9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和7年2月号

オイスカ研修生の見た日本
  大変な中でも未来のために頑張る

 イー・シュエ・シン・ウィン /(ミャンマー)


私は二〇一五年に有機農業を学ぶため日本に来て約一年間、福岡県のオイスカ西日本研修センターに滞在しました。

国に帰ってからは、スタッフとしてマンダレーの近くにあるオイスカの農業研修センターで働いており、「子供の森」計画(学校単位で参加する森づくりをはじめとする環境教育などを進めるオイスカの活動の一つ)を担当しています。

今回は森づくりや環境教育の能力向上のため、日本での再研修のチャンスをいただいて来日することができ、ほかの国から来たスタッフたちとさまざまなことを学びました。特に印象的だったのは、日本は森林が多い国で、その管理のための知識や技術も進んでいることです。正しく森を管理するための方法を、実践・体験を通して学ぶことができ、ミャンマーでどのように活かそうか、考えながらわくわくしています。

最初の来日の時にも感じましたが、日本は発展していて、本当に便利な国ですね。ずっと日本で生活をしている人にとっては当たり前のことかもしれませんが、まだまだ開発の途上にある私の国、ミャンマーと比べると、何をするのも簡単、快適にできます。例えば移動です。今回の研修中も岐阜、愛知、宮城、東京、長野、福岡と移動しましたが、新幹線や電車、自動車など、どのような手段でも本当に快適で、時間もあまりかかりませんでした。

また、日本では暑くても、寒くても建物の中は快適に保たれていて、一年中快適に過ごすことができます。夏の間、ミャンマーでは四十度を超えるほど気温が上がり、農業などの屋外の作業をしていると本当に疲れます。エアコンがありませんから、夜は暑さと、窓から入ってくる蚊に悩まされ、よく眠れず体の疲れも取れません。日本では快適に寝ることができますから、日中、屋外でいろいろな活動をしても、夜寝れば体が本当に楽になるのです。

日本では多くの職業があり、一人ひとりが仕事を持ち、将来のことを考えることができる点がうらやましいです。私の国の特に田舎では、自分の土地がない人たちが、現金収入を得るのはとても難しいことです。農繁期に人手が足りない畑に働きに行って、短期的に現金収入を得ることはありますが、それ以外に仕事がありません。現金収入がないと、子どもたちを学校に行かせることもできません。村にも小学校はありますが、さらに上の教育を受けるには、遠くの町の中学校まで行かなければなりません。そのためには自転車を手に入れる必要がありますが、それができなければ子どもたちは進学をあきらめるしかありません。

教育を受けられず、仕事もない子どもや若者たちが、不当な労働力として使われたり、女の子の場合は早い結婚を強いられたりする現実もあります。教育を受けられないということは、明るい気持ちで将来のことを考えられないということです。そうした若い人たちの中には、ふるさとを離れ、都会に出たり、あるいは海外に働きに行ったりする人もたくさんいます。国に十分な仕事がないと、人々の心がバラバラになってしまいます。それは、お金を得るために家族が離れて暮らさなければならないこともあるし、正しく将来を思い描くことができずに、道から外れてしまうこともあるからです。ほとんどの人が学校を卒業し、定職に就いているという点で日本はとても素晴らしい国だと思います。

ところで、皆さんは二〇二一年二月に私たちの国で起こったことを覚えていますか。日本ではもうあまり報道されていないかもしれませんが、今も一部の地域では大変な状況は変わりません。コロナ禍に加え、政治的な混乱のために学校が長く閉鎖されてしまったことは、ミャンマーの将来にとって大きな不安材料です。

私は地域の学校で、子どもたちのための環境教育を進めてきましたから、ふるさとを緑あふれる豊かな地域にしようと、植林などの活動に力を注いできた子どもたちが、生き生きと学ぶ場がなくなってしまったのは本当につらいことでした。それでも私たちは前に進まなければなりません。今できることは限られていますが、子どもたちの未来のため、ミャンマーの将来のために頑張っていきます。

いつも頑張る力をくれる日本の皆さんに感謝しています。ありがとうございます。