巻頭言

六月号巻頭言「源賴朝による秩序の確立」解説

所 功/ 

平泉澄博士は、かぞへ七十五歳の高齢で、若い世代のために全力をこめて著された『少年日本史』(現講談社学術文庫『物語日本史』)の中に、源頼朝と義経に四節を宛て、彼等が平氏全盛の二十年間に「強健なる身体と剛毅果断の精神とを鍛えて」決起した。けれども、「親子兄弟親類の間の不和」により衰滅した、といふ経緯を公平に直叙してをられる。

その上で「頼朝出現の意義は大きい」所以として、「日本の国体、つまり国柄について深い自覚があり、朝廷を尊び、朝廷へのご奉公を……最上の喜びとした事」であると評価される。そこに引証されている史実の一つが巻頭の言葉である。

これは『吾妻鏡』元暦二年=文治元年(一一八五)六月十六日条によれば、尾張の勇猛な者が、院宣を持つて各地を巡検中の使者に反逆して、朝廷を誹謗した。その報告を受けた頼朝は、「綸命(勅命)に違背するの上は、日域(日本)に住すべからず。関東(幕府)を勿緒(疎かにすること)せしむるに依り、鎌倉へ参るべからず、早く逐電(逃亡)すべし」(原漢文)と厳命してゐる。

このやうな「頼朝の指導」により、幕府は「日本国の本質を変えるに至らなかった」とされてゐる。

※『少年日本史』は現代仮名遣いのまま引用