『日本』令和元年7月号

戦ってでも守りたいものはないのか
― 丸山議員の戦争発言に端を発した報道の問題点

葛城奈海/ジャーナリスト・俳優・ 「防人と歩む会」会長・予備三等陸曹


令和に御代が変わって間もない五月中旬、北方領土でのビザなし交流で酒に酔い、元島民の団長に対し「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」「戦争しないとどうしようもなくないですか」などと問い詰めた丸山穂高衆議院議員の発言が物議を醸した。

この発言そのものについては、ここでは措く。強烈な違和感を覚えたのは、これを機に地上波テレビの番組等で見受けられた「戦争は、なにがなんでも絶対悪」という短絡的で無思考一辺倒な論調だ。

言うまでもなく、戦争など好んでするものではない。しかしながら、話し合いでどうしても解決がつかなくなったとき、あるいは、相手が武力をもって侵攻してきた場合、戦わなければどうなるのか。そのような世界的に見れば子供でも理解しているであろう現実を知ってか知らずか、有識者らが真顔で「戦争をしないことこそ正義」であるかのように語る姿に開いた口がふさがらなかった。彼らに問いたい。「戦ってでも守りたいものは、ないのですか」と。

そのような発想であれば、日本の平和と独立を守るために存在する自衛隊など、そもそも不要ということにならないか。現実に目を向ければ、世界の国境線は、そのほとんどが戦争によって引かれ、動かされ、あるいは守られてきた。大東亜戦争で先人たちが命を賭(と)して戦わなければ、とうの昔に日本は消滅していたかもしれない。事実、絶滅した民族、消滅した国はいくらでもあるのだ。


WGIPに支配された戦後日本

特攻隊に象徴されるような大東亜戦争での日本人の戦いぶりに、連合国は心底恐れをなした。自らの死をも恐れず立ち向かってくる日本人とは金輪際(こんりんざい)戦いたくないと思ったからこそ、その強さの源を破壊するため、さらには占領軍による支配を正当化するため、GHQは、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)、つまり「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」と呼ばれるしたたかな洗脳工作を行った。焚書(ふんしょ)と検閲によって徹底的に水面下で行われた心理作戦の浸透力はすさまじく、メディアはその影響に色濃く支配された。削除や発行禁止対象として報道規制された三十項目のカテゴリーは、以下の通りである。  ① SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判 ② 極東国際軍事裁判批判 ③ GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判 ④ 検閲制度への言及 ⑤ アメリカ合衆国への批判 ⑥ ロシア(ソ連邦)への批判 ⑦ 英国への批判 ⑧ 朝鮮人への批判 ⑨ 中国への批判 ⑩ その他連合国への批判 ⑪ 連合国一般への批判(国を特定しなくても) ⑫ 満洲における日本人の取り扱いについての批判 ⑬ 連合国の戦前の政策に対する批判 ⑭ 第三次世界大戦への言及 ⑮ 冷戦に関する言及 ⑯ 戦争擁護の宣伝 ⑰ 神国日本の宣伝 ⑱ 軍国主義の宣伝 ⑲ ナショナリズムの宣伝 ⑳ 大東亜共栄圏の宣伝  その他の宣伝  戦争犯罪人の正当化および擁護  占領軍兵士と日本女性との交渉  闇市の状況  占領軍軍隊に対する批判  飢餓の誇張  暴力と不穏の行動の扇動 虚偽の報道  GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及  解禁されていない報道の公表

これらのプレス・コード(「日本出版法」)は、よりによって「日本に言論の自由を確立するため」と謳って発せられたのだから、笑止千万である。

『日本人を狂わせた洗脳工作』(自由社)の著者・関野通夫氏は、WGIPについてこのように述べている。「GHQが、敗戦後の日本人の脳内に、秘密裡に注入した猛毒WGIPは、日本人の脳細胞をむしばみ、分別と常識を狂わせました。この〈遅発性の劇薬〉は、(中略)人道主義や平和主義という、口当たりの良い『糖衣錠』仕立てでしたから、飲んでも苦くはないし、舌が痺れたりはしない。それどころか、自分は世界平和を希求する、ガンジー並みのヒューマニストだと、歓喜をともなう自己陶酔にひたれるのです。国家の存立を根底から危うくしている〈幻覚剤〉なのに、見えづらいという点では、史上最大にしてもっとも巧妙な〈危険ドラッグ〉というべきでしょう」。

日露戦争の勝利で白人中心だった世界史の常識を根底からひっくり返し、第一次世界大戦後のパリ講和会議では世界に先駆けて「人種差別撤廃」を訴え、戦前・戦中と統治国の人々と兄弟のように睦みあってきた日本。かつて、あれほど強く優しく、世界の人々から畏敬の眼差しで見られていた日本は、この「危険ドラッグ」によって分別と常識を失った。ものの見事に去勢され、「戦うこと」は有無を言わさず「悪」という価値観が蔓延するに至った。それが、戦後体制であろう。


戦後体制の犠牲になった、北による拉致被害者

米大統領セオドア・ルーズベルトの言を借りれば、「外交交渉の基本は、『片手に棍棒を携え、穏やかに話す』」ようなもの。最終的には戦うことも辞さない、という武力の裏付けのない交渉は、相手国になめられ放題だ。その顕著な犠牲者が、北朝鮮による拉致被害者であろう。政府認定の拉致被害者は十七名。そのうち五名はすでに帰国を果たしているため、残るは十二名だが、警察発表で「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない」とされる行方不明者は、令和元年五月末現在で、八百八十二名だ。

被害者の象徴的存在である横田めぐみさんが十三歳で拉致されてから、今年で四十二年。そもそも拉致などを行う北朝鮮が悪いのは言を俟(ま)たないが、これだけ長い間、多くの日本人が拉致され続け、また彼らを取り戻せずにいる背景に、「日本人は戦わない」と見くびられていることがあるのは明らかだ。事実、日本に潜入したことのある元工作員は、こう証言している。「日本の警察は絶対に撃ってこないし、万一捕まったときに怪しまれないためにも丸腰のほうがいい」。

「拉致問題は最優先事項として取り組む」と言っている安倍首相も、自衛隊を使って救出することについては「憲法上の制約があるからできない」「いざとなったら米軍に頼むしかない」と述べている。国民を守れない憲法など変えるべきだ。と同時に、いつ実現するかわからない憲法改正を待たずしても「超法規的措置」という選択肢もある。ダッカ日航機ハイジャック事件の折、日本政府は武力での解決を避け、「(人質)一人の命は地球より重い」として超法規的措置でテロリストの要求に屈し、「日本はテロまで輸出するのか」と諸外国の批判を浴びた。そんなことで超法規的措置が使えるのであれば、拉致被害者救出にこそ自衛隊を使うことを検討すべきであろう。

自衛隊の活用法は、何も武力による奪還ばかりではない。最終手段として自衛隊による奪還の準備は当然整えておくべきだが、それ以外にも情報収集や日朝交渉など安全保障上の交渉の場に制服を着た自衛官を同席させるなど、自衛隊の活用の仕方は様々にある。自衛隊の活用とは、すなわち日本の武威を示すこと。政府は長年、「対話と圧力」と呪文のように繰り返してきたが、手をこまねいているうちに歳月ばかりが流れ、一日千秋の思いで肉親の帰国を待ち続けてきた家族は、歯が欠けるように他界している。棍棒という武威なき外交交渉のぶざまさを、我々はもっと真摯(しんし)に直視すべきであろう。

今回の騒動では、戦後七十余年を経て、WGIPの威力が今なお健在であることを、まざまざと思い知らされた。令和の御代にこそ、日本を蝕(むしば)むWGIPの呪縛から解き放たなければなるまい。