米中新冷戦を力強く生き抜くには  ― 「忘れられた植民地」青島にみる海洋国家日本の方向性 ―

村上政俊皇學館大学講師 元外交官、元衆議院議員
米国の対中警戒心

ツイッターによって大統領の座に就いたといっても過言ではないドナルド・トランプは、昨年九月の自民党総裁選挙の直後にこう呟いている。

“Congratulations to my good friend Prime Minister@AbeShinzo on his HUGE election victory in Japan.”

少し砕けて訳すならば「おめでとう。俺の親友の安倍晋三総理が、日本での選挙で“圧”勝したぜ」といったところか。

私が感心したのは、トランプ大統領が安倍圧勝という“本質”を即座に見抜いたことだ。それに引き替え、総裁選直後の永田町では論争が巻き起こった。安倍圧勝だったのか石破善戦だったのかという話だ。安倍圧勝とずばり述べたのが、麻生太郎副総理だった。総裁選翌日の自派閥の会合で、敗れた石破茂元幹事長の戦績について「どこが善戦なんだ」と喝破した。素直に数字を見れば、トランプや麻生が言うように圧勝ということになるはずだが。

安倍が圧勝によって政権基盤を固め直したことが、外交においていかに大きな意味があったか。総裁選直後に訪米した安倍を待っていたのはトランプの大歓迎だった。日程の都合でゴルフは見送られたものの、トランプタワーの私邸に招かれて二人で夕食を摂りながら、中国・北朝鮮を含む現下の国際情勢についてじっくりと腹合わせをしたのだ。国連総会に出席するため各国から首脳がニューヨークに集結していたが、トランプがじっくり会いたいと望んだのは誰あろう安倍だったのだ。石破は選挙期間中に友情と国益は別だと述べたが、安倍・トランプの信頼関係が、今、日本外交の大きな資産となっていることは紛れもない。

強固な日米関係とは全く対照的なのが米中関係だ。関税を始めとする貿易戦争に集中しがちだ。だがそれは一面的な理解に過ぎない。現在のアメリカは、共和・民主という党派を超えて中国に対する警戒感が高まっており、トランプ政権の対中強硬路線は大統領個人の思い付きという類の話では全くない。米国の覇権(hegemony)に対する挑戦を鮮明にした中国に、分野横断的に断固として対抗していこうという米国の意志は極めて明確だ。

米国のこうした考えを包括的にかつ直截に表現したのが、保守系シンクタンクであるハドソン研究所でのペンス副大統領による演説だった(昨年十月四日)。これは米中新冷戦の事実上の幕開けを宣言したものだと受け止められた。イギリス首相を退任したばかりのウィンストン・チャーチルによる鉄のカーテン演説(一九四六)にも一部ではなぞらえられている。「バルト海のシュチェチンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた」という一節で名高く、米ソ冷戦の始まりを予感させたあの演説に。

中国の海洋進出の脅威 ―青島の今昔

ことほど左様に米中の対立は緊迫の度を急速に増しているが、中国の脅威は日本にとっても他人事ではもちろんない。なかんずく中国の海洋進出は、尖閣諸島を始め日本に対する直接的な脅威となっている。

いくつかの中国の港湾都市の中で、山東省青島(チンタオ)は「忘れられた植民地」と呼ぶに相応しい地だ。青島ビールのお蔭で知名度は高く、中国を訪れたことがない読者でも政治の都・北京、経済都市・上海に次いで耳馴染みがある街の一つだろう。最近では独特の緑の色合いの瓶をそのまま出す中華料理屋も多い。

ビールに続いて挙がるキーワードはドイツだ。近代史上初めての総力戦となった第一次世界大戦に日本はイギリスの同盟国として参戦し、ドイツと一戦交えたが、その戦利品として手にしたのが青島だった。日本が青島を手にするまでのストーリーは山川出版の高校の日本史にも登場するが、注意深くあとのページを捲(めく)っても青島に関する記述はそれっきりだ。忘れられた植民地と呼んだゆえんだ。

ところが青島の街を歩くと日本の足跡がそこかしこに残っていることに気付く。手始めに青島ビール博物館に行くと、アサヒビールやサッポロビールなどの前身である大日本麦酒が経営していた歴史や歴代工場長の名前もしっかりと紹介されている。また、平成二十八年十二月に講演のため訪れた中国海洋大学では、青島日本中学の校舎が現在も使用されていると知り驚いた。説明板にも日本時代の建築物であることが明示されていた。現地における教育の充実は日本の植民地政策の特長であり、台北と京城(現在のソウル)に金沢や広島といった本土の中核的都市を差し置いて帝国大学を設置したのはその表れといえる。

青島はドイツが進出するまでは一寒村に過ぎなかった。外国勢力との接点を得て片田舎から一躍有名な港町に発展したという点では、我が国の神戸、横浜、そして香港、上海と共通している。他の欧州列強に比べて植民地帝国の建設が遅れていたドイツでは、鉄血宰相ビスマルクを辞職させ、親政を開始したヴィルヘルム二世が帝国主義的傾向を強め、世界政策を展開。その一環として中国への関心も高まりをみせ、日清戦争直後の三国干渉にはロシアの誘いを受けてフランスとともに参加。山東省でのドイツ人宣教師殺害事件を契機として膠州湾(こうしゅうわん)を清国から九十九年間租借した。膠州湾は湾口は狭いが湾内に広がりがあって軍港としての条件を備えていたことから、ドイツがかねて狙いを定めていた地だった。

このドイツの青島租借を機に各列強はロシアが大連、イギリスが威海衛や九龍半島北部、フランスが広州湾に租借地を設定し、清国は急速に弱体化して半植民地へと転落した。近代都市としての青島の出発と清国の崩壊は表裏一体だったといえよう。

 ドイツの次に青島の統治者となったのが日本だ。第一次大戦が始まるとドイツ東洋艦隊の根拠地だった青島をイギリス軍とともに陥れた。ドイツ軍捕虜の日本各地での友好的な取り扱いは日本人の美徳を強く印象付けたが、中でも徳島県の板東俘虜収容所(現在の鳴門市ドイツ館)には「世界のどこに、バンドーのようなラーゲル(捕虜収容所)があったでしょうか。世界のどこに、マツエ大佐(松江豊寿)のようなラーゲル・コマンダーがいたでしょうか」という捕虜の言葉が残され、当時の交流の様子は松平健主演で映画化(「バルトの楽園」)もされている。

日本はドイツが築いた基礎の上に青島をさらに発展させた。ドイツ時代に始まったビール事業を継承し、ドイツ総督官邸を国際倶楽部に転用した。他国が都市建設の礎を築き日本がそれをさらに発展させたという点では、青島は大連とも通じるところがある。

外国勢力が次から次に根付こうとした事実自体が戦略上の要衝であるということを示している。広くは知られていないが、日本の敗戦後、アメリカが青島に西太平洋艦隊(現在の第七艦隊)の司令部を置いていたこともある。とはいえ、青島が神戸、横浜、上海にならなかったのは、後背地の経済力の違いからだ。神戸は上方(京阪)、横浜は東京という大消費地が控えていたし、中国経済の中心は唐の頃から江南(長江下流域)であった。これに対して青島が所在する山東省は石炭といった鉱物資源に比較的恵まれていたとはいえ、中国の経済的中心とまではいかなかった。

青島が香港とならなかった理由

また、青島が香港にならなかったのは支配者の特徴が大きく異なっていたからだ。香港は、七つの海を制した海洋国家イギリスが拠点としたことから栄えた。アフリカやアジアの植民地が次々に独立しても、平成九年の租借期限(厳密には九龍半島北部)までイギリスが決して手放さなかったことからもその戦略的価値が窺い知れる。これに対して青島に最初にやって来たドイツは欧州の最も典型的な大陸国家だった。大陸国家たるドイツが海軍力、そしてアジア進出の拠点として青島を建設。私が講演のための訪問で宿泊した匯泉湾エリアの第一海水浴場もドイツ時代に整備されたものだ。

しかし、ドイツは真の海洋勢力となる前に第一次大戦で敗北し、青島を含めた全ての海外植民地を手放すことになった。ドイツ帝国の瓦解がキール軍港での水兵の反乱がきっかけだったのは、皮肉という他あるまい。

次に支配者となった日本は、第一次大戦が終わった時点でアメリカ、イギリスに次いで世界第三位の海軍力を誇っていた。しかし、近代日本外交最大の資産であった日英同盟がワシントン会議で事実上破棄に追い込まれると、帝国海軍は専ら対米戦を想定することとなり、関心はアメリカを臨む太平洋へと向かった。

これに対して中国大陸への関心を深めたのが、帝国陸軍だった。日露戦争後の日露協約によって満州での日露棲み分けが約されたことから、日露関係の基調は対立から協調へと転換し、北方から我が国への脅威は大幅に減退した。しかしそれも束の間、ロシア革命が起こって帝政ロシアが崩壊。共産主義国家ソ連にどう備えるかが国防上の課題として再び浮上し、満州の防衛と経営の両立が大陸政策のポイントとなった。要するに、中国大陸においては海洋国家ではなく大陸国家としての日本の顔が前面に押し出されたので、港湾都市青島が日本の中国政策の中心となることはなかったのだ。

日本の次のアメリカ時代は余りにも短かったが、それはアメリカのアジア政策の失敗による。アメリカ、特にルーズベルトは第二次世界大戦後に蔣介石率いる国民党に中国を統一させた上で、アジアにおけるアメリカのパートナーとしようと構想していた。こうした思惑が実現していれば、青島もアメリカ海軍の極東の拠点として発展を遂げていたかもしれない。

ところが、現実には国民党は敗れて毛沢東率いる共産党が中華人民共和国を建国し、アメリカも中国からの撤退を余儀なくされた。アメリカの中国喪失とともに青島は歴史の表舞台から再び消えた。

青島は中国の海洋進出の拠点

現在、青島は中国の海洋進出の最前線の一つとなっている。私が講演した中国海洋大学は海洋問題では中国トップの大学だ。そのすぐ近くには中国海軍博物館があり、中国で最初の駆逐艦「鞍山」が記念艦として係留され、外国人を含む見学者が自由に立ち入ることが出来る。前回の青島訪問(平成二十三年六月)の際に入館したが、多くの観光客で賑わっていた。 一般の中国人が気軽に訪れ愛国心を高揚させる施設が青島に整備されているのは、海軍にとって重要な拠点だからだ。首都北京の防衛の任を帯びる北海艦隊が青島に司令部を置いている(尖閣簒奪を目論(もくろ)む東海艦隊は寧波、南シナ海侵略を任務とする南海艦隊は広東省湛江)。

そして何より注目すべきなのが、私の訪中直前に青島付近から出航した中国初の空母「遼寧」の動きだ。中国が日本に対して挑発的な行動を続ける東シナ海から宮古海峡を抜け、アメリカが制海権を握る西太平洋を通り、フィリピン、ベトナム始め中国が東南アジア諸国と深刻な対立を抱える南シナ海から台湾海峡を通って青島に帰港した。

日本の一部では「遼寧」は張子の虎に過ぎないのでむやみに騒ぎ立てる必要はないという議論もあったが、この種の話は中国の罠にまんまと嵌(はま)ってしまっているといえよう。確かにアメリカと中国の軍事力の差は依然として圧倒的に大きいが、アモイの目と鼻の先の金門島すら攻略できなかった人民解放軍が、今や空母の運用を堂々と開始したという事実を余りにも軽視している。

中国は国際社会での影響力を強める為に世論戦、心理戦、法律戦の三戦を展開しているが、中国の実力を侮(あなど)らせて敵の警戒心を解くというのは定石の一つといえよう。日本としては仮想敵中国の海軍力を決して過小評価することなく、尖閣を始めとした海の守りを万全に整えなければならない。

講演から垣間見えた現在の中国について簡単に触れたい。中国海洋大学が日本研究を強化するために平成二十二年に新設した日本研究センターで、大学教授などを対象に東アジア情勢や日本の政治状況について私から中国語で話し、それを踏まえた質疑応答が活発に繰り広げられた。遣り取りの詳細については控えなければならないが、中国の海洋進出の欲求がやはり極めて旺盛である点を我々は警戒しなければならないと強く感じた。

高まる北極海航路への関心

例えば北極海航路への関心の高まりだ。気候変動により北極海の氷が減少したことで、従来は困難だった東アジアからロシア北岸の北極海を抜けて欧州に達する新航路に世界的な注目が集まっており、平成二十七年十月にアイスランドの首都レイキャビクで開かれた国際会議には王毅中国外相がビデオメッセージを寄せた。

北極海航路の魅力は距離短縮だ。日本からドイツのハンブルク港までならスエズ運河経由の約二万一千キロに対して約六割の約一万三千キロになり、途中の海賊リスクも少ない。意見交換によれば、先方の北極海研究者はロシアとの間で研究会を開催しているとのことであり、北極海の最も重要な沿岸国でかつ国際社会で中国の唯一の友人といえるロシアとの関係を梃子に、新航路開発で主導権を握ろうとする意図が滲み出ていた。

なお我が国は北極観測船を早ければ平成三十二年に就航予定と対策を打ってはいるが、中国の動きを睨みながら政策推進を加速させるべきだ。そうした中で、昨年十月、河野太郎外相が日本の外務大臣として初めて北極版ダボス会議ともいうべき北極サークル出席のためアイスランドを訪問したことは、重要な外交的成果といえるだろう。

また、平成二十九年七月に私は同志社大学南シナ海研究センターの嘱託研究員に就任したが、その点にも強い関心が寄せられた。南シナ海は海洋国家日本にとっては重要なシーレーンであり、我が国自身の戦略的利益が存在する海域だ。中国が南シナ海への進出を尖閣が所在する東シナ海での動きと一体化させながら加速させていることは「遼寧」の航路からも明らかだ。

しかし中国は、日本は南シナ海問題の当事国でないと騒ぎ立て、国力で圧倒する東南アジア諸国のみを直接相手とすることで有利にことを運ぼうと画策している。こうした観点から見れば、私のような経歴の人間が南シナ海研究センターで研究員を務めていること自体が、彼らの関心を惹起したようだ。

大陸国家でしかない中国が海洋国家を目指し始めたことで、青島は歴史の表舞台に再び引っ張り出されようとしている。そうした中で、旧統治者である我が国が平成二十一年に総領事館を敗戦後初めて再置したのは、時宜を得た国家決定だったといえるだろう。

日米同盟の強化と海軍力の整備の必要

忘れられた植民地青島の近代史から見えてくるものは何か。それは、大陸国家と海洋国家の興亡の歴史だ。大陸国家ドイツが海洋国家を目指して青島にやって来たが、その夢は第一次大戦の敗北とともに破れた。海洋国家日本は中国大陸への深入りから国力を消耗し、対米戦に力を充分発揮できずに敗れた。海洋国家のチャンピオンとして第二次大戦に勝ち青島に上陸したアメリカは、中国の赤化という誤算によって中国大陸から撤退した。今まさに大陸国家でありながら海洋国家をも目指す中国の国家戦略の要として青島は脚光を浴びているが、習近平が好んで口にする「中国夢」の行方は歴史に照らせば極めて危うく、一人の日本人としてはそれが速やかに破れることを願うばかりである。

そして米中新冷戦という時代を生きる日本は、安倍政権の安定と緊密な安倍・トランプ関係によって強固な外交基盤を手にしている。いまある外交資源を投じるべきは、米国との同盟関係を強化すると同時に、海洋国家というアイデンティティに相応しいだけの海軍力を整備することだろう。護衛艦「いずも」のいわゆる空母化は、正鵠(せいこく)を射た策だ。日米同盟の深化と防衛力強化の両立こそが、自立した国家として力強く生き抜くための鍵となるのだ。