『日本』令和2年11月号

 新教科書に観る歴史教育の現状と課題

橋本秀雄 /日本教師会事務局長


来年度から四年間、中学校で使用される教科書の展示会が六月にあった。今回は平成二十九年改訂の新学習指導要領に沿った初めての教科書であり、今後の歴史教育がどうなるのか、七社の社会科歴史分野教科書の「歴史を学ぶにあたって」と「古代史」の部分で読み較べてみた。


「古代史」で教えない日本の「根っこ」

古代史は国家誕生の時代であり、日本の「根っこ」に当たる宗教心や国柄の原型に気づく重要な場面である。しかし一社を除いて、どの教科書も神道には触れず、国柄の中心をなす天皇がどのようにして生まれ発展をしたのか、その経過が十分に説明されていない。

宗教を扱うようになったのは平成二十年の学習指導要領からで、歴史的分野の「古代までの日本」の内容として「世界の古代文明や宗教のおこり」が加えられたのである。しかし、日本の宗教については新学習指導要領になっても記述はなく、内容の取り扱いで「古事記、日本書紀、風土記などにまとめられた神話・伝承などの学習を通して、当時の人々の信仰やものの見方などに気付かせるように留意すること」とあるだけである。そのためであろう、各社とも三大宗教のおこりを一単位時間で説明しているだけで、日本の「当時の人々の信仰やものの見方」についての扱いは各社で大きな差があった。

育鵬社は特設コーナー「日本人の宗教観」で、「わが国固有の宗教・神道の特色」について一頁をあてて説明しており、日本人の宗教的寛容さにも触れていてかなり行き届いていた。その他、教育出版は「歴史を知ろう」というコーナーで、「神話にみる古代の人々の信仰」について二頁にわたって紹介し、東京書籍は「古墳時代の文化」の本文で、古代人は山や大きな岩などの自然物に神がやどるとして祭ったことを記述しているが、両社とも神道にどうつながるのか敷衍(ふえん)していない。そして、あとの教科書は記紀を使った神話の紹介や神道についての説明はなかった。

宗教と同様に、学校教育で教えていないのが我が国の国柄の問題である。小学校学習指導要領の社会科篇、第六学年の内容に「天皇の地位」についての記述があり、その「内容の取り扱い」で、「天皇の地位については、(中略)歴史に関する学習との関連も図りながら、天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること」とある。中学校にはその記述はないが、歴史的分野の目標⑶に「歴史に関わる諸事象について、(中略)我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚、国家及び社会並びに文化の発展や人々の生活の向上に尽くした歴史上の人物と現在に伝わる文化遺産を尊重すること」を求めている。

小学校から中学校への連携と発展を考えれば、中学校の目標にある「歴史上の人物」として天皇は重要であり、その由来を丁寧に説明する必要がある。しかし、ほとんどの教科書では、天皇が登場するのは飛鳥時代の「推古天皇」からで、古墳時代の大和朝廷(多くは大和政権、ヤマト政権・王権と表記)の首長を大王と紹介しながら、後の天皇であることを古墳時代の中で紹介をしていない。

仁徳天皇陵はさすがにすべての教科書に掲載されているが、名称はあくまでも大仙(だいせん)(大山)古墳であって、世界有数の巨大な古墳が出来た由来を、仁徳天皇の善政の言い伝えで紹介しているのは育鵬社のみで、ほとんどは仁徳天皇陵と考えられていることさえ紹介していない。

また稲荷山古墳の鉄剣や江田船山古墳の鉄刀も、すべての教科書が扱っている。しかし、ここでも天皇とのかかわりはほとんど説明がない。鉄剣・鉄刀に記録されたワカタケル大王が、『宋書』倭国伝の「倭の五王」の一人の武であるとしたのは四社だが、それが雄略天皇と比定されていることを紹介しているのは育鵬社のみである。  このように有力な証拠があっても天皇の祖先が古くから存在していたことを多くの社は記述しない。


歴史を学ぶ意義は何か

各社の教科書の冒頭に「歴史を学ぶにあたって」という頁があり、なぜ我々は歴史を学ぶかについての説明がある。内容はどの社も大体一致していて、歴史には過去の人々がどのように課題を克服したのかの教訓が含まれている。それを学ぶことにより、これからの社会をよりよいものにしていけるとしている。しかし、その目指すところは、「より平和で豊かな社会」、「さまざまな立場や多様性を踏まえた未来」であって、先人の理想やそれに向けた努力などには思いを寄せていない。

ただ育鵬社は、歴史を学べば「日本という国は、古代に形づくられ、今日まで一貫して継続していることに気づく」とし、「先人が築いてきた歴史のバトンを受けつぎ、これからの歴史をつくっていく、たくましいランナーになる」ことを生徒に呼びかけており、自国の歴史の継承を重視している。

日本という国に生まれ、先人の努力によって生かされ、今日の自分があると合点がいけば、感謝の念が芽生え、自分も子孫にそのよさを残そうと思うものである。そして、そこに歴史を学ぶ意義がある。


歴史教科書の不毛の原因

これまでの教科書はそれを避けるように編集されてきた。原因は、直接には会社の方針や執筆者の歴史観にあるが、教科書検定の基準となっている学習指導要領にも問題がある。

これまでの学習指導要領の社会科の目標を見ると、年度によって前段の修飾語は多少変わるが、柱になる目標は後段で「国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う」こととしており、それが最終のゴールとなっている。したがって歴史事象が現代への教訓といっても、我が国の宗教心や国柄に関する事実は目指すゴールに結びついていかないのである。

さらに平成二十年の学習指導要領の歴史的分野の柱となる目標の後段は「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」と妥当な目標であったが、平成二十九年の改訂では「平和で民主的な国家及び社会の形成者に必要な公民としての資質・能力」の形成となり、「愛情を深め、自覚を育てる」目標は⑶へ後退した。しかも「(前略)多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚」と前提がついて、平成二十年の目標より後退している。

新しい学習指導要領にかける文科省の願いは、「主体的・対話的な深い学び」を実現し、これからの変化の激しい世界に生きるために課題解決能力の高い国民を育成することにある。確かに日本はこれからの厳しい国家間の競争に勝っていかなければならない。しかし、その力の源となる精神(=魂)を失っては、日本人の底力は生まれないのではないだろうか。


今後の課題

今日の歴史教育は教科書を見るかぎり、わが国のよさや精神を、感動をもって教えようとしていない。  かつて明治・大正の教育に警鐘を鳴らした河村幹雄博士は、次の言葉を残している。

国民文化を綜攝(そうせつ)( 総(す)べ整えること)する處の伝統的国民精神之れ実に教育の本体であります。歴史的展開に依て生れ来った一国民に特有な国民文化が無いならば教育の必要はありませぬ。否、假令(たとい)教育を行はうとした處で教育の憑據(ひょうきょ) (拠り所)する所、教育の力の湧き出づる源がありませぬ。(『名も無き民のこころ』岩波書店、昭和九年刊)

博士は教育そのものが、伝統的精神の育成であると断言されている。祖先の積み上げた伝統や文化、その中心をなす精神は日本に育った私たちの中に潜んでいる。それに気づかせ、内にある大きな可能性を引き出すには、正しい歴史に学ぶ必要がある。今後、歴史教育の問題点を国民に訴えると共に、学習指導要領の次期改訂に向けて抜本的な見直しを求めていかなければならない。