大嘗祭と憲法の政教分離

奧村文男大阪国際大学名誉教授

四月三十日を以て、先の陛下はご譲位なされ、五月一日に皇太子殿下が新天皇としてご即位なされた。今秋十一月に大嘗祭(だいじょうさい)が斎行 (さいこう)されることが予定されている。

この大嘗祭について、秋篠宮殿下が昨年十一月の記者会見で述べられた内容が十一月三十日の朝刊各紙に大きく報じられている。それによると、殿下は、「宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。それをするためには相当な費用が掛かりますけれども。大嘗祭自体は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思いますし、そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているのですね。残念ながら考えること、話を聞く耳を持たなかった。そのことを私は非常に残念なことだったなと思っています」(『産経新聞』十一月三十日朝刊)とご発言なされている。

これに対して宮内庁は、殿下のご発言は「『大嘗祭は必ずおこなわれるべきだ』という大前提のもと、ご自身の考えを率直に発言された」とした上で、「今回の天皇陛下の譲位が具体化する前から、宮内庁長官などに伝えられていたもの」と述べた上、宮内庁の考えを理解いただけなかったことは「大変申し訳なく感じている」と謝罪した(『同紙』十二月四日朝刊)。

殿下と宮内庁との意思疎通が十分でなかったことが今回、殿下が記者会見でこのことに触れられるきっかけになったものと推測されるが、殿下御自身、宗教色の強い大嘗祭に宮内庁管理の「宮廷費」を使うことは政教分離の観点から適当ではないのではないかというお考えをお持ちのようである。しかしながら、後述のように平成の大嘗祭斎行に伴う諸行事に関して一連の政教分離違反の違憲訴訟が提起されたが、下級審判決及び最高裁判決において訴えはすべて退けられた。この点で殿下のご懸念は払拭(ふっしょく)されており、このことを宮内庁が丁寧にご説明をしておれば、かようなご発言はなかったのではないかと拝察される。なお、政府は平成の例にならい宮廷費を充てる方針を変えてはいない。

一 大嘗祭の意義について

大嘗祭は、新帝がご即位後新設された大嘗宮において、悠紀田(ゆきでん)、主基田(すきでん)で収穫された新穀を皇祖や天神(てんじん)地祇(ちぎ)にお供えをし、国家国民の安寧と五穀豊穣(ほうじょう)を祈念される御一代に一度行われる祭祀であり、皇位継承の不可欠の重儀といわれる。

わが国は古来から豊葦原瑞穂(とよあしはらのみずほ)の国と美称される。それは日本が瑞々(みずみず)しい稲穂の稔る国であることから来ており、稲作文化が日本文明の中核をなすことを意味している。新帝がご即位の度にその年の新穀を神々にお供えして五穀豊穣を祈念なさることは、とりもなおさずこの稲作文化を護持なさることであり、それは決して皇室の私事ではない。だからこそ、大嘗祭を斎行できなかった天皇は半帝と称せられたのである。

大嘗祭が即位後の重儀として確立したのは、第四十代の天武天皇からであり、それは律令体制の成立と軌を一にしている。爾来(じらい)今日に至るまで約千四百年間、大嘗祭は続いているが、第百四代後柏原天皇から百十二代霊元天皇まで九代二百二十一年間、大嘗祭は中断を余儀なくされている。大嘗祭が中断されたのは、戦国から江戸中期の期間、戦乱等により国力が衰え、皇室が衰退していた時期に当たる。このことを高森明勅(あきのり)氏は、この期間は「国家統一が失われ、国民統合の解体が進行したのである。国家の全体性を確認し更新すべき大嘗祭は、ここにあって行わるべくもなかった」(『天皇と民の大嘗祭』展転社)と指摘している。

このような国家統一の象徴としての大嘗祭の意義を考えると、国家・国民統合の象徴たる地位におられる天皇の皇位継承の儀式として、まことにふさわしいものと言わなければならない。

二 大嘗祭と政教分離訴訟

平成二年の秋に斎行された大嘗祭関連の諸儀式に関して一連の違憲訴訟が提起されたので、次にこれを検討してみたい。

(一)鹿児島大嘗祭違憲訴訟

鹿児島県知事が平成二年十一月二十二日に行われた悠紀殿饌供(せんぐ)の儀に参列した。

鹿児島県の住民である原告は、大嘗祭は天皇が神になる儀式であり、国民が服属する儀式でもあるが、かような法的に根拠のない皇室の私的儀式に国が宮廷費を支出することは、憲法二〇条、八九条の政教分離に違反するとして、このような儀式に出席した知事は、公費たる旅費を県に対して賠償すべきであるとして、地方自治法二四二条の二第一項第四号に違反するとして提訴した。

第一審の鹿児島地裁は、知事の参列は、皇位継承儀式に祝意を表する目的のためであり、宗教的意義はなく、その行為も儀式の進行には何の関与もしておらず、儀式の宗教的側面を援助、助長し、また他の宗教を圧迫する効果をもつものではない、として原告の請求を棄却した(第二審の福岡高裁も控訴棄却)。

最高裁判決(平成十四年七月十一日)は、確立した判断基準である目的効果基準(国家と宗教との関わり合いが、当該行為の目的及び効果に鑑み、わが国の社会的・文化的諸条件に照らして、相当とする限度を超えると認められる場合にこれを許さないとする基準)に立ち、大概次のように判示した。

大嘗祭は、天皇が皇祖及び天神地祇に対して安寧と五穀豊穣を感謝するとともに国家国民の安寧と五穀豊穣を祈念する儀式であり、神道の儀式に則(のっと)り行われたものであるから、知事の参列は宗教とのかかわり合いをもつものである。しかし、大嘗祭は、七世紀以降皇位継承の際に通常行われてきた皇室の重要な伝統的儀式であり、知事は他の招待者とともに儀式に参列して、拝礼したにとどまり、知事の参列は公職にある者の社会的儀礼として、皇室の伝統的儀式に際し、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の即位に祝意を表する目的で行われたものであり、その効果も特定の宗教に対する援助、助長、圧迫、干渉等になるものではない。従って、知事の参列は憲法上の政教分離原則に違反するものではないので上告を棄却する。

 (二)「抜穂の儀」違憲訴訟

大分県の知事等が主基斎田(すきさいでん) 抜穂(ぬきほ)の儀に参列したことにつき、同県の住民も本件参列は憲法二〇条三項に違反するとして、地方自治法二四二条の二第一項第四号に基づき日当等の返還の損害賠償を求めた。

一審大分地裁及び二審福岡高裁は、当該抜穂の儀への参列は、皇位継承に伴い皇室の伝統儀礼として行われた大嘗祭の関連儀式に際し、天皇に対する祝意、敬意を表す目的で行われたもので、その効果において、宗教に対する援助、助長、促進、圧迫等になるものではないと判断し、原告の訴えを棄却した。

最高裁判決(平成十四年七月九日)は、「主基斎田抜穂の儀は、大嘗祭の中心的儀式である主基殿供饌の儀において使用される新穀を収穫するための儀式であり、大嘗祭の一部を構成する一連の儀式の一つとして、大嘗祭挙行の際に欠かさず行われてきたものであって、天皇の即位に伴う皇室の伝統儀式としての性格を有するものである」との判断の下、知事らの参列の目的は地元で催される天皇即位に伴う皇室の伝統儀式に際し、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇に対する社会的儀礼を尽くすというものであり、その効果も特定の宗教に対する援助、助長、圧迫、干渉等になるものではないとして、上告を棄却した。

 (三)神奈川県即位礼正殿の儀及び大嘗祭違憲訴訟

神奈川県の知事及び県議会議長が即位礼正殿の儀に参列し、また議長が大嘗祭に参列した行為に対して、県の住民が旅費相当額の返還を求めた訴訟である。最高裁判決(平成十六年六月二十八日)は、第一審及び二審判決と同様、いずれの儀式への参列も社会的儀礼として即位に祝意を表する目的で行われたものであり、憲法二〇条三項には反しないとして訴えを棄却した。

なお、同様の判決として東京大嘗祭違憲訴訟判決(平成十七年十二月八日)があり、原告敗訴が確定している。

 (四)大阪即位の礼・大嘗祭国費支出差止め訴訟

国は平成二年一月十九日、即位礼を国事行為として、同年十一月十二日に実施すること及び大嘗祭を公的な皇室行事として同月二十二・二十三日の両日にわたって行うことを決定し、総額八十一億円の国費を支出して上記諸儀式・行事を行った。原告はこの諸儀式・行事のうち、祝賀御列の儀、饗宴(きょうえん)の儀、園遊会、内閣総理大臣主催晩餐会、一般参賀、大餐の儀、茶会を除く一切の儀式・行事(以下、「本件諸儀式等」という)は、いずれも神道儀式として行われたものであるから、政教分離原則、国民主権原理に反し、違憲であると主張し、納税者基本権に基づいて、①本件諸儀式等への国費支出の差止め、②本件諸儀式等の違憲確認、③本件諸儀式等の費用の一部を負担させられたこと、国民代表の出席を通じて、天皇に対し従属的、臣下的地位を強制されたことによって堪え難い精神的苦痛を被ったとして、不法行為による損害賠償を請求した。

これに対して大阪地裁判決(平成四年十一月二十四日)は、以下のように判示して原告の請求を退けた。

①については、国費支出行為は完了済みであり、差止め請求は不適法として却下。②については、納税者として国政の是正を求めて具体的な訴訟を提起する制度はなく、違憲確認を求める訴えは不適法として却下。③の損害賠償請求については、国民代表の参加により式典に反対の原告が従属を強制されたとすることは論理の飛躍があり、国費支出も国会の議決を得ており、仮にそのことにより、人格的尊厳を傷つけられたと考えても、それは自己の反対する本件諸儀式等に国費が支出されたことに対する怒り、不快感、焦燥感等といったものであり、損害賠償によって法的保護を与えなければならないものではない。

本件は、控訴審である大阪高裁判決(平成七年三月九日)で原告敗訴が確定している。

三 大嘗祭の合憲性の検討

大嘗祭をめぐる主要な判例は上述のとおりであるが、いずれも原告の請求を退けているのは妥当なものである。知事等が大嘗祭関係の一連の儀式に参列したのは、(一)(二)(三)の諸判決がいうように即位に対する祝意を述べるためのものであって、即位礼と大嘗祭が密接に関連したものであることを考えると、大嘗祭の儀式に参加することが政教分離に反するとは到底いうことはできない。また、(四)の訴訟にいたっては、原告は納税者訴訟という訴訟類型を案出して持論を展開しているが、それは単にそうした制度が存在しないという理由だけでなく、納税者にも様々な考えがあり、もしそのような訴えが認められれば、司法が政治的に利用されるという弊害を招くことは避けられないであろう。訴えが却下されたのは当然である。

 (一)原告の違憲論

原告は、憲法二〇条三項、八九条前段の政教分離規定は、国家が一切の宗教的色彩を帯びた行為を行うことを禁止する趣旨と解し、「本件儀式等はすべて神道行為であり、これは万世一系の現人神(あらひとがみ)である天皇の即位と統治を宣明する皇室の神道行事であり、宗教色は明白であるから、即位の礼の諸儀式・行事を国事行為として、大嘗祭諸儀式等を公的な皇室行事として行うことは政教分離原則に反して違憲・違法なものである」と主張した。

また、原告は現行皇室典範が即位の礼のみを掲げ、旧典範に掲げられていた大嘗祭が掲げられていないのは、大嘗祭のもつ国家神道的儀式、特に天皇の神格化のための儀式を現憲法の趣旨に鑑みて除外したものである。しかるに、国がこうした点を無視して旧憲法下と同じ即位礼・大嘗祭を行った行為は、象徴天皇の地位と矛盾し、国民主権に違反する行為であると主張した。

 (二)原告の違憲論に対する批判

一連の訴訟において原告の主張に共通する点は、その特異なイデオロギーや神道に対する偏見・独断はさておいて、国家が一切の宗教的色彩を帯びてはならないとする極めて非現実的な観念論である。現実的に考えれば、国が宗教に関わる場合は多く、政府主催の戦没者追悼式、刑務所への教誨師の派遣、宗教家養成の私立大学への助成金交付、重要な寺社建造物等の修復のための補助金交付等、枚挙にいとまがない。

憲法二〇条三項は、国は宗教的活動をしてはならないと規定しており、宗教と関係のある一切の行為を禁止しているのではないことは明白である。そして、宗教的活動か否かは目的効果基準に従って判断すれば、大嘗祭への出席が宗教的活動に該当しないことは当然である。

また、皇室が憲法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」に当たらない以上、大嘗祭への公金の支出が禁じられていないのも明白である。

更に、原告は大嘗祭は天皇神格化のための儀式であり、象徴天皇制度に反すると主張するが、天皇神格化の儀式と決めつける根拠はない。大嘗祭の秘儀は、天皇が天皇霊を身につけるという折口信夫(しのぶ)氏の「真床覆衾(まとこおうふすま)」説が有名であるが、折口氏自身、自説を撤回したとされる(「天子非即神論」)から、根拠にはならない。この点、『皇室典範義解』は、第一一条の大嘗祭の解説で、「天祖及天神地祇ヲ請餐(せいさん)セラルルノ礼ニシテ」と説明しており、新帝が皇祖や天神地祇に新穀を捧げられ、その神饌(しんせん)をご自身もお召し上がる儀式と理解するのが、新嘗祭(にいなめさい)との関係においても自然な理解というものであろう。『帝室制度史』も、「大嘗宮に御(ぎょ)し、先ず悠紀殿次に主基殿に於いて、徹宵(てっしょう)(みず)から皇祖及び天神地祇を祭り、神饌を供し、又躬(みずか)ら御饌(みけ)を聞食(きこしめ)したまふ」と叙述している。更に、原告は現行『皇室典範』に大嘗祭の規定がないのは、これは皇位継承の儀式からあえて宗教儀式を排除したものであると主張するが、現行『皇室典範』の制定にかかわった井手成三氏は、この点につき「大嘗祭のことはほとんど議論されなかった。式典のことであり、法律をもって規律する必要がないものと考えられ皇室内部の行事である部分が多きを占めるものとして、国法たる典範からはその外に置くことになったのである」と説明している(『天皇・神道・憲法』神社新報社)。

翻って考えれば、歴史的伝統的天皇を憲法第一条が、国の象徴と規定し、その皇位の継承を第二条が「世襲」と定めていることは、即位の儀式に一定の伝統的宗教儀式が伴うことを憲法は容認していると解釈することも十分できよう。即位のみを容認し宗教的儀式は一切認めていないと解することには無理があろう。このことは、世界の君主制の国において王位継承の儀式がその国の伝統的宗教儀式によって一般に挙行されていることを考えれば、わが国だけ別意に解釈しなければならない理由はないものと思われる。

四 大嘗祭の国費負担は憲法上問題なし

冒頭の秋篠宮殿下の、大嘗祭の費用は内定費から支出されるべきとのご発言は、大嘗祭違憲訴訟の影響を受けられたものと推測される。しかしながら、大嘗祭はすでに述べたように新帝即位に伴う一世の重儀である以上、皇室の単なる私的行事であるはずはない。

平成二年の大嘗祭の経費が約二十二億円かかったことを考えると、三億円ほどの内定費で大嘗祭の経費を捻出することは、いくら簡素化しても不可能である。政府は大嘗祭を皇室行事としつつ、決してこれを皇室の私事とはみなしていない。公的性格を持った皇室行事として、宮廷費から支出するのが相当としている。

公的性格とは、国としてその行為を行うについて関 心を持ち、人的または物的側面からその援助をするのが相当と認められる側面を有するものと定義し、政府は大嘗祭をまさにこれに該当するものとしている。

大嘗祭を象徴としての公的行為と考えるか、公的性格を持った皇室行事と考えるかは議論のあるところであるが、政府が儀式の内容に立ち入って干渉を加えることは望ましくないので、これを公的性格を持った皇室行事と考えるのが妥当ではなかろうか。

いずれにしても平成二年の大嘗祭の経費は、国費から直接支弁された。大嘗祭が中断されたのは、歴史的に見て単に戦乱だけでなく、その多額の費用が捻出できなかったことも背景にあることを考えると、大嘗祭斎行の国庫支出は不可欠である。

以上見てきたように、大嘗祭の斎行及びその費用を国費で負担することは、憲法上の問題は特段存在しない。殿下のご懸念は失礼ながら杞憂(きゆう)に過ぎないと思われる。新帝のご即位並びに大嘗祭関連の儀式が厳粛かつ盛大に挙行されることを願いつつ拙稿を終えたい。