『報徳外記』に学ぶ尊徳の遺訓

所 功/京都産業大学名誉教授

二宮尊徳(通称金次郎)は、今もなほ学ぶ事の多い先達である。すでに内村鑑三が『代表的日本人』(英文原著、明治二十八年〈一八九六〉刊)に「農村教師」として特筆した尊徳は、戦前の国定教科書(修身など)に長らく掲載されてきた。

それが戦後、GHQの関係者すら評価してゐたにも拘はらず、戦前の反動によつて誤解され、全国の小学校にあつた少年金次郎像の多くが姿を消した。しかし近年、多面的な研究が進み、また「道徳」などの教材に採り上げられる例も少なくない。

特にグローバルな万物の共生とか、持続可能な社会の形成への関心が高まるにつれて、二宮尊徳の具体的な生き方と考へ方が見直され、それを活用する試みが、さまざまに行はれてゐる。

それは喜ばしい傾向であるが、その前提として大切なことは、関係の主要な史料を正確に読み解くことだと思はれる。そのために、『日本学叢書』などに収められてゐる『報徳外記』(原漢文)の要点を少し抜き書きした。それを参考までに紹介させて頂かう。

一 尊徳の言行を伝へる『報徳外記』

その前に簡単な解題を加へる。本書の著者は、尊徳(天明七年〈一七八七〉~安政三年〈一八五六〉)の晩年に十年近く師事してゐた斎藤高行(文政二年〈一八一九〉~明治二十七年)である。

高行は、福島の相馬中村藩士であり、学徳に勝れ歴史に詳しい斎藤完高の長男として生まれた。藩主相馬充胤に抜擢されて江戸へ留学し、二十六歳で尊徳に入門した。そのころから、高行の叔父であり尊徳の娘婿でもある兄弟子の富田高慶(文化十一年〈一八一四〉~明治二十三年)を助けて、相馬を改良する仕法実施のために苦楽を共にしてゐる。

この高行が「二宮先生に学ぶこと、ここに十年……親(みずか)ら聞く所の要途を記し」、安政元年(一八五四)三月に纏(まと)めたのが、『報徳外記』にほかならない。時に尊徳六十八歳、高行三十六歳である。これを「外記」と名付けたのは、本書末尾の「跋」に「全体の大用(概要)、季父任齋(叔父富田高慶)の『報徳記』(実は嘉永三年稿『報徳論』)……既に尽す」ので、それに敬意を表し「其の余意を捃摭(くんせき)(収集)し」たとある。

その上・下二巻(二十五項)は、上巻が1「命分」、2・3・4「分度」(上・中・下)、5「盛衰」、6・7・8「興復」(上・中・下)、9「勧課」、10・11「挙直」上・下)、12・13「開墾」(上・下)、下巻が14「治水」、15・16「助貸」(上・下)、17・18「備荒」(上・下)、19・20・21「教化」(上・中・下)、22・23・24「全功」(上・中・下)、25「報徳」、および首と尾の「序」「跋」から成る。

本書は、撰述から十九年後の明治六年(一八七三)、木版で刊行された。それが昭和六年(一九三一)『二宮尊徳全集』の第三十一巻に収められ、ついで同十五年、原漢文に書き下し文と注解を加えて『日本学叢書』雄山閣)の第十三巻に収められてゐる。

さらに戦後も、佐々井信太郎氏(一円融合会理事長、昭和四十六年歿)著『口訳(抄訳)報徳外記(報徳文庫版)』が戦前以来の版を重ね、また令息の佐々井典比古氏(報徳記念館初代館長、平成二十一年歿)が、その抄訳を同三十二年現代語訳に改め『現代版報徳全書』6に付載してゐる。

しかも、平成十四年(二〇〇二)には堀井純二氏(元報徳学園高校教諭・現在日本文化大学名誉教授)が、全文の書き下しに訳文と懇切な解説を加へた『訳註報徳外記』(錦正社刊)を出版するに至つた。

従つて、もはや屋上に屋を架す必要はないかもしれない。とはいへ、原漢文は相当に難解であり、書き下し文も全訳註も分量が多い。

そこで、私なりに重要と思ふ部分を各章から抄出し、その書き下し文の中に簡潔な語訳と語注を書き入れ、可能な限り原文の風味を残しながら、理解し易くすることに努めた。それでも判り辛い感を否めないが、せめて太字の部分だけでも拾ひ読みして頂きたい。

二 「命分」と「分度」の重要性

まず「序」に、「我が道は分度(自然の天分を知り、限度を弁(わきま)へること)にり。……分定まり度立てば譲道生ず(自分の分度が定立して残余を生じたら他に譲る事ができる)……けだし推譲(すいじょう)(他者を推し自分は譲ること)は創業の道(事業を創め、基礎を固める正しい道)なり。分度は守成(創業のあとを受け継いで基礎を守り固めること)の道なり」とある。

これに続く以下の本文は、項目ごとに抄出する。

1 「命分」……「万世に亘(わた)りて易(かわ)らざるは、天地自然の命分なり。その間に生まるる者は……自(おの)づから命分ありて存す。……人倫たるもの、いづくんぞその命に随ひて其の分を守らざるべけんや」

2 「分度・上」……「分を守るに道あり。度を立つる、これなり。度を立つるに道あり。節制(節度を守り、制御すること)これなり。およそ国用(公共の費用)を制するに、一歳の入(収入)を四分してその三を用ゐ、その一(25%)を余し以(もっ)て儲蓄(ちょちく)(備蓄)と為す。其の三を用うるに……均分して十二(月分)となし……また分かち三十と為し、一日の用度(必要な費用)を得るなり。……故に三年にして一年の儲蓄を生じ、九年にして三年の儲蓄を生じ、三十年の通を以て九年の儲蓄を生ず。国に九年の儲蓄あれば、而(しか)後に凶旱水溢(きょうかんすいいつ)(干天・洪水)ありと雖(いえど)も、民に采色(さいしょく)(動揺)無きなり。……」

3 「分度・中」……「それ分度は人道の本にして……その分に循(したが)ひてその度を守る。これを勤といふ。その度を約して有余(残余)を生ぜしむ。これを倹といふ。勤にして倹、倹にして勤、これを富盛といふ。……人道に循(したが)はば、則ち盛富を保ち、衰貧の患(わずら)ひ無し。何をか人道といふ。中庸の分度(不偏の中道を貫くこと)これなり。……国家中庸の分度を守らば、則ち治まる。……」

4 「分度・下」……「衣食住の道……飽食暖衣、逸居(いっきょ)(安逸)して教へ無ければ、則ち禽獣(きんじゅう)(動物)に近し。……その本を極むれば、則ち一(いつ)に教養に帰す。而して教養の道は分度に在るのみ。……分度立ちて而(しか)る後、礼楽・刑政も行はるべく、孝弟忠信(家族仲良く君臣和合)も為すべし。……分度たるは、我が道の本原(根源)なり

三 「盛衰の理」を弁へ「興復の道」を歩む

5 「盛衰」……「盛衰の理は……分を守れば則ち盛んに、分を失へば則ち衰ふること、天地必然の理なり。……君民は一なり。たとへば一木のごとき然り。……民は根なり。君は幹にして臣は枝葉なり。故に民盛んなれば、則ち君も臣も盛んにして、民衰ふれば、則ち君も臣も必ず衰ふ。……」

6 「興復・上」……「興復の道は、分度を立つるより先なるは無し。分度を立つるの要は、命分を弁(わきま)ふるに在り。何をか分といふ。四海(日本全体)は天子の分なり。封国(各藩領国)は諸侯の分なり。……その分内に於て、負債の(出いず)る所となる子金(利息)を除き、以てその国用を節制し、その分度を謹守す。これ国家興復の根元なり。……荒蕪(こうぶ)(荒れ地)墾(ひら)き尽して、而る後に一国の産粟(さんぞく)(産業)全く、負債償(つぐな)ひ尽して、而る後に一国の租額(収入) 全(まった)し。……これをこれ興復の道といふなり……」

7 「興復・中」……「国家の安危(興亡)は下民の栄枯に在り。下民の栄枯は租税に在り。租税軽ければ則ち民栄え、民栄えれば、国家安し。……その衰を挙げ、その廃を興さんと欲する者は、必ず先ず国家の分度(予算)と郡邑(ぐんゆう)の租法(税収)とを制定し、以て万世不易の規則を立つ。これいはゆる終りをその始めに尽くすなり。……」

8 「興復・下」……「分度立ちて貢法(税制)定まり、然る後に興復の実業(実施)に従事す。そのこれを施すや序次(順番)あり。先ず封内の一邑より始む。そのこれを行ふや道あり。いはく善を賞するなり。窮(困窮者)を賑(にぎ)はす(元気づける)なり。地力(当地の生産力)を尽くすなり。教化を布(し)くなり。儲蓄を持す(積む)なり。それ投票を以て、孝弟、力農(家協力して農業精励)、衆に出(い)づる者を挙げ(選び)、給するに賞金及び農器を以てし、かつ無息金貸与し、以て家道永安の法を授け……大いにこれを表旌(ひょうせい)(顕彰)し、以て一邑の模範と為す。これ善を賞する所以(ゆえん)なり。……日々に索綯(なわない)を課し、以て余力を積み、及び余財を貧者に推す(貸す)の類、各々その倍額を給し、以て義倉(備荒貯蔵庫)の資と為す。或いは戸口(ここう)を計りて貯粟(ちょぞく)を給し、饑饉に備ふ。これ儲蓄を保する所以なり。……」

四 「小を積み」「直きを挙げ」「田を墾ひらく」

9 「勧課」……「それ人道は小を積むを尊しと為す。何となれば、小は則ち大の本にして……いたづらに巨大を望みて細行を怠るは小の通患なり。……勤倹なれば則ち有余を分外に得、怠奢(たいしゃ)なれば則ち不足を分内に生ず。……各々懶惰(らんだ)を戒め、終(つい)には大小貧富も一様に力を戮(あわ)せて制を守らば、衰邑必ず安富の故業に復するに至るも、また自然の勢ひなり」

10「挙直・上」……「廃国を挙げ衰邑を興すの道は、直きを挙げて枉(まが)れるを錯(お)く(止む)に在り。直きを挙ぐるに投票を以てするは、則ち自ら用ゐず(独断せず)これを人に取る(他見を採用する)ものなり。……一邑を挙ぐるより、以て善を賞し窮を恤(あわれ)み、屋を蓋(ふ)き室を造るに至るまで、皆投票を用ふ」

11「挙直・下」……「投票を以て良民を求め、以てこれを挙ぐれば、則ち闔邑(こうゆう)(全村)の民、悉(ことご)く善良に帰すべきなり。……諭し畢(おわ)りて、投票の多寡(たか)を査し、以て賞級を定め、給するに賞金及び農器を以てし、かつ高票者別に恩貸(おんたい)を行ひ、以て家道安永の資とす。毎歳の歳末これを施行し、循環して止まず、闔邑あまねく沢し、……」

12「開墾・上」……「国の国たる所以(ゆえん)は田有るを以てなり。……故に農事盛んなれば、則ち田墾(ひら)けて国富む。……もしそれ五穀不生の地は、以て竹木を種ううべきなり。……それかくのごとくなれば、則ち国に廃蕪(はいぶ)無く、山林暢茂(ちょうも)して、百穀豊かに足る。これ富国安民の道なり。……」

13「開墾・下」……「天下の利、開墾より大なるは無し。而して天下の患(わずらい)、荒蕪より甚しきは無し。……国家を有(たも)つ者、分度を守り以て廃蕪を挙げ(調べ)、資糧を給し以て田野を闢(ひら)かしめば、則ち農業日に盛んに、菽粟(しゅくぞく)(穀物)水火のごとし。……国君よろしく荒蕪の大患を除き、開墾の大利を興し、以て天下の生民を全活すべきなり。」

五 「助貨の法」「興復の法」で衆を救ふ

14「治水」……「天下の利、米粟(べいぞく)より大なるはなし。米粟、田に生ず、而してこれを養ふは水なり。水善く田を養ふも、淹潦決溢(えんろうけついつ)(洪水)、また善く田を害す。……その源を涵養するものは林樹に在るなり。……それ深山幽谷は、年々杉檜を植ゑ、以て種木と為すときは、則ち数年の後、その種子、風の飛ばす所と為り、或は雨の流す所と為り、以て暢茂(ちょうも)するを期すべきなり。山林暢茂し、河防修築し、而る後に、天下の田、以て水旱(すいかん)の患ひを免るべきなり。……」

15「助貸・上」……「国家の患ひは負債より甚だしきはなし。……これを済(すく)ふ術は、独り我が助貨の法(無利子の貸付)あるのみ。これを命(なず)けて報徳金といふ。その財に息(利子)を起さず、そのかつて出(いだ)せし所の利息を留め、以てこれを償(おぎな)はしむ。則ち僅々(きんきん)五年にして、而も清貧の功成るなり。……助貨循環して一周度に至らば、則ち諸びとその苦しむ所より免れ、諸びとその利とする所を得て、しかも資金は増さず減さず、……人もしこれに效(なら)ひて、奢侈(しゃし)を省き節倹を守り、余財を譲り、以てその法を行ふときは、則ちこれ衆を済ふの事にして、善行これより大なるはなし。……」

16「助貸・下」……「国家の憂ひは。荒蕪と負債とに在り。……助貸の徳たるや……十金を貸して十金を取り、百金を貸して百金を取ればなり。……一歳の経費を細査し、以て天命の分度を探り、……もしくは十年の出を通計し、以て助貸の額と為す。……而して奢侈(しゃし)を改め、倹勤を守り、歳課畢(おわ)りて後、更に助課を請ひ、以てその旧負を清くすべきなり。……負債を清くし、以て利息を留め、その憂ふる所を除きて、その安んずる所を与ふ。……」

17「備荒・上」……「三十年にして小凶臻(いた)り、五十年にして大凶臻る。これ転変自然の教なり。……けだし豊年に飽く者は、必ず凶歳に餒(う)ゆ。豊凶を均(ひと)しくすれば、則ち何の豊凶かこれあらん。……我が興復の法、一邑全く復するに及べば、一口(一人)一日粟五合を以て率とし、戸口を通計して見在の実数を給し、以て儲蓄となすなり。……」

18「備荒・下」……「衰廃の国……これを救ふ道あり。まづその封邑(ほうゆう)をして飢に迫るの邑を投票せしめ、……分かちて三等と為し、上を無難と為し、中を中難と為し、下を極難と為す。……無難の民、日に五銭を積み、中難の民、日に三銭を積み、極難の民、日に一銭を積み。五年を以て償還すべし。……」

19 「教化・上」……「教養(教化と養育)の民に於けるや……なほ人の二足に於ける如く、互ひに相まちて後(のち)に行くべし。而してそのこれを教ふるや、(み)を以てこれを導くに非(あら)ざれば、則ち又行はれず。……故に衰邑の民を導くには、鶏晨(けいしん)(早朝)回邑(かいゆう)(村内巡回)を以て先務と為すなり。……行(行動)と教(教導)と並び至り、教と養と並び行はる。而る後、孝悌忠信導くべく、倹譲の教へ施すべし。……」

20「教化・中」……「行と教は一なり。……それ行ひて而る後に教へ、学びて而る後に行ふ。故にその功必ず修斉(修身・斉家)より以て治平(治国・平天下)に至る。……我が復興の法は、怠惰を振起するに鶏晨回邑を以て急とし、これに応ずるに誠実を以てし、これを導くに躬行(きゅうこう)を以てす。……民、観感興起して、心中より自ら怠惰を恥ぢ、夙興(しゅくこう)夜寐(やび)(朝 早く起き夜遅く寝て)励精勤業し、ついに廃家を復し、衰邑を興すに至るなり。……」

21「教化・下」……「貧富相和して貨財生ず。……富者は天分に止まり、余財を譲り、以てこれを貧者に推し、貧者は夙夜勤動し、余力を推して以てその徳に報ゆ。貧富大小、各々その分に止まり、その業を楽しみてその生を安んず。それかくのごとくなれば、則ち貧富相和し、一邑は一家のごとく然り。……孝弟忠信行はれ政も刑を措(お)く(止む)に至り、教化の能事終はるは……推譲の道行はるるが故(ゆえ)なり。」

22「全功・上」……「国家衰廃の時に当り、……有志の大夫……必ずまづ弊政を改め、奢侈を禁じ、入を量り以て出を制し、倹を行ひ以て民に厚うす。……一国の士、自らその分を知り、その貧に安んず。これ大業、その終りを慮(おもんぱか)りて功を全(まっと)うするの道なり。」

23「全功・中」……「衰へたるを挙げ、廃れたるを興すは……人君の職なり。……その功を成すは大夫の任なり。……大業に任ずる者、必ずまづ禄位(俸禄と位階)を辞し……大夫辞する所の禄粟(ろくぞく)を以て荒蕪を墾(ひら)き、……一身全国の分外に在りて、興国の大業に任じ、国君の仁政を助く。……」

24「全功・下」……「国を興し民を安んずるは大業なり。……故に大業を為さんと欲する者、……禄位を辞し、……独り世々浴する所の、君恩に報ゆるを以て念と為し、……廃国を挙げ、その成功を全うするに至る。……」

25「報徳」……「我が道は(三才の)徳に報ゆるに在り。……それ人の世に在るや、三才(天・地・人)の徳に頼らざる者無し。……上は王侯より下は庶人に至るまで、各々天分に止まり、節度を立て、倹勤を守り、而して分外の財を譲り、報徳の資と為し、以て荒蕪を墾(ひら)き、以て負債を償ひ、以て貧窮を恤(あわれ) み、以て衰邑を挙げ、以て廃国を興す。そのこれを施すや一家より二家に及ぼし、一邑より二邑に及ぼし、漸次郡国、天下に及ぼし、遂に海外万国に推し及ぼす。これ天・地・人の三才の大徳に報ゆる所以なり。……。それ民情は仁に帰す。……君、民を愛すること赤子のごとく、民、君を慕ふこと父母のごとくんば、則ち外蕃必ず窺伺(きし)せず。四海その風帆(ふうはん)を見るべからざるなり。……天地開けて万国と為る。小大同じからざるありと雖も、しかも各々不易の命分ありて存す。その命に率(したが)ひ、その分を守り、分内を検して以て海内(かいだい)を撫し、分外を譲りて海外に及ぼす所以、……これ報徳の及ぶ所、我が道の終り(究極)なり」
*末尾の「跋」は前節に抄出したので省略。

六 平泉先生の解説と市村博士の評価

この『報徳外記』に注目された平泉澄博士は、これを「日本学」のテキストに選び、昭和十五年『日本学叢書』の第十三巻に収め、自ら簡潔な判り易い解説を寄せてをられる。

その中で、尊徳(「二宮先生」と尊称されている)は、小田原藩主大久保忠真(ただざね)(のち老中)から、分家宇津氏の領地である下野国(しもつけのくに)芳賀(はが)郡(栃木県真岡(もおか)市)の改革を要請された。そこで、、文政四年(一八二一)三十五歳より、荒蕪(こうぶ)を開くに荒蕪の力を以てし、衰貧を救ふに衰貧の力を以てするの法を立て、教ふるに人道を以てし、導くに勧農を以てして、十年の内に之を再興されたところ、「先生に就いて教へを請ふ者」が続出したことを評価される。

その尊徳と苦楽を共にした第一の高弟は、相馬(そうま)藩士の富田高慶である。彼は師の晩年に『報徳論』を著し、師の逝去後に『報徳記』を著した。後者は全六十三話に「先生一世の言論功業」を記したものとされる。

たとへば、巻一に寛政十二年(一八〇〇)、父を失つた金次郎(十歳)は「鶏鳴(けいめい)に起きて遠山に至り、或は柴を刈り薪を伐り之をひさぎ、夜は縄を綯(な)ひ草鞋(わらじ)を作り、寸陰を惜み身を労し、心を尽し、母の心を安んじ二弟養ふことにのみ労苦せり。而して採薪(さいしん)の往復にも『大学』(儒教「礼記(らいき)」の一編)の書を懐にして、途中歩みながら之を誦し、少しも怠らず。これ先生、聖賢の学の初めなり」と、今も広く知られる逸話を紹介される(念のため、歩きながら読んだのでなく、暗誦しながら歩いてゐたのである)。

その上で、平泉先生は、「(二宮)先生の教が如何(いか)なる内容をもち、如何なる人生観をもつものであるか、その哲理を明かにし、原則を知らうとする者は、報徳外記によらなければならない」とされ、この中で「最も大切なるものは、蓋し分度と報徳の二つ(2と25)」であると指摘されてゐる。

この「分度」は、各自の「天分」を自覚することであつて、法的な「身分」に制約されることではない。平泉先生は、「かくの如き分の思想」が日本古来「道徳の根底をなし」「経済の基調である」ことを詳述したものが本書とみなされる。

しかも、この解説末尾に「経済学が西洋経済学の直訳より脱却して、真に日本の経済学の確立を目ざすとき、最もよりどころとなるものは、実にこの報徳外記であらう」と洞察されてゐる。

これを重く受け止めて来られたのが、国際的な経済学者の市村真一博士(現在九十七歳)である。

博士は早くから平泉先生に私淑され、先生の必読文献を精選して、半世紀前から『先哲を仰ぐ』の編纂に尽力し、重版のたびに重要な論考を増補されて来た。その最新四訂版(昨年五月、錦正社刊)に『日本学叢書』の解説を「二宮尊徳」と題し収録してをられる。

その「あとがき」で、市村博士は尊徳の「経済学」(報徳学)を現代にも有意義な「経済政策論」として再評価され、「(1)「貧窮の主因を飢饉・洪水等の〝危機〟と断じ、危機への事前対策と危機時代の備蓄の手厚く詳細周到なること、(2)生産増(開墾・投資・地質改良等)貧者への分配の配慮の手厚さ、(3)村・藩などを一体と見て、全体の社会会計を正確に計算してゐる事」と指摘されてゐる。

このやうな「報徳学」には、利己的な政治・経済の政策などにより、分裂抗争の深刻化
する現代社会の危機を打開し、克服する英知が盛り込まれてゐると思はれる。

これを管見により解すれば、私共の日常生活において大事なことは、自然と共存する各自の天分(分度)を自覚して、「勤」(進んで働くこと)、「倹」(考へて使ふこと)、「譲」(喜んで譲ること)の三点を心懸けることであらう。それならば、おそらく誰にも可能であり、傘寿の私自身も実践に努めたい。