巻頭言

七月号巻頭言「面接」解説
市村真一 / 京都大学名誉教授 

この二話は、学識も人柄も懐しい大先輩から直接聞 いたものである。

東畑精一東大教授は、昭和三十四年定年退官、新設 のアジア経済研究所長に懇請されてのご就任だつた。 その数年後、阪大助教授の私は青山秀夫先生の紹介で、 アジア経済研を訪問。初対面だつた。研究所の有り様 を話してゐた時、所長が言はれた。無論、研究所の命 は研究者であるが、「自分の眼鏡にかなはぬ者は取ら ぬ」との御決意だつたこと、我が胸にどつしりと入つ た。

アジア開銀は、一九六六年(昭和四十一)暮に正式 に設立された。だが準備は早くより進み、総裁は日本 よりと決定するや、渡辺さんに嘱望した人は多かつた。

他方、私は昭和四十三年秋、阪大より京大に転じ、 翌春、東南アジア研究所長に就任、ほどなくマニラを 初訪問した。アジア開銀に表敬の予定が、御自宅での 晩餐に招かれた。総裁の発言は、その席での私的な思 ひ出話のなかで出た。

国際機関の長に日本人が座つた最初の例ではなかつ たか。人種も母国語もまちまちな集団を立派に統率し て、国際金融業を営んで見せた渡辺総裁の秘訣の紹介 は、次の機会にしたい。