『日本』令和元年5月号

新天皇の御即位を寿ぎ、「令和」改元で心爽やかに

宮地 忍/元名古屋文理大学教授


風薫る令和元年五月。新たな天皇陛下、新たな元号を戴き、正月が二度やって来た感がある。読者の皆さんも、心が一新されたのではないだろうか。「令和」が、万葉集から選ばれたことも新鮮だった。新陛下の御即位を寿ぎ、「令和」の日々を爽やかに過ごして行きたい。


「平成」を通して高まった国民の一体感

天皇位の御譲位は、江戸時代の文化十四年(一八一七)、新暦換算の五月七日に光格天皇が譲位されて以来、二百二年ぶりのことになった。上皇となられた先帝陛下は、平成の三十一年間、皇后陛下とご一緒に広く国民に接せられ、日本国民統合の象徴として存在感を存分に示された。国民からの敬愛も、昭和の戦後期よりも一段と深まったと感じられる。

即位された新帝陛下は、そうしたお姿を見て来られ、時に行動を共にされていた。国民統合の新たな象徴として、皇后陛下とお手を携え、爽やかな風を送って頂きたい。見守る上皇、上皇后陛下のご存在と共に、国民の一体感は益々高まるだろう。ご療養を続けられる皇后陛下のご健康が気になるところだが、それをおいたわりになる天皇陛下のお姿は、福祉国家・日本の象徴でもある。皇后陛下が時に公務を休まれることも、そうしたメッセージを内外に発信することになる。ゆるりと過ごされ、敬宮(としのみや)愛子内親王殿下を慈しまれることが、国民の願いでもある。


元号は日々の暮しを刻むにふさわしい

新たな時代を刻む「令和」――。明治以降、一世一元の制になってからの年号を、元号と呼ぶ。歳月を数える紀年法のうち、西暦二〇一九年、皇紀二六七九年など、ある歴史の起点から通算する紀元式に対し、年号・元号は国王の即位や大事件を契機に改まる。元号は、我が国の天皇陛下の御代替わりごとに新しくなる。年号の歴史と意義については、今月号の巻頭論文とさせて頂いた平泉澄博士(明治二十八~昭和五十九年)の講演記録「年号の意義」に詳しい。

新帝陛下の御即位、令和の始まりを、正月気分と言っては畏れ多くもあるが、一庶民の感覚としてお許し願いたい。元号は自己の来し方、行く末を、社会の動きと関連させて回顧、反省する上でも、優れた制度と言える。私自身、昭和に生まれ、昭和の時代は会社勤務も猪突猛進であった。平成の時代に入り、幾分かは自由に考察、行動出来る立場になり、やがて退職、大学に移籍した。三人の息子・娘も、上の二人は昭和生まれだ。末の息子だけが平成生まれで、三十歳近くになっても、「おぉ~よしよし」と言いたい気分が残っている。「上の二人は一九八〇年代生まれ、末っ子は一九九〇年代生まれ……」で、こうした感覚が持てるだろうか。

このような時間の感覚が令和の時代を新たに刻むほか、平成、昭和……と振り返れば、他の人とも共有の過ぎし時間となる。それが、時の天皇陛下とも同じ時間であるとは、何と素晴らしいことだろうか。西暦、皇紀の通算には、経年的に歴史を遡る際の計算の便利さはあるが、元号年による枠取りのような歴史の共有、共感性はない。「阪神大震災の時はどうしていた」「あれを機に、イザの用意に携帯電話を持つようになったものだ」というような大災害(平成七年、西暦一九九五年)の点としての思い出は、西暦思考の人とも語り合える。だが、「携帯電話は、昭和の末から平成の初めにかけて急速に普及していたよね」という会話は、西暦族とは成り立たない。携帯電話の登場は昭和六十年(一九八五)、NTTドコモの創立は平成三年(一九九一)であることは、調べてみないとわからない。「そうだな。携帯電話の急速普及は一九九〇年ごろだったね」と答える人が、どれほどいるだろうか。

「元号の使用は反対」という人たちは、「お祖父さん、お祖母さんが元気なころには……」と、時代を区切った思い出を、親類同士で語り合うことがないのだろうか。歴史を点として切り出す場合は西暦、ある時代を区切り、数える場合は元号――と、柔軟に使い分ければよい。


皇統百二十六代、年号・元号千三百年の歴史

歴史的にも、新たに即位された新帝陛下で百二十六代の皇統、令和で二百四十八番目となる年号・元号を戴く我々は、何と誇らしいことか。二千六百七十八年前の皇紀元年に神武天皇が即位したとは、歴史学上は断言できない。神話の要素も入っている。同時に、二千十八年前の西暦元年にイエス・キリストが本当に生誕したのか否かについても、諸説がある。だが、我が国の年号・元号の使用は、第三十六代・孝徳天皇の大化元年(六四五)に始まり、一時途絶えたが、第四十二代・文武天皇の大宝元年(七〇一)から千三百年間は確実に続いている。驚くほど長い歴史だ。

天皇陛下への尊崇、親近感には、人によって強弱があることは当然だろう。しかし、百二十六代・二百四十八の年号・元号が続いた皇室・元号制は、百二十七代・二百四十九番目、百二十八代・二百五十番目……と守って行くべきである。それを、文化という。国にも歴史にも心の立地点がない左翼が元号を嫌う心情は、それなりに分かるが……。

日本の国情を記録した最古の文献である中国の史書「魏志倭人伝」(『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条(ぎしょうがんせんぴとういでんわじんじょう))には、倭人(日本人)は「盗みをしないから争いや訴えごとも少ない」「貢納物を納める高殿がある」「国と国とに交易が行われて市が立ち、余剰品と不足品を交換している」「一女子を共立して王としている」(和訳)とある。「魏志倭人伝」は、魏の景初二年(二三八)に行なわれた卑弥呼女王からの遣使、正始元年(二四〇)の帯方(たいほう)郡太守による金印伝達など、邪馬台国(二十九か国連合)との交流、見聞に基づいた記録である。三世紀の前半、王を共立し、盗みや争いごとが少なく、税を納め、過不足を交易で補い合う日本人の暮らしぶりが、中国人の興味を引いたようだ。

邪馬台(やたい-やまと)国と卑弥呼女王が、大和の大王・天皇に直結するか否かも議論が分かれるが、人々の穏やかな暮らしぶりは、現在に通ずるものがある。千七百年余り続く民族性は、簡単には変わらない。


波乱もあろう令和の時代を、堂々と過ごそう

だが、令和の時代、我々が穏やかであっても、世界が平穏であるとは限らない。平成元年(一九八九)の冷戦終結宣言で世界大戦の危機は去ったが、逆に局地戦争、地域紛争が絶えなくなった。ロシア、中国の個別膨張主義も止まらず、朝鮮半島は南北共に混迷の度を深めている。

日本列島も、阪神大震災を機に百~百五十年周期の地殻変動期に入ったと指摘され、東日本大震災、熊本地震、北海道地震……と地殻のエネルギー放出が続いている。単発的な地震がさらに続いた後、総決算である南海トラフ大地震が、今後三十年間に七〇~八〇%の確率で発生するとされている。

一方、携帯電話などモバイル通信の世界は、今年から順次、「第五世代」(5G)の時代に入る。高速、大容量、多接続、省電力などで、無線ネットワークの世界を一変、新たな産業革命を呼び起こすとも言われている。我々の祖先は三世紀に、王の下、税を納め、交易を行い、争いを避ける先進的な社会を作り上げていた。穏やかであると同時に、危難を乗り越え、「令和の時代」を歴史に残す力が伝わっているに違いない。