さらば! 自衛隊合憲論― 改憲運動再構築のための戦略的思考 ―

慶野義雄平成国際大学名誉教授
安倍首相による粗悪品のセット販売

安倍首相は、今年の憲法記念日に際し、産経新聞の インタビューに答え、また、改憲団体に向けてのメッ セージで、来年の施行を目指して「改憲の旗は掲げて いる」と述べた。安倍氏は、一昨年の憲法記念日に九 条一、二項を残したまま(つまるところ「九条を堅持」 した上で)、自衛隊保有を明記し、高等教育を無償化 するという改憲案を発表した。今年の憲法記念日には、 九条一、二項を残したまま自衛隊保有を明記する部分 は一昨年通り、抱き合わせ商品の中身を若干変えて、 大規模災害に対応する緊急事態条項、参議院合区を解 消するための条項、国に教育環境の整備充実を義務付 ける条項新設の四点の改憲重点項目を発表した。この メッセージは、言葉とは裏腹に改憲の断念宣言とみる べきであろう。囲碁、将棋などの世界では、敗北に際 して「形を作る」という言葉がある。棋士が投了前に
面子を保つためにさも敵を追い詰めたかのような格好 を作り、面子を保つことをいう。

安倍氏が戦後政治からの脱却というなら第一に憲法 第九条の廃棄を主張しなければならないのに、一昨年 の憲法記念日に、現行九条を存置したまま自衛隊の保 持を明記するという所謂「加憲」に変節した。公明党 の一部にかつてあった加憲論と全く同じである。悪貨 は良貨を駆逐する。安倍氏の改憲運動は、投了前の形 作りに入ったと書いたが、正確に言えば二年前に公明 党・創価学会に完全に心を売り、改憲を放棄したので ある。政治は数の論理で動くものだから、政権を握る ため政党間で連立し、妥協することも一概に否定はし ない。その場合、連立や妥協によって得られるものと 失われるものが比較考量されなければならない。

しかしながら、重要政策や政策の根幹になる政治理 念が犠牲になるなら、たとえ政権にしがみついたとし てもこれは野合としか言えない。憲法問題とりわけ九条の問題は、政党の根幹である。改憲発議には両院で 各三分の二以上の数が必要であるが、それをどうクリ アするかの問題については後に述べる。ここでは、数 を確保することだけを優先するなら、出来上がった改 憲案は最底辺にあわせたものになるということであ る。それが、悪貨は良貨を駆逐するという法則である。

緊急事態条項の設置については、一般論としては正 しい。ただし、本来、緊急事態として最も重要なもの は、直接、間接の侵略であり、安全保障の問題である のに、わざわざ「大規模災害の緊急事態」と限定する ところに卑しい魂胆が透けてみえる。地震や津波を例 にあげることにより、安全保障や戦争の問題を隠蔽し ようとしているのだ。緊急事態として第一に例示すべ きは、ミサイル攻撃とか、外国勢力による我が国領土 への侵攻、敵と通ずる勢力によるテロ、騒乱、内乱な どであり、戦争である。地震や津波などの大規模災害 も緊急事態に違いはないが、対処のための法整備は現 行憲法下でもかなり整ってきている。阪神大震災の時 の対策が遅れたのは、九条の存在が妨害したことが大 きな原因である。自治体の長などに自衛隊アレルギー があったため、出動要請を躊躇した。九条に由来する 反軍思想が大災害への対処においても課題になってい る。現行九条を「護持」するなら、安全保障と切り離した「大規模災害時」の緊急事態条項の設置は、自衛 隊は軍ではなく災害救助隊だという概念を広め、軍と しての自衛隊の本義をますます喪失させるであろう。

参議院選合区の解消問題については、憲法改正では なく選挙法、選挙区制の次元の問題である。政治がお 粗末だから解決しないだけであり、自分たちの無能を 棚に上げて、憲法改正などというのはおこがましい。 憲法条文に頼らなければこの問題を解消できないな ら、憲法改正の前に政治家を辞めた方が良い。

ちなみに、明治四年の廃藩置県によって約三百あっ た藩が七十二県体制になった。五年後の明治九年には 三府三十五県に再編される。選挙区制度が時代遅れに なったから憲法改正だというのは、思考が逆転してい る。これからも人口は流動する。その度に憲法を改正 するのか。憲法問題として取り組まなければならない 喫緊の課題は、国家の主権が脅かされているという問 題である。国家の存亡の危機に、合区がどうのとかい う小さな問題を並列的に議論しようするピンボケぶり にはあきれる。

教育の充実というのも、憲法に定めるほどの問題で はなく、時の政策の問題である。二年前の、高等教育 の無償化はただのバラマキであり、財政の硬直化を招 くだけであるとの批判を受けて引っ込めたのであろうが、今度は、国に教育環境整備の努力義務を課すると トーンダウンしてきた。努力義務なら、やってもやら なくてもいいのだからタダで幻想を振り撒くことはで きる。ただ、環境の整備などというのは、わざわざ憲 法に規定しなくても教育基本法にでも書けば良い問題 である。この種の条文は、教育利権に悪用される危険 もある。第一次安倍内閣で改正された教育基本法に、 私学の振興という条文が加わり、これが教育利権につ ながり、あの森友・加計問題を生んだことも記憶に新 しい。

商売の世界では、セット販売はいかがわしい商法の 一つとされ、場合によっては独占禁止法などによって 規制される場合もある。今回の憲法改正についても、 第九条改正という重要問題に安物の景品をつけた販売 促進法であり、バラマキ手法であることが透けて見え る。新聞社が洗剤を配って新聞を拡販しようというの と同じだ。景品も粗悪品だが、セットにすることによっ て商品本体の質もガタ落ちになっている。

八割の憲法学者に責任を転嫁する愚

安倍首相とそれを支持する御用憲法学者は、「憲法 学者の八割が自衛隊を違憲であると解釈している」と いう。他人ごとのような表現であり責任転嫁に聞こえる。自衛隊保持は正しいが、「八割の憲法学者が自衛 隊は憲法違反だといっている」ことで混乱が起きてい る。だから、憲法学者のもたらす合憲・違憲論争に終 止符を打ってやるのだ。自分達はまともだが、「八割 の憲法学者が自衛隊違憲論だから」と違憲論者を悪者 にして、正義の味方の自分が世を惑わす八割の憲法学 者の出る幕をなくしてやるんだと言わんばかりであ る。改憲理由は、憲法自体に欠陥があることではなく、 専門の憲法学者の多くが自衛隊は違憲の存在であると 解釈していることに向けられる。

最近、産経新聞「正論」に掲載された「九条改正の 議論阻むのは誰か」と題する論文は、自衛隊を憲法違 反だとする学説が多数あるが「このような状態が放置 されていいはずはない」と、まるで学説、学問の自由 を否定するかの如き乱暴な議論を展開する。そして、 「自衛隊の存在そのものも否定する」(自衛隊を不要と する)学者に対し、「誰が読んでも非武装としか読め ない(改正)案文を提起するのが筋ではないか」と八 つ当たりする。自衛隊を不要とする護憲論者が九条改 正案を提起しないのは当たり前である。護憲論者に もっと良い案文を示せと要求するのは、倒錯以外のな にものでもない。今まで自己の論理破綻に気づかなっ たことにこそ、憲法改正運動の行き詰まりの原因がある。

「阻むのは誰か」の問いには「論理破綻に気づかぬ 貴方自身だ」と答えるほかない。九条に関する論理を 整理してみよう。一つは、自衛隊(または軍隊)を必 要と考えるか、不要と考えるかの問題。第二は、自衛 隊(または軍隊)合憲論をとるか自衛隊(または軍隊) 違憲論の立場をとるかの問題。二つの問題の関係をど う考えるかである。この二つは関係はあるが全く別の 問題である。理論的に考えられる組み合わせは二×二、 次の①から④の四通りの組み合わせがある。

①自衛隊(または軍隊)が必要であり、自衛隊が合 憲であるとする立場。②自衛隊は必要であるが、自衛 隊保持が違憲と考える立場。③自衛隊を不要と考える が、自衛隊合憲説をとる立場。④自衛隊を不要と考え 自衛隊違憲論をとる立場の四つである。それらが論理 的に組み立てられているかが改憲または護憲論の説得 力につながる。

①自衛隊(または軍隊)が必要であり、自衛隊が合 憲であれば理論上、九条の改正は不要である。②自衛 隊は必要であるが、自衛隊保持が違憲と考える場合、 改正する以外に解決策はない。③自衛隊を不要と考え るが、自衛隊合憲説をとる場合は、確かに憲法改正論 になろう。ただし、不要論者の多くは違憲だから不要としているので現実には③の論者はあまり存在しな い。④自衛隊を不要と考え自衛隊違憲説をとる場合は 憲法改正不要論になる。改憲不要論者に、もっと良い 憲法案の制定をと求めるのはナンセンスである。

非武装を訴える日本社会党がそれなりの影響力を 持っていた時代には、自衛隊(または軍隊)を保有す ることの必要性を説くことは重要であった。今や国民 の九割が自衛隊は必要であると考えている。そうする と自衛隊を必要と考える九割の層に憲法改正を説得す ることがより重要になる。だから、①と②の説得力に ついて検証することが特に重要である。産経新聞の論 者は、①つまり、自衛隊合憲論の立場をとるから、い くら憲法改正を叫んでも理論的には説得力がない。そ こで「自衛隊違憲説が多数存在するようなことが放置 されていいはずはない」などとファシストまがいの乱 暴な議論に陥り、責任を八割の憲法学者に転嫁する。 ③と④は自衛隊を不要とする論者であるが、産経の論 者はその論理を見定めないまま支離滅裂な批判をする。

自衛隊の前身がGHQによって押し付けられた警察 予備隊であり、それが超憲法的に設置されたという事 情もあるが、占領終了後、自衛隊への組織変更後も九 条改正は先送りされ、政府は、自衛隊は合憲であると 苦しい言い逃れをしてきた。嘘は一度つくと、それを糊塗するため新しい嘘が必要になる。それに加担する 御用学者は、こじつけの法文解釈と成立経緯にかかる 歪曲された歴史解釈を提供するが、それらはすべて一 時しのぎにしかならず、憲法改正をますます遠ざけて しまった。その結果、護憲論者からは「自衛隊が合憲 なら憲法を改正する必要はないはずだ」という止 とど めの 一撃を食らってしまった。

自衛隊合憲論に固執する限り元々、改憲の適切な理 由はないので、苦し紛れに、「日本国憲法は世界で十 四番目に古いから変えなければならないのだ」などと いう子供騙しの理屈を並べる。新しければ良いのなら、 ここ一、二か月の間に改正されたといわれる北朝鮮の 憲法やエジプトの憲法はそんなに良いのかとなる。自 衛隊合憲説に立つ改憲論は歴代政権の怠慢への弁解に は役立つかもしれないが、改憲のための武器にはなら ない。日本国憲法が悪いのは、古いためではなく、押 し付けられたものだからである。日本を弱体化させ、 永遠に日本を非武装のままにしておくため占領軍に よって作られたものだからである。作者の制作意図を 無視しては、作品(日本国憲法、第九条)の本質を理 解することはできない。日本国憲法は制定の時から軍 隊(自衛隊)の保有を否定していなかったとして、事 実上、東京裁判史観を受け入れていたのでは九条改憲などできるはずはない。

それに対し、自衛隊(または軍隊)の必要性を認め るゆえの自衛隊違憲論はもっとも説得力のある改憲論 である。ところが、この主張は九条改正を先送りして きた政府には耳が痛い。やっと認知されてきた自衛隊 を批判に晒すなと、政府はこの理論を遠ざけてきた。 はっきり言えば、自衛隊内では違憲論はむしろ弾圧さ れてきた。せっかく改憲論が盛り上がってきたとき、 忖度言論人だけでなく保守系メディアまでもが言論統 制を行って違憲改憲論を遠ざけている。改憲論者も保 守系論壇も、日本社会党とともに消え去った非武装中 立論に対する批判を改憲運動と勘違いし、軍備不要論 者に対し神学論争だと批判を繰り返す。しかしながら、 信仰として自衛隊不要と考える相手に対し八つ当たり しても意味はない。僧侶に対しお前は宗教家だと批判 するようなものだ。重要なのは、自衛隊を不要と考え る一割の人々ではなく、軍隊または自衛隊を必要と考 える九割を超える人々に説得力のある理論を提示する ことである。

「九条改正の議論阻むのは誰か」 ――「正論」者への反論

そもそも自衛隊違憲論の憲法学者は左翼、憲法改正の敵という決めつけこそが、「九条改正の議論を阻む」 張本人である。憲法制定を審議する帝国議会貴族院特 別委員会(昭和二十一年九月十日)において、かつて 京都帝国大学の憲法学教授も務めた佐々木惣一は、政 府案の前文と九条を真っ向から批判し、九条一項は不 戦条約の範囲を遥かに超えた主権の放棄であり、二項 で戦争に必要な一切の手段と交戦権まで否定してい る。これでは、国家の独立を守れないではないかと批 判した。

かつて、東京帝国大学教授を務めた美濃部達吉は、 枢密顧問官として日本国憲法制定に関わったが、政府 案の採決のため起立を求められたとき、ただ一人、着 席したまま反対の意思を示した。帝国憲法は、天皇が 議会に改正案を出す場合、まず枢密院の諮 し 詢 じゅん を経る こととしていた。帝国憲法の改正という形をとるため の形式的な手続きである。天皇の意思として帝国議会 に提出されるものだから、全員一致が期待されている。 着席のまま反対した美濃部の行為は異例であり、まさ に命がけであったと思われる。美濃部は『新憲法概論』 において、我が国の憲法は主権としての戦争、自衛権 としての戦争まで疑いもなく放棄したのだから、他国 が武力攻撃してきても何らの防御手段もないと書いて いる。

日本国憲法の制定時において、東大、京大と東西憲 法学の巨頭がそろって反対したことは重要な意味を持 つ。両者とも、新憲法制定時において、ともにこの憲 法案は主権を放棄し、その下では戦力は持てないとし て断乎として反対したのである。立場上、枢密院議長 として新憲法成立に関わらざるをえなかったもう一人 の憲法学泰斗の場合はさらに悲壮であった。最後の枢 密院議長、清水 澄 とおる は新憲法成立の責任を痛感し、実 際に熱海の錦が浦に入水自殺した。

政治家や議員の圧倒的多数は、平和の幻想に浮かれ たためか、あるいは保身のためか、押し付け憲法に賛 成した。そうした中で、心ある著名な憲法学者達は、 この憲法が、主権を放棄し、戦力と交戦権を否認し、 国家の独立を危うくすることを憂慮して、この憲法の 制定に断固反対した。あるいは立場上、憲法制定を阻 止できなかったことに責任を感じて自決した。一流の 憲法学者達は、この憲法は軍事力保持を禁じていると 理解したからこそ命を張って押し付けに抗議した。憲 法学者の佐々木惣一、美濃部達吉、清水澄博士達がこ の憲法に命がけで抗議したのに対し、当時の政治家、 議員で、命をかけて日本国憲法制定に抗議した人物が 一人でもいただろうか。

安倍改憲運動の破綻の原因は、一に、安倍氏と歴代政権が権力維持と利権の維持を優先し、保身のため、 場当たり的な対応を続け、虚偽とこじつけを積み重ね てきたこと。二に、そのことに反省なく、責任を違憲 論者に転嫁してきたこと。三に、無知と憲法理論の欠 如のため、理由ある改憲論、愛国心の発露たる違憲改 憲論に全く耳を貸さず、むしろ、妨害してきたことに ある。

長い連立の果てに、自民党と安倍首相は創価学会に 魂を売った。連立の可否は相手方の政策を自党の政策 にどれだけ引き込むかだ。多少の利権をくれてやって も、引き換えに公明党の政策変更を迫るなら良しとし よう。五月二十九日に自民党の岸田文雄政調会長と公 明党の石田祝政調会長は、野党が参議院選挙を前に候 補者を一本化したことを批判する記者会見を行った。 石田政調会長は、「国の基本方針についての政策が一 致していなければおかしい」と発言した。野党に対す る発言ではあるが、自民党の改憲案を骨抜きにした自 信が垣間見える。安倍氏は、どんな気持ちで石田幹事 長発言を聞いたのだろうか。日本維新の会創設者の橋 下徹氏は、産経新聞のインタビューに答え、公明党が 「改憲の妨げになっている」と断じている。

野合の結果、公明党の憲法理念が、安倍改憲論の柱 となったのである。安倍「改憲論」というが、中身は九条を丸ごと残した「平和憲法」であり、「改憲」と 看板を書き換えただけの護憲論である。私が九条の会 なら、迷わず安倍首相をノーベル平和賞の第一候補に 推薦する。安倍首相と自民党が、政策理念よりも権力 の座を優先した結果たどり着いたのが、九条堅持に自 衛隊明記の改憲という、偽看板を掲げた護憲論である。

自民党は権力の座に留まる為なら社会党とも公明党 とも野合する。自民党には平成二十四年改憲草案とい うそれなりに立派な改憲案があった。ところが、二十 九年改憲案は突然、冒頭に示した安倍案に変わってし まった。安倍氏は、一昨年のメッセージで党内をまと められず、党案にこだわるのは護憲運動をやっている のと同じだと言ったが、何と安倍氏自身が護憲運動家 に変わってしまった。

改憲のための戦略的思考

私は、国防軍か自衛隊かという名称にはこだわらな い。しかし、自衛隊を明記したところで、一項の、国 権の発動たる戦争(英文では、国家の主権としての戦 争、つまり自衛戦争)は放棄するとの項を残し、二項 に、海空軍その他の戦力をもたない、交戦権は否認す るという条文をそのままにするなら、「自衛隊は戦力 ではない、交戦権は認めない」という解釈はそのまま動する運動をさす。グローバリズムという未知の楽園 の幻想の下に移民を無制約に受け入れて民族国家を解 体するのと、伝統的民族国家を護ろうとする勢力のい ずれがポピュリズムかは一概に判定できない。いずれ にせよ、主権確認のナショナリズムが世界の潮流に なっている。

翻って日本では主権回復、憲法改正につながる健全 なナショナリズムが何故育たないのか。先に述べたよ うに、今の安倍首相は決して右ではなく護憲派そのも のである。マスコミ等が、安倍氏が保守だ、極右だと いう幻想を作り上げたので、政治家も評論家も安倍氏 よりも右の位置を取りにくくなってしまったからであ ろう。フジテレビの反日偏向に抗議するデモが広がる など、既成の保守への不満は高まっている。こうした ナショナリズムの潮流を受け止める政治的受け皿がで きれば、国際緊張が高まるという条件がそろった時、 既成政党に頼らなくても新たな改憲政党が出現し、一 気に改憲が実現する可能性もある。数合わせ優先で最 低の憲法観に合わせるのではなく、自ら信ずる最善案 を示し国民の支持を待つことが必要である。そうでな ければ、「改憲の看板」を掲げ自ら「護憲運動をやっ ている」という結果になる。

とはいっても、協力や妥協が必要な場合もある。完全ではなくとも今の憲法より少しでも良い憲法案であ れば一度、憲法改正しておくという考え方である。独 立国家に相応しい憲法に達するまで、何回か改憲を重 ねるという段階的改憲論である。ただし、この場合も 公表するかどうかは別として、理想あるいは最終の憲 法の姿を想定し、それに至るまでの中間段階として適 当かどうかを判断しなければならない。九条に関して は、少なくとも、完全な独立国家、主権国家にふさわ しいものに近づくかという基準で判断されなければな らない。安倍九条改正案は、自衛隊保持を明記すると いっても、主権を否定し、戦力の保持を禁止し、交戦 権を否認する現行規定を残すわけだから、明記された 自衛隊については依然として戦力ではないと言い続け ることになる。合憲改憲論者のように、平時は自衛隊 員は警察官であり非常時に軍隊になるなどという奇天 烈な言い訳を続けなければならない。

何度でもいい方向に向かうまで改正を重ねるという が、一事不再議という言葉があるように一度改正した 条項は何度も改正を重ねることが困難になる。現在の 九条にはGHQが「押し付けたもの」だからという改 正の大義名分があるが、一度改正してしまえば再度改 正する名分はなくなる。だから、改正するためには確 実に良いものに変更しなければならないのである。私は安倍氏が押し付け憲法の本丸たる「押し付け九条」 に、お墨付きを与えることを恐れる。

九条を全面的に削除すべし

東大法哲学の井上達夫教授は、護憲陣営の安全保障 政策の不在を批判し、憲法九条一項、二項の全文削除 を提案している。井上教授の著書は東大生協の書店で ベストセラーになっているそうで、若者の支持をえて いる。軍事力や安全保障に関する状況は刻一刻と変わ るので、憲法によって固定化するなら国を亡ぼすこと になると整然とした理由をあげる。それに対し安倍首 相に賛成する改憲派学者は、井上案では自衛隊に憲法 的根拠を与えられないという。ほとんど自衛隊を禁じ ている条文については自衛隊は合憲だと言い繕いなが ら、同じ論者が、その条文を削除したら、自衛隊の憲 法的根拠がなくなるという。根拠がないとは突き詰め れば違憲だということだ。あきれ返るダブルスタン ダードである。憲法改正を阻止しているのは、このよ うに論理破綻した合憲改憲論者なのである。

立憲主義とは、憲法に書くことと同じではない。様々 な技術、手段によって権力の乱用を防止することを広 義の立憲主義という。その方法には、議会や一般法に よって制御することも含まれる。安全保障のような問
題では、両院の三分の二で改正する憲法により統制す るよりも、各二分の一で制定・改廃する法律による方 が合理的であり、民主的でもある。

九条削除後にどのような自衛隊にするかは国民の意 識次第である。国民が現状程度の自衛隊を望むなら、 とりあえず一項二項を削除するだけにとどめる。名実 ともに再軍備する場合は、自衛隊法に代えて新たに法 律を作ればよい。帝国憲法には、軍を保有するとは書 いてなかった。自衛隊や軍の保有を明記しなければ戦 力を持てないわけではない。ただ、軍事裁判所の設置 が必要ということになれば、憲法改正で特別裁判所の 禁止条項を変える必要はある。このような発想をすれ ば国民大多数の合意を得ることはそれほど困難なこと ではないだろう。九条一項は、英文では「国家の主権 の一側面としての戦争は……放棄する」となっている。 侵略戦争は現在では国家の主権とは認めがたいから、 国家の主権としての戦争とは自衛戦争以外には考えら れない。自衛隊を明記しても九条をそのまま残せば、 諸外国に日本は自衛戦争すらしないのだという誤った メッセージを送ることになる。これでは、 邪 よこしま な国々 に対し日本への侵略を誘発することになる。九条を全 面的に削除することだけでも、抑止力は格段に高まる のである。