『日本』令和2年6月号

道徳心で試練を乗り越えよう

渡邊 毅 /皇學館大学准教授


新型コロナウイルスの感染が、世界に蔓延している。これが経済に大打撃を与え、人心も暗い影を落としていることが憂慮される。しかし、こんな時だからこそ、私たちは生きる力を漲(みなぎ)らせ、この難局をなんとしても乗り越えていきたいと思う。


偉人や古人に学び、すべての教科で満点

では、生きる力を漲らせ試練や困難を克服していくためには、どうしたらいいのだろうか。

こんな事例を紹介しよう。ある人の青年時代の話である。

彼が某私立大学に入学して間もなく、父親が失業する。授業料は一年分納めてあるが、年度の分は全く見通しが立たない。しかし、向学心に富む彼は、何としても大学に残りたいと考えた。そこで、彼は一計を案じた。それは特待生になって、授業料を免除してもらうという方策だった。ただし、特待生は一学科に一人だけ。絶対に一番にならなければならない。だから彼は、確実に一番になるには、すべての教科で満点をとることだ、と考え、それを断固実行しようとした。名案とは言え、事は容易ではない。まさに背水の陣である。このような状況下でも、彼は「悲壮感があったかと言えば、それはなかった」と言っている。それは、なぜか。彼は、こう言っている。

「子供の頃から新井白石や荻生徂徠や勝海舟の若い頃の話を読んで育ったうえに、大学一年生の時の漢文の『孟子』でも『天ノ将(まさ)ニ大任ヲコノ人ニ降(くだ)サントスルヤ、必ズ先ズソノ心志ヲ苦シメ……ソノ体膚ヲ餓(う)ヤシ、ソノ身ヲ空乏(くうぼう)ニシ、行(おこない)ソノ為(な)ス所ニ払乱ス……』と習い、それを口ずさんでいたので、貧乏は学問するための必須条件として受け取っていたからである」

こうして、極貧生活を送りながらトップの成績を維持しなければならないという試練を克服し、見事に卒業するまで全科目を満点かそれに準ずる点数を獲得し特待生になることができた。彼は文系の学部に属していたが、高校までの生活では経験もしたこともない真剣さで自然科学の授業にも没頭し、そのお陰で自然科学関係の話題にも興味を持ち続けることができるようになった。

さて、これは「知の巨人」と称された論壇の重鎮・渡部昇一(一九三〇~二〇一七年。上智大学名誉教授)の学生時代の話である。(渡部昇一『青春の読書』)この話で注目されるのは、渡部が語っているように、その試練を乗り越えるのに偉人の苦学した話や古人の言葉などが、その支えになっていたということだ。偉人や古人の生き方に学んでいたことで、「貧乏は学問するための必須条件として受け取」れるような道徳心が、渡部の中で養われていた。その道徳心によって渡部は、試練を乗り越えることができたのではないだろうか。


PTSDの発症を抑えた道徳心

そう考えられるのも、アメリカのベトナム戦争帰還兵士に関する、次のような研究報告があるからである。帰還兵士たちによく見られた症状として、心的外傷後ストレス障害(PTSD)があった。人は過酷な体験(大災害、戦争、死に直面するなど)に遭うと、幻覚、不眠、頭痛、めまいなどの心の後遺症に悩まされることがある。これをPTSDと呼ぶが、中にはこれに罹(かか)らなかった兵士たちがいた。

彼らは捕虜になり独房に入れられたり拷問されたりするなど極度のストレスを受けたにもかかわらず、PTSDが発症しなかったのだ。調査研究の結果、彼らには共通点があった。それは、彼らが利他主義、確固とした道徳的基盤や使命感などを有していたということだった。一方、PTSDに罹った兵士たちは、感謝の気質が有意に低かったことも判明したのだった。


「人生には意味がある!」―― 生き地獄から生還のアドバイス

ヴィクトール・E・フランクル(一九〇五~九七年。心理学者)も、ナチスドイツのユダヤ人強制収容所で地獄のような強制労働生活を強いられたことがあった。医師でもあった彼は、収容所の中で、仲間が人間性を失わずなんとか生き抜いていけるよう、次のようなアドバイスをしたと書いている。

「強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり人生が自分を待っている、だれかが自分を待っている、とつねに思い出せることが重要だった」(池田香代子訳『夜と霧・新版』)。

フランクル自身も、彼を「待っている」使命を見出して格闘していた。彼には、なんとしても出版したい原稿があった。彼はそれを取り上げられまいと、上着の裏地にそれを縫い合わせて隠し持っていたが、残念ながら監視兵に取り上げられてしまう。だが、彼はあきらめない。重症の発疹チフスにかかり高熱にうなされながらも、収容所にあった紙の裏側に速記用の記号を使って再び原稿を書き始めていったのである。約三年の地獄のような収容所から解放され、その原稿は『医師による魂の癒し―ロゴセラピーと実存分析の基礎づけ』として刊行されたのだった。

「私はあえて断言しますが、人生には意味があるのだと知っていることほど、最悪の条件にあってすら人間を立派に耐えさせるものはほかにありません。(中略)ナチスの強制収容所で証明されたことですが(さらに後に日本と朝鮮でもアメリカの精神科医たちによって確認されたことですが)、満たすべき使命(タスク) が自分を待っていることを知っている人ほど、その状況に容易に耐えることができたのです」(山田邦男監訳『意味による癒し ロゴセラピー入門』)。

フランクルは、自らの収容所体験を踏まえ、過酷な状況下でも人間は生きる意味をもつことで、それに耐え忍んでいける強さがあると言っている。だが、その収容所内で、「生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった」(同右書)。フランクルは、人生の意味を見出す援助をすることで心の病を癒すロゴセラピー(実存分析)という心理療法を確立した。そして、後年、彼は人生に絶望した人々に生きる意味と希望を取り戻すことへの援助に生涯をささげている。


人生に喜びを

フランクルが示したように、人生の意味を見出すことで人は強くなれる。それは、スタンフォード大学で行なわれた心理学実験でも明らかにされている。被験者たちに自分の価値観に関することを日記に書かせた。すると、彼らは痛みに対して我慢強さや自制心が強くなり、ストレスに対しても悩まなくなるようになった。人は価値観をしっかりと持つようになると、自分のことを「困難を克服できる人間」だと思うようになるのである。

また、人生に対する考え方は寿命にも影響をもたらす。乳がんの手術を受けた三十六名のうち七年後に二十四名が、がんを再発させ死亡した。この患者たちは手術直後に心理テストを受けていたが、生存した患者と死亡した患者の感情で唯一違っていたのは、人生に喜びを見出しているかどうかであった。

このように生きる目的や意味、喜びについて考え、道徳心を育(はぐく)み身につけていくことは、困難や試練に立ち向かい克服していくのに最も必要で最善な方策ではないかと考えられるのである。