9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和4年6月号

  国連改革と日本国憲法改正は急務

阿部邦男  /蒲生君平研究家・博士(文学)


二月二十四日のロシア軍のウクライナ侵攻問題をはじめとする内外の諸問題を考へる時、秩序の根本である礼儀(敬意)や安全保障について、昭和五十四年(一九七九)五月十六日、伊勢において田中卓博士が諭された、歴史学の真実の重要な要素である時代観、国連と日本国憲法の問題点を想ひ出した。


一 歴史学の時代観

まづ、歴史学の時代観について。特に江戸時代は、国体上からは誤つた幕府中心の世の中であつた。今ではそれを「幕藩体制」と称する。しかし、当時の人々はそんな言葉を遣ふことはなかつたであらうし、その世の中を自然に受け止めてゐたに違ひない。即ち、時代に埋没してゐたのでは、曲げられた世の中も普通に見えてしまふ。これは、いはゆる「井の中の蛙」ともいふべき状態といへよう。

今の日本人の大多数も「井の中の蛙」の状態にあり、大東亜戦争の戦勝者が勝手に作つた世の中を当たり前と感じてゐる。さうしてゐるうちに三十四年といふ月日が経過した。今の日本人の多くが、生まれながらにして「日本国憲法」下に育つてきたため、その正しからざる内容を深刻に受け止められないのはやむを得ない。それに対し、その作成過程をつぶさに知つてゐる人達はその不正さを深刻に受け止めてゐる。戦争を知らない国民は、文字通り「井の中の蛙」に成り勝ちである。今こそ、学問の真実を知り「井の中の蛙」から脱却し、日本の現状を知る努力をすべきである。


二 国連の実態を知らう

以上の事を踏まへ、今の世の中を直視すれば、本当のことが罷り通らぬ世の中である事がわかる。次に本当のことを知るといふ気持ちで、以下の国連についての事実を深刻に受け止めて頂きたい。

そこで、国連の実態について。世間一般では、国連は正義の組織であり、平和的・民主的性格をもつと認識されてゐる。しかし、実際は然(さ)にあらず、民主的性格に対して、実は非民主的としか言ひやうが無い。その根拠は、以下の通りである。

国連の安全保障理事会の中の常任理事国、米・英・仏・ソ連(現在ロシア連邦)・中華民国(現在中華人民共和国)の五カ国の存在を例に取らう。特に、安保理の機構そのものに問題が存する。前の五カ国は初めから常任理事国として確定してゐる。それに対し、その他の国々は全て非常任理事国と位置付けられ、実際は選挙で当選することによつてしか理事国にはなれない。ここに、一つの非合理性が存する。

日本はその選挙でバングラディシュに負けて落選するといふ苦い経験をしたことがある。日本のマスコミは、これを各国に対する信用の無さといふ報道に止どめた。それは事実だが、何故、それを更に一歩進めて、前の五カ国の選挙の必要性を訴へようとしないのか。ここにも、一つの非合理性が存する。

更に、前の五カ国には「拒否権」が認められてをり、議事を優先的にまとめさせるための権利があり、それに対して他国は文句を言へないといふ問題がある。五カ国の国連に於ける常任理事国としての権利と拒否権の承認、この二点は国連の非民主的性格としての根拠と位置付けられよう。

次に、非正義的性格とみなせる根拠を挙げよう。そこで、正義か非正義かを決定する大きな要因として、公正な判断ができるかどうかを挙げたい。この点については、中華民国の扱ひ方に公正ではないことが明瞭に現れてゐる。中華民国は元来、安保理常任理事国五カ国の一つであつた。しかし、中華人民共和国の発足により、政権は台湾に落ち延びたが当初は正当な政権として認識され、新興の中国に対しては「侵略国」の呼称で対してゐた。しかしそれが、中国の勢力拡大と台湾の勢力低下により、国連は中国を採り台湾を排除するに至つた。強いものこそ正しいとする国連、真に公正な判断をしてゐるといへるのか、いやいへまい。ここに、国連の非正義性の根拠をみる事ができよう。

更に、国連の非平和的性格の根拠を挙げよう。それは、核兵器の面にみられる。常任理事国の五カ国が核兵器を保有するのに対して、それ以外の国々は持てない事になつてゐる。例外は、インド・北朝鮮・パキスタン・イスラエルぐらいのものである。核拡散防止条約の規定によつてその事が決められてゐる。平和的性格を標榜するならば、核兵器を全て無くせばよいのにそれをやらないのは、平和的組織とは到底いへない最大の根拠とならう。

以上の事からも明瞭なやうに、国連は、第二次世界大戦の戦勝国の世界支配の方針を決めたもので、
○終戦前の昭和二十年(一九四五)の六月に「国連憲章」が作成されてゐた事
○安保理の常任理事国の五カ国が全て戦勝国である事を以て、それは動かす事ができない本質確定の証拠とならう。その事をよく認識しなければならない。


三 日本国憲法の本質を知らう

そして最後に、この国連の方針を継承したものが、日本国憲法であり、特にその前文に、
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。とある如く、我ら日本人は、その生存を「諸国民」の手に握られてゐる。安全と生存を委ねられるその「諸国民」はどこにもありはしない。完全無欠の国民はあり得ない。いはば架空の存在としての「諸国民」に、自国の安全と生存を委ねるといふのは、愚かなこと甚だしいといはねばならない。

実は、その「諸国民」を、戦勝国としての安保理常任理事国の五カ国に当てはめると、前文の文章の意味がよく通る。勝つたものが正しく、それらの国々に命を預けるといふのが事の真相と考へるべきであらう。前の五カ国の世界・日本の支配の野望がその根底に潜んでゐるといふ歴史の真相を知る事こそ、今の日本人のなすべき最大の責務と心得なければならない。

日本国憲法の作成過程をみれば、マッカーサーが作成したものを翻訳し、国会にかけて成立したことが分かる。内容は、占領憲法といふべきものであり、本来ならば当時の日本社会党と日本共産党が満足できる訳が無いものの、今の段階では中心の無い内容の憲法を利用してゐた方が革命がし易いために、憲法保持を装つてゐるに過ぎないのである。本気で守らうとしてゐない事は、日本共産党に政権奪取後の憲法草案が作成されてゐる点に明瞭である。このままでは解体のやむなきに至るは必定である。


四 国連改革と日本国憲法改正を急ぐべし

二月二十四日にロシア軍のウクライナ侵攻に対し、国連も、世界の警察と豪語したアメリカ合衆国も、ロシア連邦に対する経済制裁を講ずるだけで何ら直接の停戦への働きかけをせず、国連加盟国を直接救はうとしなかつた。これは、国連の問題点の当然の結果といへよう。今こそ、侵略行為が起こつた場合、国連が然るべき仲介機能が果たせるやう、抜本的な改革を急ぐべきであらう。

また視点を変へて、北京オリンピック・パラリンピックが終はつた今、危惧されてゐるのが中国の台湾侵攻である。実際にその事態に陥つた場合、どさくさに紛れて尖閣諸島を掠め取らうとした時に、アメリカが日米同盟の然るべき役割を果たしてくれる保証は無い。今こそ、日本国民は、自分の国は自分で守る気概を持ち、更にその態勢固めの憲法改正を急ぐべきであらう。