9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和3年9月号

多発する自然災害にどう向き合うか― 長期的視点で自然との共生を考える ―

 青木正篤 /(一財) 日本学協会理事


一 多発する自然災害

近年、集中豪雨、竜巻、大型台風、地震などの自然災害が多発傾向にある。防災白書によれば、令和二年の七月豪雨 、台風第十号、台風第十四号 、令和元年の房総半島台風や東日本台風等をはじめ、平成三十年七月豪雨など激甚な洪水氾濫、土砂災害が頻発している。

気象庁の観測によれば、わが国の一日降水量二百ミリ以上の大雨の年間発生日数は増加しており、最近三十年間(一九九〇~二〇二〇年)と統計開始の三十年間(一九〇一~一九三〇年)で比較すると約一・七倍となっており、大雨の頻度は強度とともに増加している。その背景には地球温暖化が影響しているといわれている。世界の平均気温は、一八八〇年から二〇一二年の間に〇・八五度上昇し、また、日本の年平均気温は、様々な変動を繰り返しながら上昇しており、長期的には百年あたり一・二六度の割合で上昇、昨年の日本の平均気温は一八九八年の統計開始以降最も高い値となった。

我が国では毎年、自然災害により多くの尊い人命や財産が失われている。昭和二十〜三十年代前半には一千人以上の人命が失われる大災害が頻発したが、昭和三十四年、死者・行方不明者が五千人を超す未曾有の被害をもたらした伊勢湾台風以降からは、死者・行方不明者は著しく減少している。これは、治山・治水・海岸事業等の国土保全事業の積極的推進、防災関連制度の整備等による防災体制の充実、気象観測施設・設備の充実、予報技術の向上、災害情報伝達手段の発展及び普及等によるところが大きい。

近年の自然災害による死者・行方不明者は、北海道南西沖地震、阪神・淡路大震災、東日本大震災が起こった平成五、七、二十三年を除くと、土砂災害をはじめとした風水害、雪害によるものが大きな割合を占める。


二 自然災害の発生しやすい我が国土

我が国土は、その位置、地形、地質、気象などから台風、豪雨、豪雪、洪水、土砂災害、地震、津波などによる災害が発生しやすい自然的条件にある。寺田寅彦は「大自然は慈母であると同時に厳父である」といっているが、豊かな自然は様々な恵みをもたらす一方で、時に自然災害という試練を与える。

地形が急峻、河川は著しく急勾配で、ひとたび大雨に見舞われると急激に河川流量が増加し、洪水などによる災害が起こりやすい。近年の水害では、かつて氾濫地域であったところが、無防備に市街地開発され浸水に遭うケースがほとんどである。また、「土砂災害危険箇所」は、全国に五十二万カ所余りあり、土石流、地すべり、がけ崩れ等の土砂災害が発生しやすい条件下で、特に、近年の傾斜地やその周辺の危険地域における都市化の進展などもあり、土砂災害による犠牲者は、自然災害による犠牲者の中で大きな割合を占めている。

昨年七月は九州、西日本から東北地方にかけて記録的な大雨が降り、球磨川をはじめ多くの河川で氾濫が相次いだ。「これまでに経験した事のない……」「数十年に一度の……」という言葉を頻繁に聞くが、もはや百年に一度の確率の気象現象が常態になったと思わなければならない。


三 災害多発の背景に日本人の「自然観」の変化

「アメリカの社会学者フローレンス・クラックホーンは、ヨーロッパの文化が『人間は自然を征服すべきもの』としてはぐくまれたのに対し、『人間は自然に屈服すべきもの』としてはぐくまれた文化をメキシコの農民文化に求め、両者の中間的な存在すなわち、自然と人間との調和に築かれた文化として日本の文化を位置づけている」(富山和子『水と緑と土』)。

日本人は「自然の充分な恩恵を甘受すると同時に自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識を収集し蓄積することに努めてきた」(寺田寅彦『日本人の自然観』)。それは、災害を一方的に否定することではなく災害も含め受け入れ、自然と共生する自然観である。山川草木あらゆる自然に神が宿るものとして、自然を畏れ敬い、八百万(やおよろず)の神をまつって、自然と共生し、自然から恵みをいただいて生きてきたのが日本人である。

明治時代になるまでは、日本人は基本的に自然を畏れ敬い、自然と共生してきたが、明治以降の百五十年間、ヨーロッパの土木技術を中心に近代的科学技術を積極的に導入し、自然を人間と対立する存在として、その恵みは徹底的に収奪し、災害は可能な限り撲滅することを主眼とする自然観に変貌してきた。それまでの自然に対する謙虚な姿勢は捨て去られたのである。日本人の自然との関係性は大きく変化した。自然からの制約から解放され、自然から乖離(かいり)して日常的活動を行うことがおおむね可能となり、自然と人との関係性が見えなくなっている。しかし、地球上で生きる限り人は自然と離れて存在することはできない。日常の見せかけの快適性は、非日常の災害時に強烈なしっぺ返しを受けている。


四 自然災害にどう向き合うか

災害の起こりやすいところほど、飲料水の取得や耕作、交通に便利であり、人間が住み着きやすいが、災害が起こらないようなところは、その条件がなく人間が住みつけない。もともと災害が起こりやすいところに人間が住んでいるので、被害を受けるのは当然といえるだろう。どんなに技術が進んでも災害を完全になくすことはできない。逆に「文明が進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増すという事実」(寺田寅彦『天災と国防』)がある。

現代でも、「川に堤防を築き、ダムをいくらつくっても、何十年かに一度は異常な豪雨があり、すべての洪水を河道の中に押し込めるのは不可能で、いつかは洪水が堤防を越えてあふれることはまぬがれない」(大熊孝『洪水と水害をとらえなおす』)と、河川工学者も認めているところである。

では、多発する自然災害にどう向き合えばよいのか。以下、三点にまとめる。

⑴国土の三分の二は森林である。「治山治水」というとおり、健全な森林はある程度までは災害を防ぐ働きをする。森林が最も荒廃した明治二十年代からの森林政策により回復、現代は森林が最も豊かな時代といわれるが、これは量的なもので、質的にも災害に強い森林をつくるために、その適切な管理を進める。

⑵治水には限界がある。伝統的治水工法では、被害が相対的に少ないところに越流堤をつくり、そこから洪水を氾濫させ、ほかの勝手なところでの破堤を防ぐという方法がとられていた。技術の限界を知ったうえでいかに被害を軽減するかという観点で、遊水池と越流堤を積極的に採用した治水計画を考える。

⑶「自然を支配し、克服する」という自然観から、「人間は自然の一部であり、自然の暴威も含めて受け入れる」という日本人が本来有していた自然観にたって、土木構造物で自然災害を完全に封じることができると考えるのではなく、「逃げる」、「やり過ごす」、「なだめる」ことで、災害時の被害を最小化する「減災」という考えで対策を講じる。最近、防災分野でレジリエンスという言葉が使われるが、これは「回復力」「復元力」または「弾力性」といった意味で、災害をしなやかに乗り切る力を表すものである。