『日本』令和元年12月号

令和の時代の外交姿勢を考える

永江太郎 /(一財)日本学協会理事


令和元年は、上皇陛下の御譲位で新帝陛下が践祚され、平成から令和に改元された年である。国民等しく慶賀する中で践祚の儀式が斎行され、内外の賓客を招いた即位礼正殿の儀も皇祖皇宗に新嘗を供される大嘗祭も滞りなく行われた。

御即位に伴う古式豊かな儀式は、日本の文化伝統が皇室によって守られてきた事を改めて実証した。そこには平安時代の雅(みやび) な世界が再現されているが、文化伝統の継承は国民の側にも自覚と責任が求められる。少なくとも皇族と共に侍立する三権の長には、伝統的な束帯姿を求めたいと思う。

我が国が、世界の国々と決定的に異なる特色、即ち国柄は、神武天皇の建国に始まる万世一系の天皇と国民が深く結びついた君民一体の家族国家にある。その厳然たる事実が、即位に伴う一連の儀式と国民の歓喜の声によって改めて実証された。国際的にも、今上天皇が帝位に就かれた事を内外に宣明される即位礼正殿の儀には、世界中の国々や機関から、国王や大統領などの元首級の貴顕四百二十三人が、立憲君主国日本の天皇(エンペラー)の即位を慶祝するために参列したのは、その証(あかし)である。天皇陛下が高御座に登られる頃には、雨も上がって都内の空には虹が出て、富士山も初冠雪の美しい姿を現した。


厳しくなった国際環境

その一方で、四面環海の島国に安住して平和と安寧を享受している我が国の外海には、覇権争奪の厳しい荒波が牙を剥(む)いている。今や極東アジアは、危機的状況にあると言って良い。西に東に覇権を拡げている中国に加えて、韓国も完全な反日国家になり、北朝鮮も核ミサイルの保有を誇示している。それでも我々は国家の安全を全面的に米国に委ねているが、本当にこれで良いのか。極東アジアの安全保障環境が、米中の微妙な軍事バランスで成り立っているという厳しい現実をこのまま無視し続けていて良いのか。少なくとも北朝鮮の核ミサイルに対処しうる程度の防衛力は持つべきではないのか。核の傘だけでなく、敵基地攻撃能力まで米国に依存している現状では、北朝鮮によるミサイル攻撃を防ぐことはできない。

特に、今年になってから顕著になった国際環境の変化に日韓関係がある。問題の発端は徴用工裁判であるが、その原因が韓国の文在寅大統領による「反日政策」にあることは明らかである。国家間の友好は、約束は必ず守るという信頼がなければ成り立たない。しかるに文在寅大統領は、日韓請求権協定で決着している徴用工問題を「一度合意したからといって解決済みにはならない」と主張して譲歩を要求。日本が相手にしないと日本商品の不買運動を扇動し、日本が輸出規制のホワイト国除外を決めると、日米韓の安全保障の要であるGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄という見境のない対応をした。これには流石の米国政府も異例の批判を示した。


歴史のウソに同調してはならない

しかし、問題をここまでこじらせた原因は、これまで韓国を甘やかしてきた日本側にもあると反省すべきであろう。韓国政府は、これまでの経験で相当無理な要求でも、日本側が譲歩すると確信していたと思われる。このように韓国に安易な譲歩を期待させる原因の一つが、慰安婦問題である。

慰安婦問題については、既に本誌の平成八年十二月号(編集部名)、同十九年七月号で論じたので要点だけにするが、平成二年頃から軍の関与の有無が国会で議論されていた時、政府は一貫して民間業者の問題であると答弁していた。これが日韓の外交懸案になったのは、平成三年十二月に韓国人慰安婦が損害賠償請求をして、韓国のマスコミが大きく取り上げてからである。韓国政府から「日本政府の否定だけでは国内を説得できない」と善処を求めてきたので、宮沢喜一内閣は石原信雄官房副長官の下に外政審議室が中心になって、改めて関係史料の調査を始めた。その最中の平成四年一月十一日、朝日新聞が一面トップで、陸軍省の「従軍慰安婦の募集に関する件」という通達を、新発見と称してあたかも陸軍が慰安婦を募集しているかの如く報じた。この通達は陸軍の名を騙(かた)って慰安婦を募集している悪徳業者がいるので気を付けるようにと注意を促した文書で、軍の関与を完全に否定する史料であるが、通達の表題と朝日新聞のフェイク記事を信じた韓国の国内世論が沸騰した。

宮沢首相が韓国を訪問する直前という時期だったので、狼狽した加藤紘一官房長官は実態を確認せず、早くも十三日に「お詫びと反省」の談話を発表し、十六日に訪韓した宮沢首相も首脳会談などで謝罪を繰り返した。こうして、日本政府自ら軍の関与を認めたのである。その後も安易で軽率な対応は続いた。

次いで、慰安婦問題の焦点が強制連行の有無になると、韓国政府は改めて再調査を要請してきた。この時も、私は防衛研究所戦史部の所員で史料専門官を兼務していたので、慰安婦関係史料の調査には当初から関わり、防衛研究所の日本軍関係史料には強制連行を疑わせる事実はないと報告した。政府も外務省や厚生省の調査も踏まえて、強制連行の事実はないという調査結果を韓国政府に伝達したのである。すると、それでは韓国国民が納得しないので、韓国で朝鮮人慰安婦の証言を直接聴取して、裏付け調査をせずに鵜呑みにして強制連行があった事にして欲しいと懇願してきた。こうして河野洋平官房長官の「河野談話」が生まれたのである。政府はこれで慰安婦問題を決着させると言う韓国政府の約束を信じたが、現状は河野談話によって日本が強制連行を認めたかのような結果だけが独り歩きして、問題の解決を複雑かつ困難にして今に至っている。

これらの経緯は、当時の最高責任者であった石原官房副長官や主務者の外政審議室長の国会証言に明らかである。

その背景にあるのは、譲歩をしてでも外交交渉を穏便に纏めたいという外務省の事なかれ主義であろう。事実よりも妥協を重視する体質が、如何に国益を損なっているか計り知れない。韓国も中国も自分に都合の良い約束しか守らない国であり、国民性であるとの認識が欠落しているのではないか。

それは中国に遺棄したとされる化学兵器でも起こった。外務省の依頼で支那事変における化学戦の実態を調査し、南満州のハルバ嶺に日本軍が放棄したとされている化学兵器は、終戦時に吉林省の敦化で武装解除された時、一般の武器弾薬と共にソ連軍に引き渡したものである。後に中共軍に移管されたが、化学兵器(毒ガス)だけは持て余した中共軍が、地元住民を動員してハルバ嶺に巨大な穴を掘って廃棄したものであると報告したが、既に日本側負担で決着しているとして黙殺された。その結果、ハルバ嶺では未だに莫大な国費を投じて処理作業が進められている。


対中外交も米国追随から自立を

極東アジアの緊迫した状態を引き起こしている元凶は中国であるが、中国の野望を見抜けず世界の脅威となる巨竜にした責任は、我々日本人にもあると自覚すべきであろう。

世界の平和は、バランス・オブ・パワーで成り立っているという現実に目を瞑(つむ)り、自国の安全を放棄して平然としている日本人の思考の甘さが、中国への膨大な経済援助や見境のない工場進出につながり、技術移転と称して最新技術が詐取される事を見逃してきたのである。

米中経済戦争の背景にあるのは、米国がこの現実に目覚めたからであるが、国内産業の空洞化を意に介する事なく、グローバル経済の名の下に製造工場を中国へ移転したのは米国が最初である。

我が国の失敗の多くは、このように戦略的思考が欠落している米国に、安易に追随して自主的な判断を怠った結果であろう。