9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和3年11月号

GIGAスクール構想への期待と課題

 橋本秀雄 /元公立中学校校長


昨年から全国の小中高等学校で、GIGAスクール構想が急ピッチで進められてゐる。その目玉は児童生徒一人一人に情報端末を貸与し、学校に高速大容量のネットワークを構築するもので、ハード面については、令和二年度末までに全自治体等のうち九六・五%が完了するといふ。(令和三年三月調査)

情報端末は一台当たり四~五万円で、それを全国の児童生徒に持たせるといふから、この事業にかける文科省や国の意気込みの大きさが分かる。

構想が発表されたのは、令和元年十二月で、萩生田文科大臣は次のやうに発表してゐる。

「十二月十三日に閣議決定された令和元年度補正予算案において、児童生徒一人一台端末と、高速大容量の通信ネットワークを一体的に整備するための経費が盛り込まれた。Society5・0時代に生きる子供たちにとつて、PC端末は鉛筆やノートと同じもの。今や社会のあらゆる場所でICT(情報通信技術)の活用がなされてをり、その社会を生き抜く力を子供たちに育てるためには日常的に活用させる必要がある。この機器を有効に使へば、多様な子供たちの学びを最適なものとし、可能性を広める。本年度から新学習指導要領の全面実施が始まり、そこで求められた『主体的・対話的で深い学び』の実現にも資するものである。また、その端末と併せて校務支援シスムを導入し、教師の働き方改革を進める手立てとしたい」(十二月十九日付、文部科学大臣メッセージ要旨)

その実現は当初、令和五年を目標としてゐた。しかし、我が国は5Gの普及や社会全体のIT化で隣国などに遅れをとり、国や産業界に危機感があつた。令和元年に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針」に「Society5・0時代への挑戦」として、いはゆる「骨太の方針」が示された。それによれば、少子高齢化に対応した人づくり革命の推進に向けて、遠隔教育等の教育の情報化の推進、学校のICT環境整備の推進などが盛り込まれた。

また平成三十年に行はれたOECDによる国際学力調査の結果、日本の子供たちは学習でデジタル機器を使用する時間が参加国中最低であり、コンピューター使用型の読解力も年々低下してゐることが分かつた。令和三年はその調査が行はれる年に当たつてをり、文科省としても子供たちが情報端末の使用に早く慣れて欲しいとの思ひがあつたかも知れない。

ところがその正月、新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、三月から春休みまで全国の学校が休校となる異常事態となつた。その間、ICT環境の整つてゐた一部の学校はオンラインによる授業が行はれ、その環境のない大部分の学校は生徒にプリントを配り、教師が家庭訪問するなどの対応に追はれた。全国どこでも公平に教育を受けられることを旨としてきた文科省にとつて、学校のICT環境の整備は直ぐに実現すべき事業となつたのである。

確かに日本が情報分野でこれ以上世界から遅れをとつてはならず、国をあげて改革を推進することは必要であらう。ただ学校現場では、どこから手をつけたらよいか困惑したのではないだらうか。

小学校は令和二年度から新学習指導要領が完全実施となり、中学校は本年度からである。小中とも道徳が教科化し、プログラミング教育も導入された。小学校高学年には新たな教科の外国語が加わつた。

全国的にいじめと不登校の問題が残つてゐる中、昨年度から教師の働き方改革が本格化し、月残業時間は六十時間以内にするとか、部活動は週二日の休みをとるなどの対応も加はつてゐる。

かうした状況下で新たな構想を実現するには、よくよく課題を整理して取りかかる必要がある。

文科省は端末の活用について次の三つを例示してゐる。

①一斉学習=情報提示(黒板的な活用)、子供たちの反応を把握する双方向型の一斉授業
②個別学習=各人が同時に別々の内容を学習(学習の個別化)
      各人の学習履歴を記録し、教師が学び方やつまづきを把握し適切に指導(学習の最適化)
③協働学習=一人一人が記事や写真を集め、独自の視点で情報を編集し発信
      各自の考へを即時に共有し、共同で編集

いづれの場面にしても授業の中にどう位置づけるか、教師は指導計画を綿密に立てなくてはならない。文科省が紹介してゐる実践例では、テレビ会議や双方向の学習支援システムを使用してをり、さうした専用のソフトも必要である。各市町村教委は情報関連企業などと提携し、現場の実態にあつたシステムを構築し、コンテンツの充実を急がなければならないだらう。

当面は端末を資料の提示に使つたり、体育の授業で自己の演技を撮影してフォームの反省に使つたりして、日常的な学習用具となるやう慣れさせることも必要である。子供たちは意外にかうした機器への抵抗はなく、大人以上に使ひこなすと思はれる。

ただ機器の本格導入にあたつて、子供たちの健康面に影響はないか、文字を書かなくなつたり、辞書などの紙ベースの資料から遠ざかつたりしないのかといふ懸念はある。後者について警鐘を鳴らしてゐるのが、東北大学の川島隆太教授である。

脳科学における学習の定義を「脳に新たな回路網を形成すること」として「脳機能イメージング」の手法で子供や大人の学習成果を調べた結果、「より面倒で厄介な方法」のはうが、脳はよく働くことが分かつたといふ。実験は(a)紙と鉛筆を使つて読み書きによる自学自習、(b)授業を受ける、(c)ビデオ教材を見る、の三つの方法で比較すると、この順番に脳の働きは低下したといふ。ただ(c)のビデオ教材の効果は必ず低くなるとはいへないやうで、学ぶ人のモチベーション次第で変はるといふ。同じモチベーションで同じ時間学習するといふ条件なら、(a)(b)(c)の順になるのである。それに加へて最もいけない学習方法はスマホによる学習ださうで、LINEなどのSNSのアプリが入つてゐると頻繁に合図があつて集中が途切れるため、学習効果は極端に下がるといふ。

かうした脳科学の成果を踏まへるならば、情報端末を取り入れた学習を進めるには、予防や使用の工夫が不可欠である。まづ生徒が持つ端末にはSNSのアプリは入れないで学習専用とする必要がある。また学習の基本を従来の紙と鉛筆を使つたものと考へるなら、端末の使用は導入段階でモチベーションを高めたり、展開で教師・生徒同士の交流を活発にしたりするなど効果的な使用を考へるべきだらう。

小学校の低学年では、学習の基礎・基本を身に付ける時期である。紙と鉛筆を使つた学習や声を出して読むなどの五感を使つた学習を中心にする必要がある。そして学年の発達に従つて、ICTの活用頻度を上げていくよう考慮しなくてはならない。便利だからといふ発想だけで学習に取り入れては効果が低いだけでなく、教授の説によれば学力低下やうつ状態を引き起こすことが懸念されるのである。

GIGAスクール構想は緒に就いたばかりだが、最終的にはデジタル教科書の導入までいくといふ。教科書やそれに関わる資料が全て情報端末で見ることができたなら、授業への活用幅は確かに広がる。

しかし、デジタル教科書の根本的な問題は、内容が問はれなくなる可能性があることだ。例へば現在の歴史教科書のやうに内容に偏りがあつても、見栄えや便利さだけで採用が決まつていく恐れがある。

このやうにGIGAスクール構想の実現には、期待すべき面がある一方で詰めるべき課題は多い。そして、何よりこの構想を含めた教育の全体像を示すのは学習指導要領である。次の改訂では、どんな日本人を育成するのかといふ教育の根本に立つた抜本的な改善がなされるやう望みたい。