山崎闇斎先生生誕四百年祭の報告

大貫大樹國學院大學大学院博士後期課

令和元年は、元和四年十二月九日に山崎闇斎先生が生誕せられてから四百年に当たる。そこで、京都市の下御霊(しもごりょう)神社に於いて、昨年十一月三十日「山崎闇斎先生生誕四百年祭」が斎行された。

これに先立ち、下御霊神社・出雲路敬栄宮司、藝林会会長・金沢工業大学・平泉隆房教授、國學院大學・西岡和彦教授、皇學館大学・松本丘教授の四氏を中心に、藝林会が参画して、祭典並びに関連事業の準備が進められた。

本誌『日本』では、先生の生誕四百年を周知するため西岡教授、松本教授が闇斎先生を中心に垂加神道・崎門学について論考を掲載した。併せて、『藝林』では特集号「山崎闇斎生誕四百年記念」も刊行された。

祭礼の当日には下御霊神社の氏子が会場を整備し、全国より訪れた約百人の参列者の応対をされた。

参列者には記念品として出雲路家所蔵にかかる闇斎先生画像等の記念絵はがき八葉と、「垂加神道系譜」、『山崎闇斎先生生誕四百年祭展示品目録ならびに解説』、また雑誌『日本』と『藝林』特集号が頒布された。

爽やかな秋晴れの中、神事は一時から定刻通りに開始された。境内に鎮座する猿田彦社に合祀された「垂加社」の御前において、出雲路宮司が斎主をつとめられた。

「垂加社」は、闇斎先生が生前に自らの身に宿る「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」(「心神」)を皇統護持の為に留め置かれたもので、先生は猿田彦命を篤く信仰しておられた事から、歿後同社に合祀せられ、今日に至っている。

神事は修祓(しゅばつ)の後、献饌(けんせん)、宮司が祝詞(のりと)奏上された。その祝詞の一部分を掲げる。(祝詞は万葉仮名で書かれているが、便宜上、表記を改めた)

古代より天津日嗣(あまつひつぎ)の高御座(たかみくら)の一度たりとも革(あらたま)る事無く奉り給ひ、君も臣等も共に敬を以ちて誠の道を進むべきと弥高に、弥広に教へ諭し給ひぬ、大人命(うしのみこと)に乞(こい)て学びし弟子等は三千人とも六千人とも数へられ其の御教へは後の世に国の行末を憂ひ、志ある若人等を奮立せたる礎と成り給ひ、明治の大御代にも受継がれ天皇(すめらみこと)の大命(おおみこと)以ちて正四位を賜はりぬ……。

とあり、国体護持の御教えを示された闇斎先生に対する感謝と、その学徳を顕彰する旨が奏上された。

その後、出雲路宮司の玉串拝礼、続いて崎門学派の子孫を代表し梅田昌彦氏(梅田雲浜先生のご子孫)が拝礼、次に西岡教授、松本教授の拝礼が続き、平泉隆房教授の拝礼に合わせて、参列者一同が列拝。最後に宮司一拝を以て神事を終えた。

なお、神前には神饌と共に、立正大学・細谷惠志特任教授が奉納された「垂加霊社」の篆
刻印(てんこくいん)も供えられた。

神事の後に出雲路宮司から挨拶があり、「闇斎先生は今なお、日本の国柄を護っておられる。本年の御代替わりを御祝いするとともに、今日まで日本の国柄を護ってこられた闇斎先生の学問を多くの人に知ってもらいたい」と、参列者へ呼び掛けられた。

神事終了後、拝殿前に設置されたテントを会場にして、西岡教授が「闇斎先生と中臣祓」と題して記念講話をされた。闇斎先生による「中臣祓」の註釈書『風水草』に見える重要な教え、「君臣合体守中之道」の神学を中心に、先生の学問精神と歴史的意義について説かれた。

続いて、参列者へ頒布された「垂加神道系譜」について、作成者の松本教授が解説された。垂加神道が闇斎先生を元として、朝廷をはじめ、全国的に広がっていた事、さらにその学問は天聴にまで達していた事などを系譜を用いて紹介された。

その後、社務所で「記念展示および解説」が行われた。闇斎先生の画像をはじめ、先生自筆の『文会筆録』の草稿や『倭 姫命世記(やまとひめのみことせいき)』、門人達の「門人誓文」、そして会津の暦学者安藤有益が下御霊神社に奉納した刀など、神社所蔵の貴重な資料、計十三点が展示され、出雲路宮司から一点ずつ解説がなされた。

以上のような次第で、「山崎闇斎先生生誕四百年祭」は厳粛な中に、神事並びに関連行事を滞りなく終了した。