『日本』令和7年2月号

二月号巻頭言 「天壌無窮の神勅」 解説

明治六年(一八七三)から「紀元節」と命名された二月十一日の「祝日」は、戦後被占領下で廃止されたが、昭和四十一年(一九六六)「建国記念の日」と改称して「国民の祝日」に加へられた。

この日付は『日本書紀』の神武天皇即位元年元日を西暦に換算した、西暦紀元前六六〇年の二月十一日を「紀元節」「建国を祝ふにふさはしい記念日」と定めたことに意味がある。けれども、確実な「建国の日」は不明といふほかない。その推定年代は、平泉澄博士も『少年日本史』(『物語日本史』)で、「事実より五、六百年延びている」と説明してをられる。

しかし、この天皇が「英邁豪壮の御精神」で「日本民族統一の大業を成しとげられた」からこそ、後世「御諡おくりなを神武天皇と申上げる事となった」(同上)と認められる。しかも、その「国家建設」の正当性を根拠づける「神代」の物語が記紀にみえる 。

とりわけ巻頭言に掲げた神勅は、神武天皇より七世前の天照大神が、「皇すめ孫みま」に対して「三種の宝物」(権威のシンボル)を賜はり、「瑞みず穂ほの国くに」を「吾が子うみ孫のこ」が「王きみ」(天皇)として統治するやうに命じられ、さうすれば末永く隆んになることを予祝されてをり、日本の建国史上極めて重要な意義を有する。

(所  功)