巻頭言

マルクスと二宮尊徳

フランス革命とマルキシズムは、現代の世界を惑乱し、人々をして生きながら地獄に落した罪悪の根源である。これを救済する道は、先哲二宮尊徳翁の教へであり、その適切な手がかりは高弟斎藤高行著『報徳外記』にある。

教への眼目の徳とは恩恵の意で、古人は徳を「めぐみ」 と訓じた。弘法大師も『高野雑筆集』の中で「恩波― 徳華」と対句にし、道元禅師も『永平清規』で「賢人は徳を忘れず、小人は恩に報ぜず」と記す。

『報徳外記』は説く。天地も、人も、動物も、草木も 千差万別である。この天命をしかと見届け、身分・才能・男女・強弱等の差異は即運命と受容し、それに 循(したが)つて勤め、その成果の度(ど)(取り分)から「有余を生み出す」よう倹約し、「余り有り、以て諸 (これ)を他に及ぼす」 のを 譲(じょう)といふ。この譲が尊く、人倫の粋(すい)である。この勤・倹・譲によつて国は興るのである。

平泉澄博士「正学大綱」結語(要旨)

十二月号巻頭言「マルクスと二宮尊徳」解説
市 村 真 一 / 京都大学名誉教授 

昭和二十九年八月初め、平泉澄先生は、第二次大戦後初めての千早夏季学生鍛錬会に先立つ二日間、同学諸氏に、国史学研究と時事の重要問題につき所信を「正学大綱」と題して話された。今月の巻頭言は、その結語の一部分である。全内容は、『藝林』誌の平成二十年第五十七巻、第一号・二号に発表された。終戦以来七十三年間、私は見た。講和条約時の対立、 安保闘争や日教組・全学連・全共闘による大学紛争等、 日本の政争はマルキストが 惹起(じゃっき)した事を。

彼等は、厳しい批判を受けても、一九九〇年、現実にソ連が崩壊するまで、「社会主義社会信仰」を捨てなかつた。何故か。資本主義社会の次の社会主義社会の方がより市民を幸福にできるといふ唯物史観を盲信したからである。

しかし現に実現したソ連は、その夢想に反し崩壊した。 東大法学部の丸山眞男教授はソ連が崩壊した時、「もつ と良い社会主義社会の在り方があつた筈だ」と言つたが、 サハロフやソルジェニツィンの苦難をよそに、その改善策を論じなかつた。

二宮尊徳翁は、江戸末期、封建社会の貧しい農民社会を発展させる道を「勤・倹・譲」と説き、実践し、成功した。しかしその逆に「怠・奢・奪」を実践し、滅亡したのが、ソ連邦なのである。