巻頭言

五月号巻頭言「備荒」解説
市 村 真 一 / 京都大学名誉教授 

アジアより唯一人ノーベル経済学賞を貰つたA・ K・セン教授は、記念講演の中で、インド停滞の原因 を設問して「天災」と答へた。確かに何百年もかかつて蓄積された大伽藍や財宝が、何十年に一回くらいは 必ず襲ふ洪水・飢饉・疫病等に、忽ちにして壊滅し去 つた。さらに人口すら激減した中・印・欧史上の大悲 劇は、我々の脳裏に焼き付いてゐる。大陸国ほどでは ないが、日本の各地もその悲劇に苦しんできた。二宮 尊徳先生のお教へは、正にさうした「危機対策」に焦 点を合せた学問である。

『報徳外記 (ほうとくがいき) 』を拝読して驚嘆する点が二つある。

第一に、先生は、村や藩を共同体システムと捉へて をられて、全住民の生活の長期の安寧と向上を目的と して対策を考へられることである。先生の思考は、現 代の英国のP・C・ピグー教授の「厚生経済学」に通 じる。

第二に、提示される危機対策は、極めて周到な配慮 が徹底的に行き届いてゐることである。前者では、農 民層を貧富の差によつて上中下に分け、分配への配慮 はピグー教授以上で、後者では、備蓄用倉庫の建て方 を土蔵づくりで頑丈にと論じられた。