9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和6年1月号

 彰往考来 ― 歴史に学び未来を開く ―

 仲田昭一  /水戸史学会理事


祖霊への感謝

めでたく令和六年の新年を迎へた。元日の朝、国旗を掲げ皇居を遥拝し、家族そろつて神棚に向かひ、清々しい一年となるやう祈念することは、わが国各家々の恒例の正月行事であつた。皇居への一般参賀は、元首と仰ぐ天皇・皇后両陛下、皇族方への敬意であり、皇室の弥栄(いやさか)を祈念する厳粛な祝賀行事でもある。それはまた、皇室と国民とが一体となつて、国家と先人に対し御恩と感謝の念とを捧げることでもある。

国内の神社仏閣が除夜の鐘をつき、元旦祭を斎行するのも、国家社会の安寧、一家の平穏、そして世界の平安を祈願するものである。一般家庭でも、家族そろつて大晦日には墓参りをして先祖の霊に感謝し、来たる新年が健康無事であり、安穏に過ごせるやう祈願するのである。これらは、家族の親和と愛情の発露であり、先祖と自分および子孫との継承を再認識する場でもあつた。去来の名句「元日や家にゆづりの太刀はかむ」は、先祖の心が込められた太刀を佩(は)くことで、祖霊への感謝を体感し、その継承への気迫と勇気とを得ることを示したものである。

しかしながら今日、新年をゆつくりと落ち着いて迎へる環境が大きく変はつてしまつた。二日の初荷から始まつた商店も、商業主義優先で元日も営業となり、従業員も正月を祝へない。ましてや家庭における伝統行事など、守り行く余裕もなくなつて来て久しい。その風潮が多方面へ波及し、介護や子育ての放棄など家族関係の崩壊へと繋がつてゐる。

このやうな中にあつて、「恩」を忘れることなく、諸福祉政策を善用しながら日本本来の温かな家族関係を回復して行きたいものである。


憲法改正へ邁進

国会で承認されたとはいへ、自主独立を失つた占領下の「日本国憲法」は正統なものではない。占領軍の意図は日本弱体化の徹底であり、その根本は「大日本帝国憲法」で明記されてゐた日本の元首、天皇の否定にあつた。ここを正すことが第一である。一昨年七月以降、憲法改正の発議に必要な三分の二以上の改憲派国会議員を擁しながら、改正に向けた動きは遅々として進んでゐない。岸田文雄首相は、任期中に解決したいとの勇気ある発言をされてゐるが、ぜひ実行して欲しいと期待するところである。

皇室存続のためにも「皇室典範」の改正も、是非実現させたい。「民安かれ」「国平かなれ」を日々ご祈念なされる皇室の「御恵み」を忘れてはならない。その皇統永続のために、養子縁組や宮家増設の承認など、種々工夫された改正が必要である。叡智を出しあつて実現することが、今日の国民に課せられた責任でもある。そのためにも、国会議員や官僚は襟を正し、勇気と気迫、信念を以て職務に邁進してほしいのである。

かつての高級官僚の例を挙げておきたい。鉄道次官石丸重美のことである。明治四十四年(一九一一)、水郡鉄道(水郡線)建設建議案が国会を通過した際のこと、明治・大正期に活躍した茨城県選出の代議士根本正は回想して、「鉄道建設部の重職にありたる今の鉄道次官石丸博士君は、建設建議案通過の結果、直に水郡線調査のため出張せられたり。君が水戸駅前太平館より線路踏査として出立の日は、雨降りなりし。君は早朝人力車に乗車。出立の際、雨降りなれば車の幌(ほろ)を掛けたる方然(しか)るべしと、余は車夫に注意したるに対し、石丸君曰く、道中四方の実況を視察することなれば、いかなる大雨と雖も幌掛けるに及ばずとて、恰(あたか)も軍人と同じく用意の雨具をつけ出立の有様を見たる時は、余は感涙を催さざるを得ざりき。昔日、旅順の大戦ありて乃木将軍を思ふ如く云々(うんぬん)」と感謝を表明した。

今日、自己の責任を全うする使命感の欠如が、社会の多方面に現れてゐることを憂ふるのである。


歴史への敬虔な姿勢を

世界の情勢を見るに、平和への道筋が見い出せない苦悩の中にある。今年中の「平和の回復」は容易なことではない。ロシアのウクライナ侵略は三年目に入つた。ゼレンスキー大統領をはじめウクライナ国民の必死の抗戦は、戦時中のわが国の姿とダブつて来る。プーチンにも一理ありとして、侵略を赦(ゆる)すやうな言動を発してはならない。

一方、昨年十月七日、イスラム原理主義組織ハマスがイスラエルに大規模奇襲無差別テロ攻撃を開始し、虐殺と外国人を含む多くの人質略奪を行つた。対してイスラエルは、ハマスの壊滅を宣言して過剰とも云へる猛攻を続けてゐる。ここには、周到な秘密裡の準備と綿密かつ慎重な情報探索との合戦が現れてゐる。「他山の石」としなければならないが、この両者の対立抗争は、国家の存立を問ふ複雑な民族・宗教の戦争である。紛争解決は実に容易なことではない。

この抗争の根源について、かつて平泉澄博士は、著書『山彦』の昭和四十二年十月七日付「歴史は生きてゐる」の中で次のやうに指摘されてゐる。

此の戦争(第三次中東戦争)を見てゐて、いかにも二千年にわたるイスラエルの歴史が生きて居り、更に遡(さかのぼ)つて旧約聖書が生きてゐるやうに感じた。……二千年に近いイスラエルの人々の苦難の歴史が生きて居り、三千年を越えるであらう旧約の物語さへ生きてゐる。イスラエル戦争の基盤、その背景は、それほど遠く且つ深いのである。もし、旧約聖書を読まない人があるとすれば、その人は、今度の戦争を、その核心に於いて、理解する事、甚だ困難であらう。

更に注意しなければならないことは、櫻井よしこ女史も注目された米国政治学者マイケル・ピルズベリー著『China 2049 秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」』の内容である。中国は現在進めてゐる「一帯一路」どころではなく、建国百年の二〇四九年までに経済、軍事双方に於て米国を追ひ抜き、世界秩序を構築して地球社会の覇者になるとの野望を抱いてゐることを見抜き、そこには、日本の頭越しにあらゆる分野の援助を提供する米国の姿が暴かれてゐる。

わが国は、現在確立してゐる米国との絶対的信頼関係を保つ努力を続けるとともに、「日本は完全な自主独立の国家」であるとの確固たる姿勢を確立して行かなければならない。


先人の信頼にこたへる努力を

「彰往考来」とは、杜預(とよ)の『左伝』の序に拠つた言葉で、歴史から学ぶことの重要さを意味してゐる。徳川光圀は、『大日本史』を編纂するにあたつて、その史局を「彰考館」と命名してゐる程である。

今年も我々は、叡智を出し合つて、先人が克服して来た国内外の難局に勇敢に立ち向かひ、その解決に一致協力邁進して行きたいものである。その際に甦るのは、前出『山彦』の昭和四十年元日付「澄みかへる水」で、平泉博士が紹介された八田知紀(は ったとものり)の次の歌である。

   幾そ度 かき濁しても 澄みかへる  水や皇国(み く に)の 姿なるらむ

ここには、歴史を見つめてきた揺るぎない日本国家への信頼と、それにこたへる先人の真の勇気が溢 れてゐるのである。