巻頭言

5月号巻頭言「大宰帥大伴旅人邸の祝宴」解説
永江太郎 / (一財)日本学協会 常務理事 

先月の四月一日に、新年号「令和」が発表されると、国内は慶祝一色に包まれた。その出典が『万葉集』であると明かされると、太宰府の大伴旅人邸宅跡にある坂本八幡宮には参詣人の行列ができた。改めて、我が国は天皇を国民統合の象徴と仰ぐ、立憲君主国であるとの認識を深めた人も多いと思ふ。

天平二年(七三〇)の正月(新暦の二月八日)、九州に壱岐対馬を加へた十一カ国を管轄し、国防と外交を司る大宰府の長官(大宰帥(だざいのそち))であつた大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で、梅の花見を兼ねた新春の祝宴が開かれた。時は新春の令月(いろいろの事を始めるに都合の良い素晴らしい月)で、梅の花と香りに満ちた邸内には、大宰府内の官僚と北は壱岐・対馬から南は薩摩・大隅までの行政官(国司から最下級の「目(さかん)」まで)が、梅花の枝を冠に挿して参集する屋外の大宴会で大盛況であつた。

しかし、大伴旅人が着任した神亀(じんき)四年(七二七)から離任までの三年間は、唐の全盛期で虎の威を借る朝鮮の新羅(しらぎ-(しんら))とは軋轢(あつれき)が絶えない一方で、満州の新興国である渤海(ぼっかい)からは唐に対する後ろ盾を求めて入貢使が来日するなど、大宰府としては多忙の時期だつたので、この祝宴は一時の安らぎであつたと言へよう。