日本の防衛を語る ― 激動の東アジアにどう向かうか ―

山田 宏/参議院議員(自由民主党)元防衛大臣政務官

我が国は、敗戦後七十数年にわたって、経済的には発展しました。しかし、国家の課題に目をそらしてきたばかりに、多くの問題、矛盾を抱えることになったと考えています。

自民党にも靖国神社に参拝しないと公言する政治家がいます。そんな政治家を当選させてはなりません。尊い命を捧げた先人たちを慰霊することは、当然のことです。中国、韓国の言葉など、はねのけなければなりません。また、少し前までは、防衛ということを言うと、右翼だ、戦前回帰だと罵倒されたものです。そういった時代が長く続いてきました。しかし、いざとなれば、口では言わずともやるならやってみろと、対峙することも辞さない覚悟を持たなければ、日本の明日を開くことはできません。そのためには、戦後七十数年、その場しのぎで済ませてきた課題にすぐに対処していく必要があります。

日本の平和ボケと中国の脅威

中国武漢から広がったコロナウイルスにより、この一年半、世界は大変な状態に置かれました。そして、不安に怯えながらの生活の中で、平和な時代には見えなかった大きな問題が二つ、私たちには見えてきました。

まずは、平和ボケした日本の姿です。コロナ専用の病棟を作るにも、医師・看護師を集めるにも、平時の法律に阻まれて、何もできません。もう遅いという状況になってから議論が始まりました。本来ならば、戦争や大災害に対しては、緊急事態条項があります。発令されたらば、これまでの平時から危機の時の法に変わるというのが普通の国です。

ところが、危機など起こるはずもない、戦争の備えをするから戦争になるんだからやめようというのが今の日本です。危機を考えるから危機になる、考えないほうが平和なんだ。そうして考えないものですから、対策は取れません。危機のルールがまったくないのが日本。その典型的な問題が、防衛なのです。

そしてもう一つは、中国の脅威です。世界中が混乱している中で、中国共産党は支配を強めていく暴挙に出ました。香港を完全に制圧して民主主義を消滅させ、チベットだけではなく、ウイグル、そして今は南モンゴルへの弾圧を始めました。そして、領土の拡張を狙っています。中国共産党が世界にとっていかに脅威であるか。武漢ウイルスの蔓延により、世界中がこの事実をはっきりと自覚しました。

台湾有事は日本有事

日本の平和ボケ。そして、中国共産党が支配している中国の脅威。これらに我々が、どう向き合っていくべきか。

かつてのナチスドイツ、ソ連、そして今は中国。すべて共産主義の政府です。共産主義は、人々の財産を強制的に取り上げて、政府の都合で配分する仕組みですから、当然、独裁政治になります。独裁になれば、多くの人たちが反対し、抵抗します。そして言うことを聞かせるために、強制収容所が作られる。どの共産主義も同じです。北朝鮮もキューバも皆そうです。共産主義が独裁を生み、弾圧を生み、領土の拡張を生んでいく。危険な思想です。

大陸の隣りにある我が国は、その脅威の最前線に立っています。そこで起きようとしているのが台湾有事です。

中国が太平洋に出るためには、日本列島が邪魔になります。もしも台湾が中国共産党に支配されたら、日本がどうなるのか。それは、はっきりしています。台湾と大陸の間には、台湾海峡。そして台湾とフィリピンの間には、バシー海峡があります。この二つの海峡を通って、中東から日本へ原油がやってきます。もしも中国共産党がこの海を抑えたら、我が国はここを通ることができなくなり、大きく迂回しなくてはなりません。そうなれば、ガソリン、ガス、電力の値段は跳ね上がります。

かつて大東亜戦争は、油によって始まりました。私たちの状況は、その時といまだに変わっていません。エネルギーを抑えられたら、命の問題です。本当に戦争になります。それを分かっている中国は、言うことを聞かなければ、日本の船はこれらの海峡を通さないと言うでしょう。そうなれば、日本は生きていくために中国にひざまづくしかありません。または、これを打開するために、かつてのように打って出るということにもつながりかねません。

台湾は日本にとっての生命線です。中国は、尖閣諸島も台湾の一部だと言っています。つまり、台湾への侵攻は、尖閣への侵攻、尖閣を取られるということです。日本の領土が侵略されて奪われる。これは、断固としてはねつけなければなりません。つまり、台湾有事は、日本有事なのです。我々の国が狙われているのです。しかもそれは、「あるかないか」ではありません。「いつあるか」という段階に、もう入っています。

二〇二四年に、台湾では総統選挙、アメリカでは大統領選挙があります。どちらの国も内向きになります。そして、中国では二〇二七年は人民解放軍百周年の年です。つまり、この辺りが台湾が一番危ない時期だと私は考えています。台湾有事は、早ければもうこの二年以内に起きるかもしれません。

この危機をどう乗り切るのか。もちろん最後は戦うこともあるかもしれません。しかし、戦わないように、戦えないようにする。抑止をしていくことが極めて大事です。

ミサイル配備による防衛の強化

短い期間で、どうやってこの脅威に対応していくのか。「日本が立ち上がらないのに、なぜ助けなければならないのか」とアメリカ軍は言うかもしれません。それは当然でしょう。アフガニスタンの現状を見れば分かります。「アフガニスタンが自国を守ろうとしないのに、なぜ我々が守らなければならないのか」とバイデン大統領は言いました。同じことが起きかねません。自分で自国を守る覚悟がなければ、誰も助けにはきません。そういった危機がもう目の前にあります。では、何をするのかということです。

まずは、中国の船や飛行機を寄せ付けないようにするために、南西諸島にミサイルをずらりと並べることです。守らなければ、攻撃、または脅しを受けることになります。そして、攻撃用のミサイルを戦闘機と潜水艦に積み、防衛費を増やしていくことです。これが攻撃を阻止する大きな抑止力になります。

ピストルを向けられているのに、こちらは相手を狙わないで「撃ったら、その弾を撃ち落としてやる」と言っても、何の脅しにもなりません。撃ってくるならお前は死ぬぞ、やるならこっちもやるぞという強い姿勢を示すことが、相手を抑止することになります。それは、中国だけでなく、ロシア、北朝鮮に対しても同じことが云えます。

外交による同盟の強化

問題は、防衛だけではありません。同盟関係をしっかりさせていかなければなりません。日米は、東シナ海で訓練を繰り返して、同盟を強めてはいますが、台湾とは訓練を実施できていません。その原因は、「ひとつの中国」です。ただし、尊重すると言っていただけで、我々はこれを認めているわけではありません。しかし、このままでは、いざというときに協力し合うことは難しくなります。まず噴火、地震、津波の災害救助を目的とした人道的な訓練を日台で行い、そして、日米台で、軍事レベルでの協力関係を作り上げていく必要があります。

そして外交的には、もう一度、日英同盟を復活させるべきだと考えています。日米同盟だけでは危ういですし、アメリカも時にはおかしなことをしかねない。その時には、日英でアメリカをたしなめ、そしてまたある時には、アメリカを支えるということが大事だと思います。

私は、平成二十五年(二〇一三)、南アフリカのヨハネスブルグで開かれた英連邦(コモンウェルス)会議に、初めて日本のオブザーバーとして出席しました。英連邦とは、かつて大英帝国の版図(領土)だった五十三か国のグループです。そこで私は、安倍首相(当時)の親書を携え、日米英豪、そして非同盟主義のインドとも外交的に結び付きを強めることが、中国共産党への抑止力になることを訴えました。

重要なことは、主要国との外交だけではありません。中国の弱点の一つは、長い国境線です。陸続きの国境線にあるたくさんの周辺国に対して、日本の存在感を高める政策を進めていくべきです。これは、何も軍事や経済の面だけではありません。文化でも良いのです。様々な面から日本ファンを増やしていけば、中国は全方位に対応しなければなりません。そうなれば、おいそれと台湾や東シナ海に出てくることはできなくなります。

失われた精神

国家として、防衛、外交問題に対応しようとしても、国民にその気持ちがなければ、政府としてもそれを遂行することはできません。そのためのきっかけは、国民が投票によって、自分の国は自分で守るんだという意思表示をすることです。憲法九条を改正し、自衛隊を国軍として憲法に明記する。自衛隊ではなく、自衛軍と書くべきだというのが私の主張です。

皆さんは、お宅に強盗が入ってきたときに「うちは家訓で武力は使わないんだ。だから隣の家の人を呼んできます」と言うでしょうか。それで家族を守れるでしょうか。自分の家は自分で守る。自分の国は自分で守る。当たり前のことです。

平成十一年から二十二年まで、私は東京都杉並区の区長を三期務めました。「隣の犬がうるさい」「隣の家の落ち葉で排水口が詰まっている」と、区役所には毎日たくさんの電話や手紙がきました。その頃、千葉県では「何でもやる課」ができて話題になりましたが、何でもやっていては、いくら税金があってもすべての声に応えることはできません。自分でできることは、自分でしなくてはなりません。

葬儀場を作って欲しいという要望がありましたが、計画した途端に反対運動が起こりました。毎日、黒い服の人が出入りするのは困る、地価が下がると言うのです。欲しいけれど、よそに作ってくれと。「あなたも一回くらいは死ぬでしょう。どこでやるの」と言いたくなります。嫌なことはいつか誰かがやってくれる。嫌なことは区がやれ、国がやれ。そのために税金を払っているんだ。これで良いのでしょうか。

これが、戦後七十年で積み重なってきた国民の風潮です。本来は、真逆のはずです。それは、東日本大震災をはじめ、震災を経験した人たちはよくわかっています。いつか誰かが何かをしてくれるのではなくて、自ら何かしていかなければならない。そして自分よりも困っている人がいたら、お腹が空いていても、そちらが先にどうぞと言う。これが日本人の根幹の精神ではないでしょうか。

どこでどう間違ってしまったのか。その精神が薄れてきているということもまた、残念ながら今の日本です。その根幹を国民投票を通して正していく。このことが、日本国民にとって最も大事な防衛問題だと思っています。

失われた教育

私の母校は京都大学ですが、名誉教授の会田雄次先生は、「占領軍によって日本人として最も重要な教育が抜き取られてしまった」と、昭和三十年代から、戦後教育に警鐘を鳴らしていました。それは、宗教心と道徳、そして歴史への誇りの三つです。

宗教心とは、何教、何宗ということではなくて、「そんなことをしたら、ご先祖が見ている。神様仏様が見ている。お天道様が見ている」と思う心です。かつて家でこういう教育をすることは、ごく普通のことでした。それがなくなったから、誰も見ていなければ、見つからなければいいだろう、という気持ちになるのです。

また、道徳を教えていません。道徳とは、やって良いことと悪いこと。どの国でもどの宗教でも、全世界でほとんど同じです。明治天皇は、日本人のあり方、目標を教育勅語としてお示しになりました。その決意を我々は共有してきましたが、戦後まもない昭和二十三年に、国会が勝手に廃止しました。そもそも、勅語とは天皇陛下のお言葉です。お言葉を「廃止する」ということ自体がおかしなことです。

目標、規範がなくなると、どうなるでしょうか。青信号なら渡っても良い、赤信号なら止まれ。この規範がなくなれば事故になります。道徳、何をして良いか、悪いかをきちんと教えることは、社会生活を良くする大切な基盤なのです。

そして、歴史への誇りを教えなくなりました。むしろ日本は侵略国だ悪い国だと、ことさらに強調して教育をしています。ありもしない悪口を捏造して歴史を教え込めば、「なんて国に生まれちゃったんだ」と思うことでしょう。そうなれば、犯罪は増え、国は乱れていきます。

皆さんが、お子さんに毎晩、先祖の悪口を言い続けたらどうなるでしょうか。「うちのじいさんは刑務所に何年も入っていたんだ。ばあさんはケチで、みんなから嫌われていたんだ」と。きっと子供は、「俺はなんて家に生まれてしまったんだ。こんな血筋なら努力したって無駄だ。俺の成績が悪いのは、先祖のせいだ」と思うことでしょう。「うちのおじいさんは大勢の人を助けて、今も感謝されているんだよ」と話せばどうでしょうか。先祖に誇りを持ち、ちょっとつまづいても「うちにはこんなご先祖がいたんだからきっと大丈夫だ」と、困難を乗り越えていくことでしょう。

戦後の教育で、我々が何を失ってきたのか。しっかりと立ち止まって考えなくてはなりません。

父の教育

三年前に他界した父に、幼い頃から言われてきたことがあります。

「終戦を迎えたとき、自分は生き残ってしまった。数日前にもたくさんの飛行機が飛び立って、そして一機も戻ってこなかった。宏、お前はなんでここにいるのか。それは俺(父)とお母さんがここにいるからだ。しかし、俺がここにいるのは、俺の前にたくさんの優秀な人たちが命をかけて国を守ったからだ。だから俺は生き残った。もし終戦が一か月でも先だったら、俺もいないし、お前もいない。その人たちのお陰で生きているということを忘れるな」

これが我が家の教育でした。私の政治家の原点です。だから、そういう人たちを悪く言う政治は絶対に許しません。皆さんも、全員その方々のお陰で、今ここにいらっしゃるわけです。杉並区長だったとき、私は、成人式で同じような話を伝えてきました。成人式で最初にすること。それは国歌を斉唱し、国旗に正対することです。成人式は国家行事です。そして、紙に書いた言葉ではなく、真正面からこう言いました。

「杉並区の成人式は、私がこれから言う二つのことを今日中に行ってもらわなければ、大人としては認めない。まず、ご両親、ご家族に、二十年間ありがとうございました、と頭を下げてお礼を言うこと。両親に頭を下げてお礼なんてしないだろ。今日するんだ、今日がその日なんだ。約束してくれ。なぜか。両親がいなければ君らはいない。そして、今日という日を迎えて、どれほどホッとして喜んでいることか。もしも恥ずかしければ、紙に書いて机に置いておいてくれ。

二つ目。親がいるから君らがいるんだ。だけれども、親の前にまた親がいて、その前に親がいて、ずっと続いている。途切れもなく続いてきたのはなぜか。それは日本という国があったからだ。しかし、勝手にあったわけではない。努力を重ねて我が国は存続してきた。七十数年前も、日本は戦争の中にあって、犠牲を払った人たちがいた。その人の遺書をこれから読むから聞いてほしい」

そう言って、靖国神社に納められている英霊の遺書を読みました。二十歳の遺書です。

「いいか、こういう人たちもいて、今の日本があるんだよ。今日乾杯するんだろ。乾杯するときには、この人たちのことを思い出して、心の中でもいいから、ありがとうございましたと頭を下げてくれ。そうすれば、みんなの人生はもっと良くなる。いいか、この二つを今日中にだ」

若い人たちに真正面から向き合って話せば、それは、絶対に伝わります。式典後、たくさんのお手紙を、成人の皆さんから、そしてご両親からも頂きました。

先祖から受け継いだ国を更に立派にして、次に届ける役割が私たちにはあります。我々は、国家としての日本を取り戻せるかという危機に直面しています。敗戦後七十数年にわたって、見て見ぬ振りをして、その場しのぎをしてきた課題に対処していかねばなりません。それをするのは、まさに今なのです。