巻頭言

九月号巻頭言『孝経』解説
市村真一 / 京都大学名誉教授 

明治日本の躍進は、江戸末期の日本の社会経済が、人材でも制度でも、知的能力でも、工業技術以外では、西洋諸国とならぶか、それ以上だつたからである。例へば識字率は、英仏の倍くらいだつた。だから鉄道でも、東京と横浜の建設を見れば、すぐ自力で大津から京都への線路を建設できた。

その基盤は、江戸末期の農村と都市での寺子屋教育の普及と、その水準の高さにあつた。祖父は明治三年、近江の農村の生まれで寺子屋教育を受けた。昭和二十年暮、七十七歳で亡くなるまで、よく昔話を聞いたが、本箱に寺子屋での教科書が残されてゐた。『四書』と『十八史略』の他に『孝経』があり、一番よく読まれてゐた。

巻頭に掲げたのは、その一文で最も人口に膾炙(かいしゃ)してゐる言葉である。孝経は、孔子がその愛(まな)弟子曾子(そうし)と親子関係について交はした会話を、弟子たちが記したものと伝へられ、若い方が読むのに適する。インターネットでも、すぐ入手できるので、是非読んでほしい。難しい言葉は少ない。

自ら老境になつて、孝も親の気持の方から感じるところはまた様々だな、としみじみ思ふ。これからは、それも考へねばならない。