9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和6年2月号

 国家を衰亡させる〝人心内の蛮族〟を侮るな― ローマ帝国衰亡史の教訓から ―

 渡邊 毅  /皇學館大学教授


ビジネス経営の破滅も繁栄も左右する倫理規範

今日、経営の死命を制する影響力を持つのが企業倫理である。それだけに、経営者たちの多くが倫理問題に戦々恐々としてゐるが、一方で組織的で意図的な不正を働く事例が相次ぐやうになつてきてゐる。コンプライアンス(法令遵守)違反倒産は、コロナ禍の二年間は百件を下回つてゐたが、昨年は三年ぶりにそれを超過することになつた。

このやうに企業は、一般に倫理的な行動から逸(そ)れやすい組織でもある。基本的な制度がどれだけ整へられてゐても、反倫理的な行動をとる人が出てくる。かうした人とは、ある程度は共存できる。だが、それが組織全体に広がると、衰退から倒産に及んでしまふのが倫理道徳の力の恐ろしさである。組織の存続をはかつていくためには、道徳心は必要不可欠であり、その欠如は命取りになりかねない。倫理問題はそれほどに衝撃を与へ、その破壊力は計り知れないものがあるのである。

だからこそ、スティーブン・R・コヴィーは、かつて「タイム誌が選ぶ世界で最も大きな影響力のあるアメリカ人二十五人の一人」になつたのだらう。それはコヴィーが、成功をテーマにした書籍を二百年さかのぼつて調査し、誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、質素、節制、黄金律などの道徳心が、企業経営成功の条件としてあげられることをつきとめたからだ。

コヴィーは、これを「人格主義」と名づけ、これこそが経営の成功を支へる土台になるのだと結論づけ、道徳的な生き方が最も人生の幸福につながつていくといふことを述べてゐる。著書『七つの習慣人格主義の回復』の中で書かれてゐる「七つの習慣」とは、人格を磨くための習慣を指してゐる。その原著は一九九六年に出版され、ビジネス書史上最高の発行部数を誇り、今も売れ続けてゐるロングセラー本である。「二十世紀に最も影響を与えた二大ビジネス書」(『チーフ・エグゼクティブ・マガジン』誌)の一冊なのである。

意外に思はれるかもしれないが、アメリカの百万長者に関する研究(トマス・J・スタンリー、ウィリアム・D・ダンコ『となりの億万長者成功を生む七つの法則』)によれば、百万長者たちはまず与へることにより自分の財産を築いてをり、一般的に勤勉で質素で犠牲的で自己修養ができてゐることが分かつてゐる。コヴィーの主張を裏づけるやうに、彼らは優れた労働倫理を有し、正直な人々が少なくないのである。


ローマ帝国の発展を支へた〝厳格な道徳観念〟

道徳心が盛衰を左右するのは、何も企業経営に限つたことではない。それより大きな集合体組織である国家運営についても同様であらう。歴史家ランケが「ローマ人が、最初から宗教や道徳の点で独自の精神を有し、世界の他のいかなる民族よりもはるかに豊富に厳格な道徳観念をもっていた」(『世界史概観―近世史の諸時代―』)と言つてゐたやうに、帝国初期のローマ人は規律や祖先の教へを重んじる人たちであつた。軍事作家アムミアヌス・マルケリヌスは、「ローマの偉大は、美徳と幸運との稀有な、ほとんど信じがたいほど緊密な合致にもとづいて建設された」(ギボン『ローマ帝国衰亡史』)と述べ、繁栄の礎にローマ人の道徳心があつたことを指摘してゐる。歴史家ポリュビオスもまた、「ローマがなぜ発展するのか。それは自らの神をしっかりとその手に持っているからだ」(『歴史』)と書いてゐるが、この時代にはローマは独自の神々への崇敬心、つまり独自の価値観を維持してゐたことが分かる。

それとともに、禁欲を基本原理とするストア哲学が尊重された。これによつて、「ネルウァの英知、トラヤヌスの栄光、ハドリアヌスの勇気、両アントニヌスの美徳〔といった皇帝たちの徳望〕は、兵士たちに自尊心を与えた」(モンテスキュー『ローマ人盛衰原因論』)のである。ローマの兵士たちは誇り高く自尊心に満ちてゐたから、脱走するといふことはめつたになかつた。この時代は、「忠誠、質実、剛健、服従、実行力、等々の美徳に充ちていた」(I・モンタネッリ『ローマの歴史』)のである。


国家の衰亡をもたらした道徳的退廃

しかし、次第に人々の中に私利私欲を追求する精神が強まり、祖国愛が弱まつていく時(一~二世紀後)を迎へる。軍人たちは、贅沢によつて惰弱になつた。軍事的規律を失ひ、兵士は逃げることしか考へなくなり、蛮族の軍団に打ちのめされていつた。そして、皇帝をはじめとする元老院や騎士身分の一部支配階級の間では、不正・不当な儲けによつて莫大な財産が蓄積され、豪邸を豪華な美術品で飾り立て、日々贅沢三昧にふけるといふ生活が広がつていく。

皇帝たちは、仕事を廷臣たちに任せきりにして宮廷内に閉ぢこもり、豪奢な暮らしを最低生活ぎりぎりの庶民の目の前で見せつけた。世界全域から珍味が集められ、夜の饗宴で満腹したらそれを吐き戻して、また食事に向かふなどといふ美食にどつぷり漬かつた不健全な悪習が繰り返された。

不倫も横行した。男性もさることながら、女性の退廃もひどかつた。情夫二人で満足する妻であれば、その夫はよほど好運である、と哲学者セネカが皮肉を交へ嘆いてゐる。子供の養育は、かつて国家と神々への神聖な義務とされてゐた。しかし、やがて子供を生むのを嫌がるやうになり、子育ては面倒な仕事になりさがり、妊娠中絶が流行した。離婚も、日常茶飯事になり急増した。

ローマの平民たちも、かうした支配階級の享楽を見て「パンと公開劇場」を求めた。皇帝らは彼らの便宜をはかり、慰撫(いぶ)するために無数のパン焼き窯(がま)を国費で建設維持して、ほぼ無料のパンを供給した。さらに、彼らに華やかな公開劇場といふ娯楽が供された。待ち焦がれた群集は、夜明け前から大闘技場コロセウムに押しかけた。そこでは剣闘士同士が殺し合ふ、猛獣と闘ふといつたショーが繰り広げられた。そんなことに年間予算の三分の一がつぎ込まれ、民衆は流血と残酷を楽しみ熱狂したのであつた。セネカは生涯に一度これを見て、人が遊戯と娯楽のために殺されてゐると驚き呆れてゐる。

かうした道徳的退廃と国家の衰退は、人々を精神的な渇望に向かはせた。キリスト教などの東方世界の異教に魅せられ、伝統的な神々は忘れ去られていつた。新興宗教のローマへの浸透が国家を危ふくする、とかつて警告を発してゐた政治家キケロの言葉は、現実のものとなつたのだつた。ローマは、トインビーが言ふやうに、「他殺でなくして自殺によって滅びた」(『試練に立つ文明』)のである。

コンプライアンス違反で企業が倒産するやうに、道徳的退廃が国家を衰亡させるといふ判断は単純で短絡的に過ぎると言はれるかもしれない。しかし、国家における文明が爛熟すると社会は次第に美徳を喪失し、伝統的共同体が破壊され、倫理観や伝統的精神が瓦解して人心が荒廃したローマの歴史を顧みるとき、簡単に一蹴してしまへる考へでもないと思ふ。「千丈の堤も螻蟻(ろうぎ)の穴を以つて潰(つい)ゆ」(『韓非子』)といふ言葉があるやうに、国家の内部に潜む一見微細な問題(穴)でも、千丈の堤を崩壊させる巨大な力に変じ得る危険なエネルギーを秘めてゐると自戒した方が、よほど賢明ではあるまいか。国を揺るがすのは、外から侵入してくる蛮族だけではない。いや、むしろ〝人心内に棲(す)む蛮族〟の力こそ、我々は侮つてはならないのである。