順徳天皇の美意識

山田詩乃武/歌人・文筆家(佐渡出身)

第八十四代順徳天皇は承久の変に敗れ、鎌倉幕府執権北条義時により佐渡に配流せられた。

 『小倉百人一首』の掉尾(ちょうび)を飾る、

百敷(ももし)きや古き軒端(のきば)のしのぶにも
なほ余りある昔なりけり

はよく知られているところであるが、順徳天皇を知る人はきわめて少ないと思う。その御生涯については拙著『順徳天皇』で詳しく書いたつもりである。

ここでは、歴代天皇の中でも秀逸な歌人であられた順徳天皇の美意識の一端を、何首かの御製を採りながら、うかがっていく。

蟬の羽のうすくれなゐの遅ざくら
折るとはすれど花もたまらず

「美の鬼」とも称された優美主義の歌聖、藤原定家の孫で藤原為家の三男である冷泉家の祖、藤原為相(ためすえ)の撰による鎌倉後期の『拾遺風体和歌集』の巻第二夏歌に入集(にっしゅう)されている順徳天皇の御製。建保四年(一二一六)三月十五日の歌合、順徳天皇二十歳の時の『内裏二百首御和歌』から採られた。

歌意は、
( 山の中にひっそりと咲く遅桜は儚(はかな)い女心。恋人によって手折られた時、花は枝に留まることができず、その衝撃でたちまち散ってゆく。女は蟬の羽のように透きとほる羅(うすもの)を纏(まと) っているのだろう)

夏歌ではあるが順徳天皇の品格の高さ、趣味の良さ、知性、これらを合わせた繊細な詠み手としての美学が如実に表れている。薄氷を踏むように儚(はかな)く花車(きゃしゃ)な女性の心の奥襞(ひだ)にまで忍び寄る。

順徳天皇の歌の師でもある定家は「風」を「男」とみなした。対して順徳天皇は「花」を「女」に例えた。

定家の父、俊成の養女となった孫娘の『新古今和歌集』に載る艶麗な相聞歌がある。孫娘は順徳歌壇において活躍し、定家とともに順徳天皇の歌の師としても交流を深め、俊成卿女として称された女流歌人である。

風通ふ寝覚めの袖の花の香に
薫る枕の春の夜の夢

( 春の夜、夢から覚めると風が吹きかよい、袖は花の香に匂う。そして、枕にも花の香りが ― 夢の中でも花が散っていたかのように ―)

順徳天皇には佐渡で詠ぜられた『御百首』(春二十首)の中に次の歌が見られる。

夢さめてまだ巻きあげぬ玉だれの
ひま求めてもにほふ梅が香

( 夢から覚め、まだ玉簾(たまだれ)を巻き上げていないうちから ― わずかな隙間を求めて匂ってくる梅の香り ― )

定家は「其心妖艶、其詞美麗候」と評した。

さらに、俊成卿女は同歌集に「寄雲恋歌(雲に寄せる恋歌)」として建仁元年(一二〇一)、後鳥羽院も絶賛し入集された恋歌がある。

下燃(したも)えに思ひきえなむ煙だに
跡なき雲のはてぞかなしき

「下燃え」とは「人知れず思い焦がれること」。

歌意は、
( 密かに思い焦がれるまま、わが身は燃え尽きてしまうだろう。そしてその煙さえ、跡形もなく雲の果てに消えてしまうだろう。そう思えば悲しい)

翌年、卿女は院に召され女房として御所に出仕し、後鳥羽歌壇の中核として数多く出詠した。

同歌集巻八に入集されている元久元年(一二〇四)初冬、後鳥羽院二十六歳の時の哀傷歌がある。

思ひ出づる折り焚く柴の夕けぶり
むせぶもうれし忘れ形見に

( 今は亡き彼の人を偲んで水無瀬の離宮の庭で柴を焚いている夕べ、なびく煙にむせび泣くのも、忘れがたい彼女の荼毘(だび)の煙のように思われて、むしろうれしく思われる)

「亡き彼の人」とは後鳥羽院から並みならぬ寵愛を受けた更衣(こうい)尾張局(おわりのつぼね)である。尾張は前年、皇子を産んだ。朝仁(あさひと)親王、のちに天台座主ともなる道覚(どうかく)法親王である。しかし、尾張は産後の回復が悪く、里に下って養生したいと切に請うたが、血気盛んな後鳥羽院の愛執はこれを許さなかった。数カ月後、病状が悪化して斃(たお)れてしまう。

余談だが、徳川六代将軍家宣(いえのぶ)と七代家継(いえつぐ)に仕えて幕閣の顧問となり文治主義の方針を推進した大儒、新井白石は退隠後に執筆した自叙伝を『折り焚く柴の記』と命名した。出典は、この後鳥羽院の御製であろうといわれる。

建永元年(一二〇六)、和歌所の当座歌合に尾張を偲んで詠んだ一首も、『新古今和歌集』に前作と並んでいる。
雨中無常といふことを

なき人の形見の雲やしぐるらむ
夕ふべの雨に色は見えねど

後鳥羽院のこれら二首は、先の俊成卿女の歌をおのずから想起してしまう。

卿女は「彼の人」への想いを「かなし」と詠んだが、後鳥羽院は物狂おしい激情で「うれし」と詠まれた。

後鳥羽院にとって歌聖藤原定家は和歌の師でもありライバルでもあったが、「治天の君」として君臨するとともに、名篇『新古今和歌集』を勅撰した中世屈指の歌人でもあられた。その後鳥羽院を父に持つ順徳天皇の「うた」は繊細優美である。

人心あさかの沼のうす氷
かたみながりに消えわたるかな

( 恋しい人の心が安積(あさか)の沼の薄氷のように浅いので、氷がみるみるうちに溶けてゆくように私も恋人と逢い見ていても消えていくようだ)

順徳天皇は、「彼の人」を「うすく」「たまらず」「消えわたる」と詠まれた。

やまとことばで紡ぎ出した俊成卿女の「うた」は幽玄にして妖艶で美しい。順徳天皇の「うた」の繊細さと美しさは、後鳥羽院や定家はもちろんだが母親ほども年の離れたこの年上の女性の手ほどきも受けられたにちがいない