『日本』平成30年10月号

道徳科の授業と評価は子供を伸ばす

渡邊 毅/皇學館大学准教授


本年四月から小学校において道徳科が本格的にスタートした。夏休み前の終業式には、多くの学校で子供たちは道徳科の評価を付けた通知表をもらったことだろう。ところで、教師の中には依然として道徳の授業とその評価について疑念や不安を抱えている人がいるが、それを解消するような話を科学的にしてみよう。


道徳授業は道徳的行動を促し健康を増進させる

例えば、人に対して慈愛の気持ちを持つように命じられた被験者の脳の画像を調べたところ、「共感」に関する脳の領域が活動していることがウィスコンシン大学マディソン校の研究で判明している。つまり、人は道徳的な感情を持つように命じられ、そうした感情を持とうとすると脳には明らかな変化が起きているということなのだ。

それから、心理学者フィリップ・R・シェイヴァーの研究によれば、自分のことを愛し世話をしてくれた人のことを思い出すことで、苦しんでいる人に思いやりの心を持つだけでなく、実際に人々を助けようとする行動に出るようになるということが報告されている。

また、心理学者デイヴィッド・マクレランドは被験者たちにマザー・テレサのビデオを視聴させた後、彼らの唾液を採取したところ、唾液性免疫グロブリンAの量が増加していたことを突き止めている。グロブリンAは、病気から身を守る抗細菌性抗体である。マクレランドはこの後、被験者たちを二つのグループに分け、一方はこれまでに思いやりを感じた個人的なエッセーを一時間かけて書かせ、もう一方は計算問題を解くといった作業を行なわせた。そしてその作業後に、再びグロブリンAの量を測定した。結果は、前者は依然として測定値は高い値を維持していたが、後者はビデオ視聴前の元の値に戻ってしまっていたということだった。

心理学者エメット・ヴェルテンの実験もまた興味深い。彼は、被験者たちに明るく自信に溢れた前向きな言葉を読み上げてもらう実験を行なったところ、彼らはすばらしく気分が良くなったという結果が得られている。ポジティブな言葉は、それを本人が書かなくても、読むだけでも人の気分を高揚させるのである。そういえば、「明るく自信に溢れた前向きな言葉」は、道徳の教科書にもたくさん盛り込まれているではないか。

右の実験とよく似たことは、普段、道徳の授業でも行なわれている。したがって、実験の被験者たちに起きた脳や体の望ましい変化が、授業を受けた子供たちにも同様に起きていることが考えられるのである。


能力を褒めると成績が落ち、努力を褒めれば向上

では次に、成績表につけられる道徳科の評価が子供の意欲を高め成績を向上させる、ということを示唆する心理学的実験を紹介しよう。キャロル・S・ドゥエックが、思春期初期の子供たち数百人を対象に行なった実験である。

子供たちにかなり難しい非言語式知能検査の問題を十問受けさせた後、A・B二つのグループ(両グループとも同じ学力)に分ける。そして、両方のグループの子供たちを〝褒 ほめる〟のだが、違った言葉がけをする。Aグループには「まあ、八題正解よ。良くできたわ。頭が良いのね」と能力を褒め、Bグループには、「まあ、八題正解よ。よくできたわ。頑張ったのね」と努力を褒めた。両グループの成績は、まったく等しかった。

それから、二回目のテストを実施した。その際、「一回目と同じ内容の問題」「新しい問題」のどちらを解くかを子供に選択させたところ、Aグループ全員は前者を、Bグループの九割は後者を選択した。つまり、Bグループの方が新しいことを学ぼうとする意欲的な姿勢を見せた。

さらに、三回目に児童がなかなか解けない難問を受けさせて、児童の気持ちを聞いた。結果は次の通り。

 

Aグループ 
自分はちっとも頭が良くないと思うようになった。問題を解くことを面白くないと答えるようになった。

 

Bグループ 
「もっと頑張らなければ」と考え、解けないことを失敗と思わず、頭が悪いからとも考えなかった。難しい問題の方が面白いと答える子が多かった。


なお、三回目の検査について、Aグループはかなり得点を下げ、次に行なったやさしい問題の検査でも回復せず、開始時よりも成績が悪くなってしまった。しかし、Bグループの方は成績が向上し、やさしい問題の解答は難なくできるようになっていた。

この検査後、「次に検査を行なう学校の生徒に、出題問題の内容を教えて上げてください」と言って紙を配り記述させた。紙には自分の得点を書く欄があったが、Aグループの子供の四割が、自分の得点を偽って高めに記入していたことが判明した。

 以上の実験から読み取れるのは、能力や結果を評価するよりも努力した過程や姿勢を評価すると、子どもはより意欲的になりさらに成績をも向上させていくということだ。さらには場合によって、能力評価は自分を賢く見せようとして愚かな振る舞いを助長させてしまう危うさを有していることも示唆していると考えられるのである。


道徳科の評価対象は努力した過程や姿勢

この実験から、わが国の学校における学習評価を振り返ってみよう。ご承知の通り、従来、わが国の子供に伝える成績評価は、ドゥエックがAグループに対して行なった評価に相当するのではないだろうか。つまり、能力評価である。もちろん、教師によってはBグループに対して行なったような努力の過程を褒めるという評価はなされてきているだろうが、全体的には実現されていない。「努力の過程を褒める」というのは、いわば道徳的な視点での評価なのだが、これが充分行なわれてこなかったことは問題であり、その弊害が生じていることが憂慮される。