『日本』令和2年1月号

令和の御代の新年を迎えて

永江太郎 /(一財)日本学協会理事


令和の御代で最初の新年を迎えたが、去る十月二十二日に斎行された、新帝即位に伴う儀式の中で対外的に最も重要な「即位礼正殿の儀」に於いて、高御座に登られた今上陛下は、総理以下の各界代表や外国の賓客の前で、即位した事と令和の御代の大方針を宣明されました。しかし国内では、四月三十日の上皇陛下の譲位を受けて翌五月一日に践祚され、すでに元号も令和に改元されたので、第百二十六代天皇の御即位そのものは全国民周知の事実であり、四日の宮中参賀には十四万人を超える人々が参集したのである。

 

その意味では「即位礼正殿の儀」と「饗宴の儀」は、外国に対する国際的な即位の宣明であろう。儀式には、百八十六カ国に上る国々、アジアはもちろん遠いヨーロッパの王国では、スウェーデン、オランダ、ベルギー、スペインなどの国王、更にイギリスのチャールズ皇太子を始めとする王族、共和国になると南北アメリカやアフリカを含む世界の各地から大統領や首相などの政府首脳が参列して、今上陛下が帝位(皇帝・エンペラー)に就かれた事を慶祝した。世界中から訪れた賓客は二千人に達したが、その中には、中国の国家副主席王岐山や韓国の首相李洛淵も含まれている。

 

十一月には皇位継承に伴う一世一度の儀式「大嘗祭」も厳粛に斎行された。日本の文化伝統は、このように古代から連綿と継承されている儀式によって、今も生きている事を改めて証明した。天皇と国民の結びつきの深さ、神代に繫がる建国から今日まで続く万世一系にして君民一体の国柄は、人類の叡智を実証する世界唯一の生きた世界遺産であり、これを未来へと継承するのは、今に生きる我々の責務である。


国安かれ、民安かれの祈り

「即位礼正殿の儀」において、御歴代天皇の「国安かれ、民安かれ」の祈りを引き継がれた今上陛下が、 令和の御代の進むべき大方針として示された、「国民の幸せと世界平和を常に願い」の御言葉には千鈞の重みがある。では、具体的に何をすれば良いのか。

 

百五十年前、白人の欧米列強が全世界を支配している時に、日本だけが世界の列強に仲間入りが出来たのは何故か。戦後世界の中でも、我が日本だけが平和と経済発展の恩恵に浴しているのは何故か。

 

それは、明治九年に来日したベルツ博士が、その日記に「日本では、ルネッサンス以来五百年をかけて築き上げたヨーロッパの近代文明を十数年で習得するという文化革命が行われている」と、評しているが、それを可能にしたのが教育である。明治期には「器械芸術彼に取り、仁義忠孝我に存す」という幕末以来の意識を持つ指導者と、「学制」という文明開化一辺倒の教育の中で育った新人類の指導者が混在していた。「学制」の目的は「文盲ゼロ」であったが、新人類は我が国の伝統的な文化や美風も、その一切を旧弊として否定して西欧文明に心酔した。先述のベルツ博士をして「固有の文化をかくの如く蔑視するのは……」と慨嘆させた程であった。

 

この難問を解決したのが、教育勅語を始めとする教育の刷新と徴兵令下の軍隊教育であった。その詳細は省略するが、改めて直近の五十年を顧みると、国際的にはソ連の崩壊と中国の台頭があり、科学技術の面は正にイノベーションの名に相応しい激変で、宇宙競争が始まり、電子機器ではパソコンや携帯電話などが子供でも扱える時代となった。

このような中で、日本が平和で豊かな生活環境を享受できるのは、安定した国家の存在である。だが同時に、時代の変革期が迫っている今日、日本人の良識の分野まで意識を変化させた占領政策の影響が、教育の分野には未だに強く残っている。抜本的改革が望まれる所 ゆえん 以である。


世界の平和を実現するために  

二十世紀の世界は、大戦争を二回体験した。最初の第一次世界大戦では、その甚大な人的損耗の惨状から二度と戦争はするまいという厭戦気分が世界中に蔓延した。しかし、世界的大不況が始まると第一次世界大戦で膨大な利益を味わった米国の経済界に、戦争を待望する気運が生まれた。第三十二代大統領フランクリン・ルーズベルトは、その代表である。

 

第二次世界大戦では、戦勝国を代表する米国が、戦争原因の真の追及を回避して、戦争責任のすべてを敗戦国に転嫁して戦勝国だけによる国際連合中心の世界秩序を構想した。

 

しかし、この空想的平和主義は、その発足と同時に破綻して冷戦の時代が半世紀も続いたのである。そのような戦後世界の中で、建国以来未曾有の敗戦・被占領という屈辱の中で、伝統的国家観が否定され誇りと自信を喪失した日本人は、保護国同然の講和と独立を甘受し、GHQ作成の占領憲法を未だに容認して、世界の平和に貢献する意欲を失っている。

 

平和の条件は、バランス・オブ・パワーであり、独立国には自衛力が不可欠である。昭和天皇の再軍備論が正しく、吉田茂の反対が誤りであったことは本人自身が認めている。

 

しかし、世界の歴史は日本と日本人の意識とは関係なく変転し、今では国際社会の一員としての責任と負担を求めている。事実、我が国は全世界の平和に直接関与する力はないが、極東アジアの平和は自らの問題として対処し、極東アジアの平和を実現する事で世界の平和に貢献する事はできる筈である。世界には現状維持勢力と現状打破勢力がある。現在は前者の代表は米国であり、後者の代表は一帯一路政策でユーラシア大陸に一大帝国を夢見る中国である。新興中国の主張する東の領域は、西太平洋の全域即ち第一列島線から第二列島線に至る範囲で、既に実力で獲得する決意を表明している。中部太平洋からソロモン諸島などの南東方面にまで進出しているのは、その前哨線推進のためである。この構想は、大東亜戦争における絶対国防圏や米豪遮断を目的としたガダルカナル作戦やFS(フィジー、サモア)作戦などの日本海軍の作戦構想を彷彿とさせる。

 

これは中国の対米決戦の覚悟を表明したものと理解すべきで、中国が対米戦争を望んでいないと楽観するのは誤りである。中国が米国に伯仲する海軍戦力を保持した時、戦争を辞さないという覚悟で迫る中国の要求に、米国が屈しない保証はない。このような事態を防ぐには、米国と台湾と力を合わせて、第一列島線を確保して中国海軍を東シナ海に閉じ込めるしかない。かってソ連の極東艦隊をオホーツク海に閉じ込めたのは、米国の日本防衛の決意と北海道の自衛隊であった。米国の軍事力の圧倒的優位はいつまで続くのか、楽観は禁物である。今や、日米同盟は堅持するにしても、日本列島の防衛は日本自身の責任であると覚悟すべき時であり、憲法改正が必要な所以である。

 

日韓関係の悪化を象徴するGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の廃棄を韓国がその直前に撤回したが、それは、米国がこれは日韓・米韓の二つの協定ではなく、日米韓の三カ国協定であると強硬に説得したためである。韓国は反日世論という感情に支配される国で、極東アジアの平和には無関心である。従って、徴用工問題を始めとする諸懸案を、理性的に処理すると考えてはならない。冷静に対応させるためには、日本の報復を畏 い怖 ふさせることであろう。

 

極東アジアの平和は、日本がアジア第二の大国として韓国・台湾を含めた合従連衡策で、世界第一の軍事強国を目指す中国に対抗しなければならない。共産党独裁国家に屈服すれば明日の日本はない。