しようとする傾向は国から国へ伝染し、増幅される。④地球という小惑星には一つの大国しか存立する余地がない」と 説く。そこには当時、欧米の思想界に大きな影響を与 えたダーウィンの「自然淘汰・適者生存」の思想が色濃く映るが、欧州大陸に分散していたドイツ人が、国家の興隆期にあって民族生存の権利を主張したのは、当時の国際状況を考えれば自然の流れだった。

ちなみに普仏戦争当時(一八七〇年)の世界経済に占める列国の国内総生産を見ると、一位のイギリスが 九%余、二位はアメリカの九%弱、三位にドイツとフランスが六%台で並んでいる。だが第一次大戦前年の 一九一三年にはアメリカが一九%と突出し、ドイツ 九%弱、イギリス八%台、フランス五%台と逆転している。アメリカ、ドイツが十九世紀世界秩序を乱す最大要因に成長していたのである。

(3)マッキンダーの「ハートランド」論

こうした欧州大陸内部におけるドイツの急速な発展は、やがてイギリスの国益を害すると危惧したH・マッ キンダーは、「東欧を支配する者はハートランド(ユー ラシア大陸中軸部)を制し、ハートランドを支配する者は世界島(ユーラシア大陸全域)を制し、世界島を制する者は世界を支配する」と主張し、海洋国家イギリスはランドパワーの世界島支配を防止すべきだと説いた。東欧への領域拡大を巡るドイツとロシアの相剋、 そしてドイツの三B政策やロシアのユーラシア大陸南下政策など、ドイツ帝国誕生の一八七〇年代からソ連のアフガニスタン侵攻までの百年間を概観すれば、マッキンダーの理論は当時の国際情況に即していたと言える。しかし前近代的な歴史観・国家観が強く残っていたのも事実である。彼の論は、ユーラシア大陸北 東部の高原に誕生したモンゴル大帝国が東欧へ伸び、 ペルシアへ南下し、シナを併呑して高麗を属国とした 歴史を彷彿とさせる。

だが、モンゴル帝国は世界を支配することはできな かった。日本やインドネシアなどの島国は征服できず、 西欧諸国に辿り着くこともできなかった。さらに、これら被征服地への政治的影響力も行使できなかった。 軍事力によって一時的に広大な領土を支配しても、維 持するには相応の技術文明が不可欠なのである。広大 なユーラシア大陸全域を支配しても、そこから得られる富は、広大な領域と諸民族を管理するためのインフラ整備や内政費で霧消してしまう可能性が高い。領土 の広さは必ずしも国力の大きさを意味しない。

(4)スパイクマンのリムランド論

二度の世界大戦を間近に見たアメリカのスパイクマンは、ハートランド争奪戦に参加することよりも、ユーラシア大陸周縁部 ― リムランド ― を戦略上重視すべ きだと説いた。その前提となったのは、アメリカの特質である。即ち、広大かつ温暖な耕地と豊富な資源に 恵まれたアメリカは自給自足経済でも大国たりうるが、自由貿易を進めれば、他国の思惑に左右されない 超大国への道を歩むことができる。豊饒な国内資源を 生かした国際貿易によって、アメリカは一九世紀末に 世界の大国になっていたが、アメリカの「マニフェス ト・ディスティニー」を信じるスパイクマンは、フロンティアの拡大だけでなく、自由貿易による経済発展も必然のことと捉えていた。そんな彼にとってアメリカの発展を阻害する可能性がある勢力に関心が向くのは当然だった。また彼は、アメリカがロシアや中国などと並ぶ広大な領土を有する大陸国に見えても、その 実態は大西洋を挟んで欧州諸国に繋がり、太平洋を挟んでアジア諸国に通じる広大な海洋国家であることを 認識していた。しかも前近代なら自国の安全を保障する防波堤だった大海を、二十世紀の科学技術の進歩がゲートのないフリーウェイに変えてしまったことも。

即ち、ユーラシア大陸で覇権を握った国は、ロシア やドイツのように、海洋への進出を目指してリムラン ドに食指を伸ばすことを歴史が証明している。大陸西縁部のリムランドを制することは大西洋への進出を、 東縁部のリムランドを制することは太平洋海域への進出を意味する。しかも、ランドパワーは貿易を管理して権益を国家が独占しようとする傾向が強く、シ―パワーのめざす自由貿易と敵対する可能性が高い。

そこでスパイクマンは、二十世紀のアメリカの戦略は、ユーラシア大陸の周縁部の国々と同盟関係を築き、 ランドパワーの大国の進出を抑えることだと言い、「リムランドを制した国がユーラシア大陸を制し、ユーラ シア大陸を制したものが世界の運命を制する」と語った。日米開戦の真珠湾攻撃から三週間後にあって彼は、 アメリカは東アジアにおけるソ連や中国などのランドパワーの海洋進出に対する防壁として日本と同盟を結ぶべきだと提言している。だが同時に、彼は国際制度機関や世界共同体のような外部の組織によって一国の安全保障上の利益が保護されることはないという冷徹な眼も持っていた。

スパイクマンは第二次大戦半ばの一九四三年に病死 したが、「我々は今後も、自らの国力に頼って行かざるをえない。今まで存在した大国は、常に束の間の休息を求める不用心さに唆(そそのか)されて没落していった」、「力の追及は、道徳的価値を実現するために行われるのではない。力の獲得を容易にするために、道徳的価値が用いられるのだ」等の慧眼に満ちた言葉を残している。

そして大戦後の世界は、彼が危惧した通り、ソ連がハートランドの大国として周縁のリムランドへ進出し、中国ももう一つのランドパワーとして米英のシ― パワーの敵対国となって大海へ乗り出し始めた。

三 日本は親米・親中のいずれの道を進むべきか

(1)『史記』の時代の精神文化が息づく中国

倉前盛通氏が「人間の持っている動物的な行動様式は、一種の条件反射のようなもので、長い文化の伝統に根ざしたものであるから、政治革命ぐらいでは変わらない。知恵の浅い人は、政治革命が起こった途端に、 国民性まで一変したかのように思い込む。国名がソ連であってもロシアであっても、そこに生きている人はロシア人であり、清から中華民国、中国に国名が変わってもそこに生きているのは漢民族である」(『悪の論理』)と語ったのは。一九七七年のことである。

しかし日本はその翌年に日中平和友好条約を結び、 「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫」と言い放って経済開放を進める鄧小平を支援した。その鄧小平が民主化を求める北京市民を戦車で圧殺したのが 一九八九年であり、彼の後を継いだ江沢民は、蒋介石も毛沢東も口にしたことのない「南京大虐殺」の一大 キャンペーンを展開し反日運動を進めた。だが「南京大虐殺記念館」を作ったのは鄧小平であり、反日愛国 主義教育を指示したのも鄧小平である。江沢民は彼の政策を実行したに過ぎない。鄧小平は反日キャンペー ンによって統治の正統性が共産党にあると国民を洗脳して、建国以来の暴政を忘れさせることを狙ったので ある。こうした策謀に鈍感な日本政府や財界・マスコ ミは、経済支援を進める一方で政治問題は譲歩を続けた。そして経済大国化した今、中国はユーラシア大陸を横断する「一帯一路」政策を掲げる一方で、南シナ 海の領有化を進めて西太平洋を「中国の海」にしよう としている。

漢民族には元々、民族国家という概念はない。隋・ 唐の両王朝を建国したのも遊牧を基本とする鮮卑族だが、西域や吐蕃・南越等の民族が混在しても、漢字・ 儒教・科挙に代表される中国文化を継承した政権であれば漢人の生活は困らなかったし、漢民族を主張すれば生き抜くことができなかった。モンゴル族の侵攻に抵抗したのも宋王朝下の文武官僚であって一般の漢民族は立ち上がっていない。漢人に強い民族意識が芽生えたのは十九世紀半ばのアヘン戦争以降であり、それを点火したのは日本の明治維新・日清戦争である。

有史以来、武力以外にシナ全域を支配する術を持たなかった中国が、ナショナリズムというもう一つの強力な武器を発見したのである。しかも、漢人の民族意識を昂揚させても国内の他民族を刺激することは避けねばならないが、反日反米の運動ならシナ大陸に住む 諸民族を一体化させ、かつ漢文化に他民族も同化させることができることに気付いた。鄧小平の開放政策も 将来の自由主義社会を目指したものでなく、中華大帝国実現のための一手段だったのであり、離反したはず の毛沢東と鄧小平はやはり「同志」だったのである。 そして習近平も彼らが拓いた道を歩いている。

(2)二十一世紀もアメリカの「超大国」は続く

前述した倉前氏は『新・悪の論理』で「アメリカは 第二次世界大戦で日本を抑えるためにスターリンや毛 沢東を利用し、その結果、日本が敗れた後にソ連と中国の二大共産圏が拡大した前例がある。大陸の西側でもヒトラーを潰すためにスターリンを利用し、その結果、東欧も東独もソ連の支配下にはいってしまった。 アメリカは目前の敵を倒すために、将来の潜在的な大 敵国と手を組む伝統を持っている」と警告している。

絶対的権力を握った中露などの政権は長期的展望をもって内政・外交を進めることができるが、民主主義国は数年ごとに選挙があるため即効性のある政策を追う傾向が強い。特に国力に絶対的自信を持つ実益主義のアメリカは、国際外交の原則を無視して同盟国の知 らぬ間に敵対国と直接取引して実益を上げようとする 傾向が強い。即ち、日米同盟がいかに親密に見えても、 中国やロシアなど日本の敵性国家と親密になった方が 国益に供すると判断すれば同盟を無効にすることもありうる。同盟の主導権はアメリカが握っているのである。実際、日露戦争後の日本はアメリカの思惑のままに行動し、破滅に至った。日英同盟の破棄、軍縮条約の締結、対米輸出入制限による経済封鎖へと対米開戦 やむなしの状況に追いやられた。

こうした歴史を 鑑 かがみとすれば、アメリカに日本の命運を託すことが危険なのは確かである。だが反日を土台にして政権の正統化や安定化を図る中国・北朝鮮及び韓国と未来を語るのはアメリカ以上に危険である。 また実質的な独裁国家で未だに北方領土を占拠するロ シアも、信頼できない。

アメリカ衰退論を説く学者もいるが、地政学的にアメリカは最も安全な国である。しかも食料・資源とも 高い生産力を持ち、軍事力、経済力も強大である。ア メリカの地政学者ゼイハンは「海外の基地を減らしても、地球規模の問題が起きた時に出撃できる軍備と態勢さえ確保しておけばよく、現在でも全面展開が可能な超大型空母を十二隻保有しており、アメリカに対抗できる国はない」と指摘している。

要するに、日米間に問題があっても同盟を基軸とした外交を維持すべきであり、寧ろ日本側から積極的に同盟を深化させ、外交や経済・文化等で日米の長短を補い合った関係を構築し、アメリカの軍事や経済、文化の支配下に置かれた日本でなく、価値観は同じだが 文化も歴史も大きく異なる両国の特色を生かした同盟 の理想形を世界に示すべきだろう。

倉前氏はこんな言葉も残している。「日本が今後 き延びる道はシベリア開発や中国への経済援助に深入りすることではない。まずアジアとオセアニアの島国国家の連合体を作り、これを固めるべきである。日本 は海洋国家である。軍事でも経済でも大陸内部の問題に介入すべきではない。但し、アメリカとはいかなる 問題があっても敵対関係になるべきではない。日本の 西太平洋海島国家連合は、アメリカとの協調と理解のもとに進めるべきである」。

四 膨張中国の周縁で生きる決意

急速に豊かになった国は周辺国を侵して大国化し、 やがて分裂・縮小する。それが歴史の常である。過去 三十年で中国経済は十五倍以上の規模に成長した(日本は二倍に満たない)。巨大な人口と領土を待つ国が 莫大な富を持てば、次に考えるのは軍事力増強による対外進出しかない。五十年も待てば収まるべき規模に収まるだろうが、その間は中国周縁部に生きる日本等が本気で中国の策謀に対応しなければ、取り返しのつ かないことになろう。