先人たちが学んだ日本の歴史(一)

渡邉拓也/郷土史研究家

一 先人たちが学んだ日本の歴史

国の歴史は、その国に生きた、また、生きる人々が紡(つむ)ぎ出す一すじの糸にたとえられます。その糸をよくみれば、絹糸のような美しくなめらかなところがあり、また、麻糸のように少しざらざらで、硬い手触りのところもあります。

歴史を振り返れば、幸福な時代があれば不幸な時代もあり、豊かな時代があれば貧しい時代もあります。長い歴史から見れば、人の一生はほんのわずかに過ぎません。そして、私たちは限られた人生の中でしか生きることが出来ません。みなさんが過ごしてきた人生を振り返ってみましょう。みなさんが生きてきた時代はどんな時代でしょうか。それは幸福な時があれば不幸な時もあり、穏やか時があれば厳しい時もあったでしょう。私たち一人一人が紡いできた歴史の糸はさまざまですが、そのような歴史の糸が寄り合わされて、国の歴史という一すじの大きな綱になるのです。

私たちは先人と同じように、いまこの瞬間にも、歴史の糸を紡いでいます。それは先人から私たちに託された使命であります。だからこそ、先人たちが紡いできた歴史の糸をたどり、過去に思いを馳せ、未来を考えなければなりません。そこで、その手始めとして、昭和十八年から二十一年にかけて国民学校で用いられた歴史教科書『初等科国史』をテキストに、先人たちが学んだ日本の歴史に触れていきたいと思います。

『初等科国史』という題名からは、やや、かたい印象を受けます。しかし、美しく表現豊かな文章で綴られた日本の歴史を読みはじめれば、その印象は吹き飛んでしまうことでしょう。では、『初等科国史』のはじまり、和歌の下の句のような「大内山(おおうちやま)の松のみどりは」にはじまる「高千穂の峯」を読んでみましょう。

二 「高千穂の峯」

大内山の松のみどりは、大御代(おおみよ)の御栄えをことほぎ、五十鈴(いすず)川の清らかな流れは、日本の古い姿をそのままに伝えています。

遠い遠い神代の昔、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、山川の眺めも美しい八つの島をお生みになりました。これを大八洲(おおやしま)といいます。島々は、黒潮たぎる大海原に、浮城のように並んでいました。つづいて多くの神々をお生みになりました。最後に、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天下の君としてお生まれになり、日本の国の基(もとい)をおさだめになりました。

大神は、天皇陛下の御先祖に当らせられる、かぎりもなく尊い神であらせられます。御徳きわめて高く、日神とも申しあげるように、御恵みは大八洲にあふれ、海原を越えて、遠く世界のはてまで満ちわたるのであります。

大神は、高天原(たかまがはら)にいらっしゃいました。稲・麦等五穀を植え、蚕(かいこ)を飼い、糸をつむぎ、布を織ることなどをお教えになりました。春は機を織るおさの音ものどかに、秋は瑞穂(みずほ)の波が黄金のようにゆらいで、楽しいおだやかな日が続きました。(中略)

大神は、大八洲を安らかな国になさろうとして、御子孫をこの国土にお降しになることを、お考えになっていました。当時大八洲には、多くの神々があり、中でも、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子、大国主神(おおくにぬしのかみ)は、勇気もあり、なさけも深く、出雲(いずも)地方をなつけて、勢いが最も盛んでありました。そこで大神は、御使いをおつかわしになって、君臣の分をお示しになり、国土の奉還をおさとしになりました。大国主神は、つつしんでその仰せに従われました。大神は、その真心をおほめになって、大国主神のためにりっぱな御殿をお造らせになりました。これが出雲大社の起源であります。

いよいよ、皇孫のお降りになる日がまいりました。大神は、御孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をおそば近くにお召しになって、

豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)(い)きて治(しら)せ。さきくませ。宝祚(ほうそ)の隆(さか)えまさんこと、当に天壌と窮りなかるべし。

と、おごそかに仰せられました。万世一系の天皇をいただき、天地とともにきわみなく栄えるわが国柄(くにがら)は、これによっていよいよ明らかとなりました。

大神はまた、八咫鏡(やたのかがみ)に八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)をそえて、尊にお授けになって、

此れの鏡は、専ら我が御魂として、吾が前に拝くが如、いつきまつれ。

と仰せられました。御代(みよ)御代の天皇は、この三種の神器を、皇位の御しるしとせられ、特に御鏡は大神として、おまつりになるのであります。

瓊瓊杵尊は、御かどでの御姿もけだかく、大神においとまごいをなさって、神勅(しんちょく)と神器を奉じ、文武の神々を従え、天上の雲をかき分けながら、おおしくおごそかに、日向(ひゅうが)の高千穂の峯にお降りになりました。この日をお待ち申しあげた民草(たみくさ)のよろこびは、どんなであったでしょうか。空には五色の雲がたなびき、高千穂の峯は、ひときわこうごうしく仰がれました。(『初等科国史』、「高千穂の峯」より)

三 神話も歴史の一部

「高千穂の峯」には、古代から伝わる伊弉諾尊・伊弉冉尊が日本の国土や八百万(やおよろず)の神々を生み出し、皇室の祖先とされる天照大神が、日本を豊かな、安らかな国にしようとして、瓊瓊杵尊を遣わすことを思い立ち、日本の国体を教え諭され、三種の神器を授けられた瓊瓊杵尊が、高天原から日向(ひゅうが)国(今の宮崎県)の高千穂に降り立つまでの神代の国作りの物語がつづられています。読者のみなさんは黙読をされたと思いますので、一度、声に出して読んでみましょう。聞き慣れない言葉も声に出してみると、すんなりと意味が分かることがあります。古代人の口伝えの息吹きを感じることが出来るかもしれません。

「高千穂の峯」は『初等科国史』のはじめの部分に書かれています。今日の歴史の教科書をみると、学術的研究に基づいた旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代の歴史は書かれていますが、神代の国作りの物語は書かれていません。みなさんは歴史の教科書が神話からはじまるということに、新鮮な驚きを覚えるのではないでしょうか。

神代の国作りの物語は神話であり、正確には歴史とは言えません。ドラマ『水戸黄門』の主人公で、一大歴史書『大日本史』の編纂をはじめた徳川光圀(義公)は、神代の国作りの物語は荒唐無稽なものであると考えました。しかし、それを史実ではないとして捨て去るようなことはせず、『大日本史』の一編で、神道に関する歴史を記した「神祇志(じんぎし)」に記載するように学者たちに指示しました。なぜならば、神代の物語は、私たちの祖先が日本のはじまり、国柄をどのように考えていたのか、それがはっきりと現れたものだからです。

私たちの祖先が日本のはじまり、国柄はこのようなものであると語りついできた神話も、日本の歴史の一部にほかなりません。むやみに神話を否定することは、日本の歴史の一部を否定することであり、歴史を見る眼が曇っていると言わざるを得ません。神話は神話として語りつがれてきた歴史があり、それを日本の歴史の一部としてわきまえていなければなりません。

 「高千穂の峯」では、神話のほんの少しにしか触れていませんので、みなさんも『古事記』や『日本書紀』などの現代語訳を手に取り、ぜひ、先人たちが語りついできた神話と歴史に触れてみてください。