巻頭言

八月号巻頭言 『仁ナンゾ不仁ニ勝タザランヤ』 解説

久野勝弥

当時、東京帝国大学の学生は学徒動員で、中島飛行機の工場に派遣されてゐた。二月十七、十八の両日、生徒指導のため博士は小泉製作所に出張を命ぜられた。

当日の様子を博士は、筆者宛書状で次のやうに記されてゐる。「その日は関東一帯空襲にさらされ、電車に乗る人少なく、車も度々停りました。飛行機の工場がガラ空きにて、東大生皆一里先きの河原まで避難中との事でした。残留して工場を守りつつ、私を迎へてくれたのは国史学科の人々、室城・平野(今熊本にゐます)の諸氏でした。やがて法学部学生も帰り、皆で私の講演を聴いてくれましたが、三島由紀夫氏も室城氏と並んで聴いてゐたとは室城氏の回想です。その時の室城氏の詩が残つてゐるとよいのですが、私の手許のは焼けましたし、青々も焼けましたから、今は伝はらないでせう。残念です」(昭和四十六年十月十七日付)

講演の題名は吉田松陰の『講孟劄記』告子上第十八章から引かれたものである。前日十七日には『松柏の志気』と題して講演をされてゐる。両講演ともに戦後、室城氏が自から活字を組み、印刷に付して青々塾生に配られたものである。