香港化を免れた高杉晋作の彦島談判

折戸善彦/退役海上自衛官 

平成九年(一九九七)七月一日、香港の租借(特別の合意のうえ他国の領土の一部を期間を限って借りること)九十九年の期限が切れて英国から返還されました。

それから五十年間は、香港を特別行政区として、中国の法と香港の自治法が両立する「一国二制度」が導入されることになっていました。ところが、中国は約束を無視して令和二年(二〇二〇)六月三十日、 「国家安全維持法」で強引に「一国一制度」にして人々を弾圧したため、新疆(しんきょう)ウイグル自治区のイスラム教徒への「人道に対する罪とジェノサイド(集団虐殺)」と併(あわ)せて欧米民主主義国の反発を買っていますね。

皆さんは、日本にも危うく香港と同じ運命を辿りかねなかった事件があったことを知ってますか。それを阻止したのが東行(とうぎょう)高杉晋作、舞台は馬関(ばかん)(現・関門海峡)に面した下関近くの彦島で、古くは源平合戦時に平家の本拠地となった要衝の地です。

晋作は吉田松陰の松下村塾に学び、高い見識から久坂玄瑞と共に松陰門下の竜虎と並び称せられていました。文久二年(一八六二)、英国との阿片戦争に敗れ、太平天国の乱の最中の上海を訪れた晋作は、外国人に牛馬のごとく使われる清国人を目の当りにします。端的な例では、租界地には柵があり『犬と支那人は入るべからず』の看板があったと言われています。このままでは、日本は清国と同じ運命をたどってしまうとの思いにかりたてられました。

翌文久三年、孝明天皇の強い思し召しにより将軍徳川家茂(いえもち)は、五月十日をもっての攘夷実行を約束しました。久坂玄瑞は、馬関を通航する外国船を砲撃する準備を整えるため、五十人の同志を率いて光明寺を本陣として光明寺党を結成しました。他藩の士や身分にとらわれない草莽の士を糾合したものであり、その行動は藩意識を超脱したものでした。これを長州藩の玄関たる馬関の地で実行しました。これが後の奇兵隊の前身となります(後の「国民皆兵」の礎です)。

馬関で長州藩は砲台を築き、玄瑞の指揮で壇ノ浦から馬関通過の外国船に砲撃しました。玄瑞らの攻撃報告に対して朝廷は、勅書をもって褒賞しました。玄瑞が京都で政治活動中の六月、今度は外国船の報復攻撃で長州藩の軍艦二隻が撃沈、砲台が破壊され、寺や民家を焼かれました。その後、久坂玄瑞は禁門の変で亡くなります。

外国船の強さを思い知った長州藩は、討幕挙兵を唱えて謹慎中であった晋作を呼び出しました。晋作はこの時、これらに対抗する為、日本人は神の子として生まれ仏として死ぬ、神性仏性において平等との考えのもと、奇兵隊総督となります。

翌元治元年(一八六四)八月、四国連合艦隊(英仏米蘭)軍艦十七隻は、馬関に集結して壊滅的な打撃を与えたので、長州藩は和議を結ぶしか道はなかったのです。長州藩の砲は、百門余りの先込め式で射程も短く一発撃つ毎に五、六分を要したが、英軍艦は一艦で最新式のアームストロング砲四十八門を搭載していたので全く歯が立たなかったのです。

切羽詰った長州藩の使節に選ばれたのが晋作で、家老の養子宍戸桂馬として伊藤俊介(後の博文)を通訳として従え、連合艦隊司令長官クーパー提督に相対しました。その折の晋作の装束は、立烏帽子(たてえぼし)に鎧(よろい)、直垂(ひたたれ)に陣羽織、手に采配を握り、毛靴を履くという戦国時代を思わせるもので、連合艦隊側の度肝を抜いたのです。賠償金三百万ドルに対しては、命令で攘夷を実行したのだから幕府から受取られたい、と言って断わります。

更に彦島租借に対しては、長州藩のものでも幕府のものでもなく、朝廷のずっと以前の神々から授かったものなので、勝手に租借させる権限はない、と突っぱねる積りでした。その方策は、「そもそも我が日の本の国は、高天原朝廷の七代にまします常立命(とこたちのみこと)に始まり、イザナギ・イザナミの二神が天の浮橋に立たせ給い天沼矛(あまのぬぼこ)をもって海をさぐられ、その矛の先からしたたる、しずくが島となった…」と『古事記』冒頭部分からを捲(まく)し立てて留まるところを知りません。敵も味方も煙にまき、通訳も追付かずさすがのクーパーも音を上げて取下げざるを得なかったのです。これだけは一歩も譲れぬ大事な線と、万一話しがこじれた場合は甲板で切腹して、自らの腸をつかみ出して彼等に叩き付けるつもりの晋作の気迫と奇策の勝利でありました。

こうして前後三回に及ぶ会談は元治元年八月十四日に終結しました。英国通訳のアーネスト・サトウは、晋作の傲然とした態度・様子について、好意を含めた表現で「まるで、魔王のようだった」と書き残しております。また、伊藤博文は「あの時、うやむやにしてなければ、彦島は香港になり、下関は九龍島になっていただろう」と後年、回想しています。

長州選出の安倍前首相は、父君晋太郎氏と同様に高杉晋作を意識して、晋三と名付けられたそうですが、今、晋作のように高い見識の政(まつりごと)が求められています。先憂後楽という言葉があるように、政治家とは国民に先んじて憂え、備えをする人のことです。国土を守る為には、尖閣諸島に公務員を配置すること、そして根本的には憲法改正が急務の問題ですが、これらは国民一人ひとりに与えられた問題でもあるのです。