巻頭言

六月号巻頭言「仏陀の五戒」解説
市村真一 / 京都大学名誉教授 

先月号の解説に記したが、一九七〇年代、私は京大東南アジア研究センターの同僚と共に、東南アジア各国の農村・山村・都市を歩き、彼等の生活と心情にふれる努力を重ねた。驚きの一つは、タイ・ミャンマー・ベトナムなどの名もなき民が我々に語る事に、私が子供の時に祖父母から聞いた昔話や教訓の面影があつたことである。多くは仏教に関係があつた。

巻頭言に引用した「五戒」は、タイの複数の農民がよく思ひ出す“ことわざ”として告げたのだが、私も小学生も初年級の頃、仏事の時などに祖父や僧侶から聞いた覚えがある。

生き物を殺すでないぞ、他人の物を盗んではならない、男女の関係には注意せよ、嘘(うそ)や“でたらめ”はしやべるな、酒はたしなむのはよいが、飲みすぎてはならない」等は、当然の教へとして我々の常識になつてゐた。

しかし子供ながらも、私はこれらの教へが、学校の修身の教科書が教える正しい道徳の教訓とは、一味違ふ“恐ろしさ”や“罰則”を秘めてゐるのに気づいた。またその“いさめ”を守るためには、自分の欲望を我慢しなければならない事にも気づいた。それは少年時代の心の勉強の始まりであつた。