9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和4年10月号

ウクライナ進攻に国防教育を思ふ
      ― 学習指導要領の中核に国民精神の育成を ―

橋本秀雄 /元公立中学校校長


ロシアのウクライナ進攻が始まつて半年になる。圧倒的な兵力差があるなかでウクライナは善戦し、世界に大きな教訓を与へてゐる。諸外国からの兵器の供与や経済支援もさることながら、ウクライナ国民の多くが国を守る気概と勇気を示してゐるやうに、国民精神こそが大切であることだ。

進攻が始まつた当初、ウクライナでは多くの老人や女性、子供がポーランドなどの隣国へ避難をした。その様子を映したテレビ放送の中で、家族を国境の町まで送り届けた男性がウクライナへ戻らうとすると、母親が「どうか行かないでおくれ」と懇願してゐた。息子は、「国が自分を必要としているから応えたい」と言つて母親をなだめるシーンがあつた。ウクライナは全土に非常事態を宣言し、十八歳から六十歳の男子の出国を禁止してゐたので、情報戦の一コマだつたかも知れない。しかし、ゼレンスキー大統領への支持率の高さから考へると、国民の祖国防衛の意識は高いと言つてよい。実際にウクライナ兵の士気は、進攻の意図を知らされてゐなかつたロシア兵を大きく上回つてゐると言ふ。

この事態に岸田首相は直ちにロシアの暴挙を非難し、G7諸国と協調して経済制裁に踏み切つた。また七月の参議院選挙では、「防衛費は対GDP比二%以上を念頭に積み上げる。五年以内に防衛力を抜本的強化する」と宣言し、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向け、米国を始めとする関係諸国との連携を強めるとした。また長年の課題である「憲法改正」も国の形を変へるために前へ進めると述べてゐた。かうした毅然とした対応は、我が国が最も深刻な脅威としてゐるシナ(中国)を念頭にしたと思はれるが、当然であらう。

この半年間に、多くの識者が「ウクライナ事変からの教訓」を発表してゐる。その多くが国の姿勢を後押してゐた。しかし、政府や識者があまり触れてゐない大きな問題が残つてゐる。政府はこれから防衛費を増額して装備を揃へ、他国との協力を拡大したとしても、肝心の国民自らが自国の防衛のために戦はうといふ気持ちがなければ、アフガニスタンの如く短期間に国は瓦解する。

その点について元統合幕僚長の河野克俊氏は、「戦後の日本人は死を賭してでも守らねばならない価値があることを忘れている。国を守る覚悟、誇りなどの価値を教えられてこなかったのではないか」と指摘してゐた。また早稲田大学教授の有馬哲夫氏は、「先の大戦で日本兵がウクライナのように戦ったからこそ今日の日本がある。また日本兵の決死の戦いの結果、条件付降伏を勝ち取ったことを忘れてはならない」として、戦争を忌避すれば平和になるかの如き今日の風潮に警鐘を鳴らしてゐた。

かうした識者が危惧してゐるやうに、日本人の意識は驚くべき実態であることが分かつた。

昨年、電通総研によつて第七回世界価値観調査(二〇一七~二〇二〇年)の結果が報告されたのである。その中に「戦争になったら進んで自国のために戦うか」といふ質問があり、「はい」と答へた日本人はわづか一三・二%で、「いいえ」が四八・六%、「分からない」が三八・一%と、「はい」の割合が調査七十九か国中の最低であつた。ちなみにロシアの「はい」は六八・七%、ウクライナ五八・〇%で中位のクラス、中国に至つては八九・七%とトップクラスであつた。

結果は年齢別にも出てゐて、日本の「はい」は五十歳以上では一六・六%に対して三十歳未満は八・八%と若い人ほど「戦わない」といふ傾向なのである。

戦後教育を担つてきた一人として、若者のこの実態には忸怩(じくじ)たる思ひであるが、その原因は、GHQから占領時に与へられた日本国憲法にあり、憲法の趣旨に沿つた教育基本法・学習指導要領のもとに行はれてきた教育にあると言はざるを得ない。

では、学校教育で何を教へるべきであらうか。私はかつて国防の基本を明確に指摘された河村幹雄博士(明治十九年~昭和六年)の言葉が思ひ出される。

博士は「国防の将来」といふ講演の中で、国防の目的について、「目標とするは土地、財宝、個人の生命、物質生活の安易ではない。国民が天地換へ難しとする風俗、習慣、言語、思想、その欲する主権の所在、その尊しとする国体である。『国民文化』『自主的国民精神』これ国防の主体である」と述べてをられる。


ウクライナの教訓を児童生徒に伝えよう

政府は国と国民の生命財産を守るとして防衛力の強化を宣言した。多くの識者もそれを支持した。しかし、河村博士の指摘されたやうに何を守るのかを明確にできなくて、国民に国を守るといふ気概や勇気は出てこないのではないか。今日、政治家をはじめ多くの国民は、国の安全はアメリカ軍が保障してくれるだらうといふ他力本願に陥つてゐる。それは国防の主体を忘れてゐるからではないか。ロシアの進攻当初、著名なコメンテーターが「大統領は早く白旗を揚げて国民の命を救うべき」と主張した。ウクライナ人のナザレンコ・アンドリー氏は、それを「敗北主義」「奴隷の平和」と切り捨てた。

シナによる台湾進攻は、今や「いつ起きるか」「どのように起きるか」を考へる時期に来てゐるといふ。我々も危機的な状況にあることを、学校教育においても児童生徒に事実でもつて知らせるべきである。我が国が独立国家として存続していくために、どうすべきかを考へさせるのである。

現在の学校教育は平成二十九年に告示された「学習指導要領」に基づいて行はれてゐる。ウクライナ進攻の前に作成されたものであり、今回のやうな危機への対応はもちろん書かれてゐない。しかし、現行の指導要領でも、例へば中学校社会科の指導目標の一つは「我が国の国土や歴史に対する愛情」「自国を愛し、その平和と繁栄を図ること」としてゐる。鎌倉時代の元寇で、いかに朝廷と武士が一致して国の防衛に当たつたかを現実味をもつて想起させることができよう。また、先の大戦でも国民がいかなる思ひで協力したか、ウクライナ国民の姿と重ねて考へさせることもできる。道徳教育では、「我が国の伝統と文化の尊重、国を愛する態度」「社会参画、公共の精神」を教へることになつてゐる。愛国心の発露としての国の防衛を考へさせるのである。無論、これ以外の場面でも、子供たちにウクライナの人々が投げかけてゐる教訓を伝へることはできる。これらの実践は、心ある教師に期待するところである。

文部科学省は、中央教育審議会の答申を受けて「令和の日本型学校教育」をかかげ、学校教育を大きく変へようとしてゐる。しかし、その目指すところは、これまでの平和な時代が続くことを前提にしてゐる。将来は超スマート社会(ソサエティ5・0)の時代、つまり人工知能が発達し、従来の人間の働き方が大きく変化する社会を想定してをり、それに対応するため、児童生徒一人一人に情報端末を持たせ、情報活用能力の育成やプログラミング教育などを進めてゐるのである。

人は正しい歴史を学べば、祖国の伝統の重みや民族の命の尊さを知る。それが自身を形作つてゐることに思ひが至れば、自身と一体である国の危機に全力で立ち向かふ気概や勇気が生まれる。それがウクライナの教訓であり、文部科学省が求めてきた「生きる力」の究極の姿ではないのか。

幸ひ教育基本法は平成十八年、第一次安倍内閣によつて「公の精神」「伝統と文化の尊重」「愛国心」などが目標に入り、日本人を育てるのに相応(ふさ)わしい法律へと改正された。しかし、現行の学習指導要領はウクライナのやうな危機を想定してゐない。次の改定は令和九年頃であるが、時期を早め、国防の観点から国民精神の育成を中核とする内容に改善を急ぐべきであらう。