9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和3年6月号

問題点の多い新高校教科書― ジェンダー導入と国語改革への懸念 ―

髙橋史朗 /モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授・ 麗澤大学大学院客員教授


拉致問題と慰安婦記述

来年度から使用される高校教科書の内容が明らかになった。『歴史総合』という新科目の内容で目についたのは、拉致問題についての記述が少ない(十二社中五社)ことである。この点について教科書出版社に質ただした新聞記者によれば、「新科目となって日本史だけを手厚く書けなくなり、掲載の位置付けも難しくなった。拉致問題に触れるスペースの余裕はなかった」と弁明したという。グローバルな視点からも、「拉致問題が人権問題だ」という視点が欠落していると言わざるを得ない。

一時期、中学校教科書から一掃されたが、今春から使用される中学校教科書で復活した慰安婦記述については、「従軍慰安婦」と明記したのは、実教出版と清水書院で、東京書籍は「慰安婦として従軍させられた」と記述したが、「従軍」を立証する史料は全くない。この他に数社が「慰安婦」と記述した。

この拉致問題と慰安婦記述については、文科省として教科書会社に対して修正を求めることになった。日本維新の会の馬場伸幸衆議院議員の質問主意書に対する政府の閣議決定を踏まえたものである。同閣議決定は「従軍慰安婦」という用語も朝鮮人労働者の「強制連行」という表現も不適切であることを明記した。

さらに注目されるのは、「日本政府は労働力不足を補うため、約八十万人の朝鮮人を軍需工場や炭鉱などに強制的に連行して労働に従事させた」(『歴史総合』実教出版、百六十七頁)と明記しているが、「八十万人」を裏付ける史料も皆無である。また、「中国の華北では、一九四〇年秋ころから日本軍による『塵滅作戦』が行われ」(同百六十六頁)、「台湾征服戦争」(同百四頁)などの新たな加害記述が見られることも問題である。


「ジェンダー」と「多様化する家族」を強調

「ジェンダー」や「多様化する家族」を強調している点も際立っている。具体例を紹介しよう。帝国書院は「同性婚は法的に認められるべきか」というテーマに一頁を割いて詳述しており(『公共』七十七頁)、「ジェンダーについて考えよう」というテーマに二頁を割いて、ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」という言葉を紹介し、「豊かな人間関係のために」という見出しで、「同性カップルも人工授精や体外受精などの生殖医療技術などにより、子どもを持つことができるようになってきている」と述べている(十四―十五頁)。

また、清水書院は一頁を「多様化する家族について考えよう」というテーマに割き、「中高年の未婚の子が親と同居する世帯」や「未成年の子をもつ夫婦の離婚件数」の増加、「非嫡出子相続分差別違憲判決」について詳述している。

ちなみに、若者の四割は「結婚や恋愛は面倒くさい」と考え、「独身にとどまっている最大の理由」は「必要性を感じない」(十八~二十四歳の女性の四五%、男性の三六%)からであるという。親と同居し、家賃や食費などの基礎的生活条件を親に依存している「パラサイト・シングル(寄生している独身)」は四割を超え、少子化の原因となっている。「子どもを産まない理由」のトップは「妊娠しないから」(四〇%)で、「経済的負担がかかるから」(二六%)の二倍近い点に注目する必要がある。生涯不妊率は三十代前半は一五%、三十代後半は三〇%に倍増し、自然流産率も三十五歳からは二〇%、四十歳からは四〇%に倍増するという科学的事実を、「親になるための学び」として、政府の「少子化対策要綱」に明記された、将来の結婚、出産、子育てに夢を持てるライフデザイン教育として、高校教科書にも明記する必要があるのではないか。


「アクティブ・ラーニングで学ぶジェンダー」の狙いは何か 

日本学術会議第二十四期「歴史学とジェンダーに関する分科会」では、「歴史総合」等の高校新科目において、「ジェンダー史の視点が不可欠であることをどのように徹底していくかが議論の中心」となり、「アクティブ・ラーニング事例集」を付録とする具体的作業に着手した。

心理科学研究会のジェンダー分科会で一昨年、「アクティブ・ラーニングで学ぶジェンダー」というテーマで報告した青野篤子福山大学教授によれば、その狙いは「アクティブ・ラーニングという文科省ご用達の教育方法を取り入れることは、皮肉にも積極的な意義」があり、「お上の通達にうまく乗りつつ、したたかにジェンダーを学習する」ことによって、「巧みに隠されているジェンダー問題」を浮き彫りにすることにあるという。

「文科省ご用達の教育方法」を利用して、「アクティブ・ラーニング」という大義名分を振りかざしつつ、フェミニズムの本音のイデオロギーをベールに包んで、核心をずらして見えにくく実践化する戦略が巧妙に練られて体系化されており、これにどう対応するかは、かなりハイレベルな知的戦略が求められる。この日本学術会議の「歴史学とジェンダーに関する分科会」の論議の今日的影響と問題点の詳細については、拙稿「フェミニズムに狙われる歴史教科書」(月刊『正論』四月号)、並びに、拙稿「日本学術会議の歴史認識・歴史教育・ジェンダー分科会提言の今日的影響と問題点」(歴史認識問題研究会の研究誌『歴史認識問題研究』第八号、令和三年三月)を参照してほしい。


実用性に軸足を移す国語改革を見直せ ―― 実生の苗と挿し木の苗

新指導要領で実施される国語の再編も極めて懸念される。読売新聞社説(三月三十一日付)は、次のように指摘しているが、的を射た指摘といえよう。

「必修の『国語総合』を『現代の国語』と『言語文化』に分け、『論理国語』や『文学国語』などの選択科目を新設したところ、文学関係者から『論理と文学を分けられるのか』との批判が出た。現場に『論理か文学か』の選択を迫るような教科の再編には、問題がある。論理国語や文学国語の教科書検定は二十一年度になるが、文科省や教科書会社は、生徒が文学に親しむ機会を失わないよう、十分に留意してほしい」

「現代の国語」は評論や法律、説明書などを扱う科目と位置づけ、討論や発表などの「アウトプット」に力を入れる。論理的・実用的な国語力を培う時間を確保するのが狙いで、リポートの書き方やグラフの読み解き方など実用的な教材を載せている。しかし、実用性に軸足を移す国語改革は国語嫌いを増やすだけではないのか。

実生(みしょう)の苗は百年を超えて成長するが、挿し木による苗は百年経つ前に暴風雨で倒れてしまう。古文や漢文を含めた文学作品から切り離さないと論理的な思考力は育たない、という基本認識を見直す必要があるのではないか。文化の継承という国語教育の基礎・基本を疎かにして、人間形成や価値形成、意味形成に役立つ内容を削減した、嘗ての「ゆとり教育」の間違いを繰り返してはならない。