9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和5年6月号

 「当たり前」の邦人・外国人の救出を

葛城奈海  /ジャーナリスト


正規軍と準軍事組織「即応支援部隊」(RSF)の戦闘が続くスーダンから、邦人とその家族の五十九人が退避を行った。このうち四十五人については、四月二十四日夜に自衛隊機でスーダン東部のポートスーダンから周辺国のジブチに出国した。当初、首都ハルツームからジブチへの自衛隊機による輸送が検討されていたが、正規軍とRSFが一時停戦に合意しながらも履行 (りこう)されず、ハルツーム空港には、黒焦げになった航空機が並んでいた。

そうした流動的な情勢の中、国連や韓国、アラブ首長国連邦(UAE)の協力を得て、邦人らはハルツームから約七百キロのポートスーダンへと陸路で移動したという。フランスや国際赤十字の協力を受け、別途ジブチやエチオピアに退避した十四人を加え、退避を希望する五十九人全員が二十六日には退避を完了したと報じられ、ほっと胸を撫でおろした。

そう思うのも、これまで日本は邦人輸送に関して「赤っ恥」の歴史を重ねて来たからだ。


トルコに助けられたイラン・イラク戦争

昭和六十年(一九八五)、イラン・イラク戦争に際して、イラクのフセイン大統領が「四十八時間以降、イラン領空を通過する航空機はすべて撃墜する」と発表。各国は即座に救援機を飛ばして軍による自国民の救出を行ったが、日本だけは危険を理由に民間機による救出を断念。自衛隊による救出も、当時の法的制約に加えて、世論の反対が予想されることから断念した。

そんな中、伊藤忠商事のイスタンブール事務所長・森永堯(たかし)氏が、親友であったトルコのオザル首相(当時)に電話し、「今、日本にとって頼れる国はトルコしかありません。日本人をトルコ人と平等に扱って救出してください。トルコ人救援用に加えて、日本人を救出する飛行機を出して頂きたいのです」と直接依頼した。固唾(かたず)を呑(の)んで待った答えは、「わかった。心配するな。後で連絡する」だったという。 やがて、「日本人救援のためにトルコ航空はテヘランに特別機を出します」というオザル首相の言葉が届いた。

こうして第一便で百九十八人、第二便で十七人の邦人がイランの首都テヘランから脱出した。

この時、声をかけられたトルコ航空のクルーは、全員が喜んで「任務」を引き受けたという。離陸後、しばらくして、「ウェルカム・トゥ・ターキー(トルコへようこそ)」という機長のアナウンスが流れると、機内に大歓声が上がった。その直前まで、トルコ航空機の両脇に戦闘機がピタッとついていた。イランによる護衛か、イラクによる挑発かわからず、邦人たちは怯えていたという。後に、それがトルコ空軍による護衛だったと判明した。「救援機を出してくれた上に、トルコ軍が日本人を守ってくれたと知った時には鳥肌ものだった」と助けられた邦人は述懐している。

これについては、門田隆将著『日本、遥かなり』に詳しい。同じ題材が、映画『海難1890』でも描かれているので、関心のある方にはご一読・ご鑑賞をお勧めしたい。


現地職員を置き去りにしたアフガン派遣

令和三年(二〇二一)八月末の米軍完全撤収を前にしたアフガニスタンで、八月十五日、ガニ大統領は早々に国外脱出し、タリバンが首都カブールを制圧した。

八月十七日、在アフガニスタン日本大使館員、国際協力機構(JICA)職員など、退避を希望する邦人は全員退避を完了。数人の残留希望者が残っていた。

同二十三日、邦人や日本大使館現地スタッフの国外退避のため、菅義偉(すがよしひで)内閣が自衛隊機の派遣を決定。外務大臣から「邦人等の輸送」を依頼された防衛大臣は、自衛隊の統合任務部隊の派遣を命令した。

これを受け、航空自衛隊のC130輸送機二機、C2輸送機一機、政府専用機一機と隊員約二百六十人が派遣されたが、結果として輸送できたのは日本人一人とアメリカから要請を受けたアフガニスタン人十四人のみであった。退避を希望していた約五百人の現地職員が置き去りにされたのだ。

タリバンによる政権掌握後、欧米各国や韓国は迅速に行動し、アフガニスタン人協力者多数の退避に成功しているのに、なぜ日本はこのような醜態を曝(さら)すことになってしまったのだろうか。

直接的な理由は、空港での自爆テロ発生により、空港に向かうバスが引き返さざるを得なかったことにある。だが、そもそも自衛隊機の派遣がもっと早ければ、欧米各国と同様に多数の現地協力者を退避させられたはずだ。

決断が遅れた理由は、何か。自衛隊の派遣は常に根拠となる法律に基づいて行われる。この時の根拠は、「自衛隊法八十四条の四(在外邦人等の輸送)」であった。この中には、輸送の安全が確保できる場合に限り自衛隊を派遣できるという「安全確保条件」があり、これを満たすか否かの判断に時間を浪費していたのだ。驚くべきことに、その間、政府も外務省も実際に輸送機を飛ばす立場にある自衛隊の意見を聞かなかったという。現職時代に航空支援集団司令官という「回答する立場」にあった織田邦男氏は言う。「もし私が『安全か』と問われていたら、『他国の軍用機は運航を続けていますか?』と聞き返したでしょう。自衛隊は技量も優れ、規律も士気も高い。他国が救出を続けているのに自衛隊が派遣に躊躇(ちゅうちょ)することはない」。

しかし、現実には、そのように問われることはなく、日本はG7各国に一週間の遅れをとった。

遅れた理由をさらに深掘りすると、二つのことが浮かび上がる。

一つは、日本が米国発の情報に依存し過ぎであること。そのため、カブール陥落の予兆をつかめなかった。対照的に、オーストラリアは独自の判断により五月末には大使館を閉鎖し、退去を完了させている。

もう一つは、解釈基準が曖昧な「安全」を基準にしていたこと。そもそも自衛隊が派遣されるのは一般人では「危険」な場所であり、任務だからだ。そのような場で「安全」が確保できたかどうかは結果論であり、事前に判断できるものではない。


アフガニスタンの教訓に基づき自衛隊法改正

お世話になった現地の人々を見捨てるという「赤っ恥」をかいた経験を教訓に、昨年四月十三日、自衛隊法が改正された。改正点は、三つだ。

まず、外国で災害や騒乱などの緊急事態が起きた場合の自衛隊機による輸送について。これまでは、「対象は日本人。外国人は同乗させることができる」と規定していた。これが、日本大使館やJICAの現地職員ら外国人だけでも輸送できることになった。

二つ目に、派遣の要件を「輸送を安全に実施することができる」から、「危険を避けるための方策を講ずることができる」に改めた。

三つ目に、輸送に使用する航空機を原則として政府専用機とする規定も廃止した。

こうした法改正に加え、国会での審議などを通じて国民の理解がある程度深まったことは、歓迎したい。一方で、国家としての意思決定に欠かせない情報収集のための基盤整備は、課題として残されたままだ。


相互に国民を保護する「普通の国」でありたい

自衛隊法改正を受けて初の邦人輸送となった今回の任務が無事成功したことを、国民の一人としてまずは嬉しく思うと共に、困難な任務を成功させた自衛隊に敬意と感謝の気持ちを表したい。

政府に対しても、今回はアフガニスタンの二の舞は避けたいという強い意志を感じた。その表れとして、自衛隊の拠点があるジブチへの輸送機の派遣の判断が早かった。加えて、輸送機の到着前に事態が動くことに備えて、日ごろからジブチを拠点にしている海上自衛隊のP3C哨戒機の運用も視野に入れて準備していた。

窮地に陥った自国民の輸送すら行えなかったイラン・イラク戦争の時に比べたら、法制度も世論もそれなりに成熟して来たように思う。当時は、自衛隊を他国に派遣すること自体が、高いハードルを乗り越えなければ実現できなかった。今や、世論の非難を浴びるのは、「自衛隊の派遣が遅すぎる」ことではあっても、派遣そのものではない。そう思うと隔世の感があるが、だからと言って、まだ「普通の国」には程遠い。

イラン・イラク戦争でトルコが日本人の窮地を救ってくれたのは、遡ること約百年前に和歌山県串本町沖で起きたトルコの軍艦・エルトゥールル号遭難に際し、日本人が懸命に救助活動を行ったことへの「恩返し」であったという。助けを待つ外国人を日本人同様に救うことは、将来また日本人が助けてもらうことにも繋 (つな)がる。今後は同盟国や同志国との互恵関係も視野に入れ、戦略的な邦人・外国人の救出を行える国になってほしいと切に思う。

政府を突き動かす国民一人ひとりの声が政府を突き動かし、北朝鮮の地で今この時も助けを待っている多数の拉致被害者の救出へと繋がることを信じている。