『日本』令和2年7月号

武漢ウイルス禍から学ぶ

葛城奈海 /ジャーナリスト・俳優 ・「防人と歩む会」会長・予備三等陸曹


都心の青空に白い線が描かれていく。緊急事態宣言の解除後四日目の令和二年五月二十九日、航空自衛隊のブルーインパルスが、医療従事者らへの感謝を込めて、都心上空をフライトした。二度、三度と飛来しては、大空というキャンバスを走り抜けていく機影に元気をもらったのは、医療従事者ばかりではなかったはずだ。ニュース映像には、手に手にスマホを持って空を見上げる人々の姿が映し出され、「ありがとう」の声が湧き上がっていた。かくいう私も、静かに心を動かされたひとりである。


八割自粛は必要だったか、冷静な検証を

私にとっての武漢ウイルス騒動は、二月末から三月頭にかけての予備自衛官訓練中に始まった。「買い占めでトイレットペーパーが店頭から消えた」という報道に触れ、駐屯地内にいた私は半信半疑だった。が、訓練を終え、近所のドラッグストアに行ってみたところ、確かに、ない。オイルショックの再来か。「在庫は十分にある」と報じられているにも拘わらず、なんで日本人はこうトイレットペーパーを貯め込みたがるのだろうと半分不思議、半分残念に思っていたら、アメリカでは銃と弾が飛ぶように売れているという。治安が悪くなるから自分と家族を守るための武器が必要なのだと聞き、国民性の違いを思い知らされた。

 

それはさておき、四月七日に緊急事態宣言が発出され、本格的な自粛が始まった。「不要不急の外出は控える」「人との接触の八割減」とお達しが出ると、法的強制力がないにも拘わらず、律儀な日本人はこれをよく守った。学校は休校、仕事はテレワークの割合が激増し、生活に最低限必要な食料等を販売する店以外は休業、「巣ごもり」生活が始まった。

 

感染者を増やさないことを第一に自ら進んでこれに従った人もいれば、経済の停滞による打撃の大きさを考え、ここまでする必要があるのかと疑念を抱きつつ、歩調を合わせた人もいただろう。私は後者であった。

 

確かに、医療崩壊を防ぐ努力は欠かせない。しかしながら、日本の場合、客観的にデータを見れば、感染者の増加率はかなり低く抑えられていた。本稿を執筆している五月三十日現在、国内の感染者数(ダイヤモンド・プリンセス号を除く)は一万六千八百三十三人、死者は八百九十五人。例年のインフルエンザの国内推定感染者数約一千万人、直接的・間接的にインフルエンザが原因と推計される死者数約一万人(厚労省HPより)には、遠く及ばない。もちろん、その陰にあった医療関係者らの尽力には頭が下がるし、国民の努力の蓄積があったことも事実だ。一方で、あまり報道されないが、接触八割減を提唱した「八割おじさん」こと西浦博教授が五月十二日に公表した「感染日」(報告日の約二週間前)毎の推計感染者数のグラフを見れば、感染者数のピークは三月二十七日で、緊急事態宣言が出された四月七日には既に大きく減少を始めていたことも、また事実なのだ。

 

適度な恐れや自粛は、必要だ。特に、重症化率の高い高齢者や持病のある人は、人との接触を極力抑える必要があったろう。しかし、そうではない青壮年にまで八割自粛を求める必要が、果たしてあったのか。手洗い・うがい・マスク着用といった個人の防護を徹底すれば事足りる話ではなかったか。命を奪うのは感染症ばかりではない。深刻な経済的困窮にあえぐ国民を増やさないためにも、第二波に備え、科学的に検証されるべきであろう。


地域共同体の再構築を  

コロナ禍はまた、行き過ぎたグローバル化への激しい警鐘を鳴らしてくれた。国民を守るために各国は国境を閉じ、次いで、地域を守るために、都道府県をまたぐ往来の自粛が求められた。県境で検温を実施する映像に、江戸時代までの関所を連想した方も多いのではないだろうか。

 

入国管理をしっかり行わなければ、ウイルスも人も入り込んでくる。人や物の往来が止まったら止まったで、インバウンドや外国人労働力頼みだった産業が立ちいかなくなり、部品を輸入に頼っていた物も生産できなくなった。今や世界の必需品となったマスクが、感染源である中国からの輸入に大きく依存していたと明らかになったのは、皮肉であった。値段が高騰し、魚屋がカニの横で高価なマスクを売るなどという摩訶不思議な光景とともに、「自給できていない日本」の実態が白日の下に曝された。

 

国の玄関を無警戒に開き、他国に過度に依存する危険性を、我々は身をもって知った。ここから学ぶべきは、「自立」の大切さではなかろうか。輸出入が止まっても決定的な打撃を受けない程度に、食料も工業製品も労働力も自給する「反グローバルな」社会、「国産国消」社会の再構築を真摯に模索すべきであろう。

 

国内に目を向ければ、東京一極集中の脆 もろさも露呈した。都会では、一時期、カップ麺やレトルト食品などの買い占めも起きた。これは、流通が止まれば食べ物がなくなるという恐怖感のなせる業であろう。背景に、自分の住む地域で食料を自給できていないという現実がある。恐怖感の度合いは、家庭菜園を持っているか否かで大きな差があったはずだ。かくいう私も、都心のマンション住まいながら、ベランダにささやかなプランター菜園を営んでいる。もちろん、それだけで生きていくには程遠いが、一部でも自給できているだけで、安心感がまったく違う。災害時には「自助、共助、公助」という言葉がよく聞かれるが、どのレベルにおいても、それぞれが助ける・助かるためには、一定程度自立していることが必須条件だ。自分が倒れそうなときに、他者を助けることはできないのだから。

 

グローバル化によって、その価値が見失われつつあった地域共同体の重要性に我々は今こそ、目を向けるべきであろう。今回の騒動下にあっても、米を作り、野菜を育て、魚を漁 とり、鹿や猪を狩っている地域に食料不安は薄かったはずだ。ところが、国レベルで見れば、経済効率最優先で、海外から安い農畜産物を輸入し、国内でも指定産地制度で大規模に画一的な農作物生産を行うことを推奨してきた。安全保障の観点からも、国民の健康を守る観点からも、そうしたこれまでのシステムは見直すべきだ。

「自給」「自立」できる地域共同体への回帰・再生を真剣に考えるべきであろう。回帰といっても単に 歴史を巻き戻すのではない。高度なIT技術は、他地域とも繋 つながり合いながら、有機的に人と人、人と 自然が関わりあえる共同体の再構築を可能にしている。

 

自粛期間中に急増した、オンライン会議・飲み会などを「意外とよいものだ」と実感した人も多かったのではないか。出席するための移動時間や交通費も不要になるし、遠く離れた場所にいる人とも顔を見ながら繋がることができる。私が所属するある会では、オンラインになって会議参加者が増えた。

 

とはいえ、最終的には現実に同じ場に集って体験を共にすることの重みは変わらない、どころか、オンラインで安易に繋がれるようになればなるほど、重みが増すのかもしれない。ブルーインパルスだって、映像のお陰で全国の人と感動を分かち合うことができた。でも、やはり、価値があると感じるほどに、「生で見たかった」「生で見られてよかった」との思いが昂 こう じる。コロナ後の世界では、オンラインとリアルのバランスを取りながら、社会が営まれていくことになるのだろう。

 

コロナ禍は我々にさまざまな問題提起をしてくれた。大きな痛みを伴った今回のできごとを、目先の利益や効率に惑わされず、地に足の着いた社会を再構築する奇貨としたい。