「令和」の言葉と改元の受容

若井勲夫京都産業大学名誉教授
一 「令和」元号の国語学的考察

(一) 全体の印象
「れいわ」の音(おん)、「令和」の文字ともに国民に親しく、好ましく迎へられた。特に漢字の「和」が「昭和」への近しさと懐かしさ、「和(やまと)」「大和」への連想、平和への思ひを与へ、和らいだ穏やかな印象を漂はせた。

(二) 音感
〈れ〉エ母音は口が中開き、気が抜けて力が入りにくく、脱力感を伴ふ。また、「れ」はラ行音で、和語は語頭に立たず、これで始まるのは漢語と外来語で、軽やかで、珍しい感じがする。元号では初めての使用で、独自な語感になつた。この例外は擬音語・擬態語で、楽しく弾んだ躍動感がする。例へば、ら、ら、ら、と鼻唄を歌ふ/ぴっちぴっち、ちゃっぷちゃっぷ、ランランラン。キューピもぽっぽも、らったった(童謡)/りんりんと風鈴が鳴る/るんるんした気分/るるると電話が鳴る、など。

〈れい〉エ母音の「れ」は「酔つてれろれろ言ふ」のやうに、卑小で崩れる感じがする。一方、イ母音は口を閉ぢるので、きりつとして引き締める。従つて、「れい」は「い」によつて、はつきりと鋭く際立つ。「れーわ」と長音化して延ばさない方がよい。

〈わ〉ア母音は口を大きく開け、広やかで、明るい。しかもワ音は半母音で、やはらかい印象を与へる。

先に述べた「れいわ」の好印象は、このやうに音声を分析して証明できる。

(三)意味
(1)漢字による捉へ方
〈令〉よい、立派な、優れてゐる意(令名、令聞、令徳、令人、令顔)
他人の親族への敬称(令息、令嬢、令兄、令姉、令室、令夫人)
令は善なり(善は美)で、形が整つて美しいさま、端正、端麗。古語の「うるはし」。
〈和〉なごむ、なごみ、なごやか。やはらぐ、やはらぎ。おだやか。古語「おだし」(安らか、静かの意)「おだひに」(穏和、平穏の意)。ほどよく調ふ(調和する)。
〈令和〉「令」が「和」を連用・連体修飾する。
うるはしく、なごみやすらぐ/うるはしいなごみ、やはらぐ心(精神)/うるはしい和の精神、うるはしい平和(中西進氏)/うつくしい調和(外務省英訳の反訳)

(2)語法上の展開

1 、「令」と「和」は出典にはそれぞれ別語(別字)として離れて記す。その二字を合はせて、一語の熟語として、ここに新しい合成語ができた。造語による新語の発生である。

2 、「令和」を修飾関係と見ず、「令」を「しむ」と使役の接尾語(時枝文法)とも解せる。「令レ和」で、「和たらしむ」と訓(よ)み、おだやかに調和し、なごみ合つて生きる、といふ意味になる。

3 、「令和」は情態の意味の体言であり、将来、一般語として新しい用法が生まれることも予想される。例へば、「令和」な人柄(季節、雰囲気)、「令和」に生きる、などが考へられる。大和心にふさはしい言葉として好まれるのではないか。

(四)アクセント
(1)平板型(→、)
レイワ、と同じ高さ(下中中)で発音する。「昭和、平和、英和」など。淡々と流れ、安定感がある。
(2) 頭高(あたまだか)型( )
レを高く、イ・ワを低く同じ高さ(上中中)で発音する。「明治、薩摩、物資」など。官房長官による発表、ニュースで発音したやうに、レが弱くて聞き取りにくいので、レイを高く、力を込め、ワで広がり、爽やかな感じになる。政府の見解はどちらでもよいとのことで、併用されるであらう。

(五)書体
〈令〉(正)楷書体、教科書体といはれ、手書きに適す。
〈令〉明朝体といはれ、印刷用の活字に使はれる。
官房長官が掲げた漢字は後者であつたが、最後の画の止めが、はねてゐるやうに見える。二つの書体(字体ではない)の政府の見解はどちらでもよいとのことで、これは自然に任せればよい。文化審議会国語部会、文科省の書体指導の手引きは両用を認める。大学入試の漢字書取の採点基準も同じはずで、筆写の運筆上のことと明朝体のデザインを混同してはならない。

(六)出典の解釈
(1)『万葉集』(巻五、歌番号八一五―八四六)
「梅花の歌三十二首 并(あわ)せて序
天平二年の正月の十三日に、帥老(そちのおきな)の宅(いえ)に萃(あつま)りて、
宴会を申(の)ぶ」
天平二年(七三〇)、旧暦の初春一月十三日(新暦で二月八日)、大宰帥(だざいのそち)(長官)の大伴旅人(たびと)(家持(やかもち)の父、六十六歳)の家で、祝宴を開いた。序の作者は諸説あるが、主催者の大伴旅人でよい。十二月に南九州三国と二島の朝集使が国司・郡司の考文(こうもん)(考課)を持つて政務を報告し、元日朝賀などの儀式に参列する。この官人と旅人の知人を集めて、「園梅を賦(ふ)して」(この庭園の梅を題として)、各自が「短詠を成」した。

「初春令月 気淑風和」(以下、略)
〈訓読〉 初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぐ。
〈現代語訳〉 初春(はつはる)のめでたく美(うる)はしい月に、空気は清らかに澄みわたり、風は穏やかにそよいでゐる。
〈注釈〉
令月―何事をするにも縁起の良い月。嘉辰(佳晨)令月、令月吉日などともいふ。嘉辰とはよい日、めでたい日、よい時。淑―良い、清い、澄みわたる。

(2)『文選(もんぜん)』の「帰田(きでん)の賦」
「仲春令月 時和気清」
〈訓読〉仲春の令月にして、時和(やわら)ぎ、気清らかなり。
〈現代語訳〉仲春二月のよきころあひに、気候は穏やかで、空気は清々しく澄んでゐる。
〈注釈〉
『文選』―古代中国で六世紀ごろの南朝、梁の武帝の長子、昭明太子の編になり、春秋時代から六朝までの詩賦を集めたもの。わが国の文学に大きな影響を与へた。「帰田」とは役人を辞め、郷里に戻ること。賦とは辞ともいひ、韻文と散文を交へ、対句を多用する美
文をいふ。この賦の作者は張平子( 張衡(ちょうこう))。
〈補記〉
この賦は四・五世紀の陶淵明の「帰去来の辞」と同じく、官職を辞し、故郷に隠棲(いんせい)して、個人の閑雅な生活を歌ふ。『万葉集』は宴の中で交流して歌を詠み合つてゐる。発想、詩想は別の、文学的幻想的な世界で、影響は受けたとしても令和の出典とすることはできない。

(3)「蘭亭集序」
「天朗気清 恵風和暢」
〈訓読〉
天、朗(ほが)らかに、気清く、恵風(けいふう)、和(やわら)ぎ、暢(のどか)なり。
〈現代語訳〉
天空は明るく晴れ、空気は清々しく澄み、恵みの春風は和ぎ、暢(のどか)に吹いてゐる。
〈注釈〉
蘭亭集―四世紀ごろの東晋の王羲之(おうぎし)(書家)ら名士四十二人が三月三日の節句に蘭亭に集まり、「曲水の宴」をした時の詩集。
〈補記〉
『万葉集』と場面やモチーフ(動機)に相似てゐるところがある。また、「気、風、和」は同じ漢字を使ひ、「淑」と「清」も意味は共通する。発想は同一と言へ、これを参考にしたかもしれないが、「令、月」が欠けてゐる。やはり出典とまでは言へない。

(4)そのほかの類似の句
初唐の詩や序の構成・語句、また、前漢の武帝の代に成立した「淮南子(えなんじ)」の句などと類似のものが旅人の序の文章(省略)に用ゐられる。これについては、澤瀉久孝(おもだかひさたか)著『萬葉集注釋』巻五(昭和三十四年刊)に詳しい。令和の元号とは関はらないが、序の執筆に当り、教養の基盤としてあつたのであらう。

(5)経書の「令月」と対語
加地伸行氏は「まだある『令和』の出典」と題して、儒教の経典により、さらに出典を示した(産経新聞〈大阪〉五月十二日)。
「令月吉日、始めて元服を加ふ」(『儀礼(ぎらい)』)。鄭玄注(じょうげん)に「令・吉 みな善」とする。
「十有二(十二ヵ月)の(各)風を以(もっ)て、天地の和を察す」(『周礼(しゅうらい)』)。
加地氏は「『令月』や『―風…和』という対語はすでに存在しており、『文選』帰田賦の作者はそれらを引き、踏んだのであろう。正統的詩文である」と言ふ。

結局、出典をどのやうに考へるかである。わが国でも、和歌の本歌取、物語や和歌、能楽、俳諧などで、先行古典文学の語句を使ひ、まねて、創作することは教養の表れであつた。それによつて、詩藻豊かに、風雅の世界を広げて、文芸の野に心を遊ばせてきたのである。ただ、元号の出典となると、間接的な、類似の詩句は別にして、その語や文字(漢字)の選び方に基づいて考証すべきであらう。従つて、「令和」の出典は『万葉集』からとするのが一番穏当な結論である。

二 「令和」改元の国民意識

(一)発表前(平成時代)

1 、天皇の譲位(退位ではない)による改元で、平穏に祝福する中で進められた。発表後の経過も寿(ことほ)ぐ雰囲気が続き、従来の、喪中のため悲しみと慎みとに包まれてゐた状況とは一変した。

2 、「平成最後の…」といふ表現がいろいろな場面や行事で言はれ、良い意味で使ひ過ぎ、流行した。

3 、新元号の予想がまるでクイズのやうに募集され、その熟語や文字に国民の新時代への期待感や好みが映し出された。

4 、次年の予定、計画を表す時、例へば「新元号二年(二〇二〇)」と示された。ここに日本人の元号への思ひ、時を定める生真面目なけぢめが出てゐる。一部のカレンダーも同じで、西暦は二の次であつた。

5 、改元の手続きの手順と過程がある程度、公表され、期待と希望をもつて迎へられた。国民に共通の意識と感情が醸し出されたことであらう。

(二)発表時(四月一日)

1 、官房長官による発表直後、会見室では一瞬、時が止まつたかのやうに記者一同は静まり返り、すぐに驚きの小さな声の後に、パソコンが始動した。

2 、また、各地で待つ人々は大型テレビを前に一点を見詰め、その瞬間、沈黙と静寂に覆はれて、すぐに喚声と万歳が湧き、ついで拍手が響いた。宮崎の高千穂峰の山頂でも同時刻に万歳三唱が起こつた。

3 、以上のことは、厳粛で重要な時と場の共有、元号とともに生きる国民の共通体験であり、一体感・同胞感・連帯意識の発露であつた。

4 、さらに、歴史を画する現場に直接に立ち会へた記憶として刻まれよう。戦争終結を告げる昭和天皇の玉音放送の時の、国民が一つにまとまつた長く静かな時間と空間が思はれた。

(三)発表後(令和時代)

1 、「令和」に対して、好感情、親近感を持つて、肯定的に喜び合つて受け容れられた。「平成」の時は比較的、落ち着いて、静かに認められていつた。やはり天皇の譲位と崩御を受けての相違による。

2 、元号の持つ意義が実感として受け止められ、文化意識の内面に根づいたやうに思へる。昨年のNHKの放送文化研究所による「日本人の意識調査」(五年ごと)で、天皇に尊敬や好感の念を持つが、全体の四分の三であつた。「天皇の象徴性はより本質的にシンボルとして機能するようになった」(傍点は引用者。佐藤卓己京大教授。京都新聞五月二日)。
共同通信社による世論調査では、天皇に親しみを持つが八二%であつた(同、五月三日)。

3 、今後の問題は、この状況が将来の永続的な元号使用につながるかどうかである。一時の、改元と新天皇の即位を祝ふ情にとどまるか、元号が自然に定着するか、常に注意せねばならない。ただ、このたびの動きを見てゐると、元号の歴史・伝統・文化の重みと根強さが再認識されたと言へる。

4 、「平成最後」に対して「令和初」が登場した。例へば、スポーツ界の勝利、優勝、本塁打、大相撲などで、秀逸なのは「連休終了・授業再開 令和読書始」(京大生協の書店)である。平成から令和に変はる午前零時はまるで大晦日から元日に移る瞬間と同じであつた。改元が新年を迎へる気分で受容されたことは、神宮の遷宮をはじめ節目に際して新しく蘇(よみがえ)つて改まる日本人の根元の精神に基づく。

5 、新元号を記念し、祝福し、あやかる商品、名前、企画が続々と現れ、今も続く。以下、分野のみ列記。食品、文具、ゴム印、うちは/会社名、学校名、人名/鉄道切符、特別電車、ツアー/京都のをどり・能楽・生け花/子供の書道/結婚式、結婚届、「令和(初日)婚」/写真撮影(令和の額を掲げ)/区役所・町役場・店頭・商店街に祝詞/国旗(通りに小旗、販売増、令和入り)/出版(元号関係、万葉集)/図書館(資料の陳列)/新聞(奉祝広告)/出典ゆかりの地・社寺(参拝、観光、朱印帳)
〈付〉改元の時期―内閣の元号か、天皇の元号か、天皇・国民の元号か

(1)今回の経過・方法
三月二十八日の段階で、「令和」を含む新元号の六つの原案は固まつてゐた。翌二十九日に首相は天皇・皇太子と面会してゐるが、この時、原案をお見せし、本命も何となく分かるやうに御説明したらしい。四月一日の当日は宮内庁の長官と次官が天皇と皇太子それぞれに新元号を伝達し、事実上の「御聴許」を得た。その直後、公表、政令公布(天皇の詔書)。

(2)適切な方法
四月一日に天皇と皇太子に新元号を内奏、御聴許。直後に新元号を公表。五月一日に新天皇即位・新元号の詔書、直後に公布・施行。(「皇室の伝統と現行憲法及び元号法を踏まえて考えるならば『天皇と国民の元号』というのがふさわしい」(百地章氏)。

(3)平成改元の経過
「伝聞ではなく、新元号の政令案をご覧いただく必要があった。臨時閣議で全閣僚が署名し、総理府(現、内閣府)職員が書類を持つて皇居へ、陛下に政令案をお届けした。その直後に官房長官が発表した」(元首相内閣参事官、京都新聞、平成三十年十月十七日)。一方、元官房副長官は「今の天皇陛下にどの段階で伝えたのか」に、「非常に微妙な話なので、公式には申し上げられない事柄だ」と答へる(同、十月十六日)。政府は今もつてこの経緯については語らず、答へない。

〈追記〉
元号の考案者は非公表でよい。決定されれば一個人のものでなく、候補案と比較する意味もない。考案者とされる中西進氏の説明は立派であつた(産経、京都新聞)。「個人の資格で提案するのではない/個人の所有ではない/元号をつくるのは神や天である」。